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ウィトゲンシュタイン的雑感(Internet Resources 編集雑記)  -2003-

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2003


●マイブーム (2003/7/17)

   2002年は結局このような文章を書くことができなかった。

   昨年9月に引っ越しをし、10月以降は新サーバーの立ち上げ作業で忙殺されていたのは確かではあるのだが、なんというか、ついついレイドバックしてしまい物を書こうというする度に気が滅入ってしまい放り投げるだけだった。

   ウィトゲンシュタインの思索について考えるということにも最近はご無沙汰している。株式会社ウィットゲン川崎出張所営業課長代理といった役回りを自演し続けるというのは疲れるし、利益も出していないのだからそうそうに辞表をたたきつけて退職すべきだと。

   最近のマイブームはどういうわけか二代目広澤虎造と『次郎長伝』なのだ。もちろん『次郎長』の物語は虎造の語りだけが全てであるわけではない。東宝マキノ雅弘の次郎長物やTVのシリーズなど諸々を詳細に調べれば長大なリストが出来るに違いない。ところが、この次郎長物に関する詳細な資料というのが、実はどこにも(少なくともWEB上に)ないのである。新刊書籍の中から次郎長あるいは虎造関連の書物を探すのは困難であるし、古書店でも忘れ去られたがごとく稀少。これにはある種の驚きを隠せない。かつて日本中を沸かせた浪曲という形式がもはやほとんど現代日本がら忘れ去られている。そんな感じなのだ。

   次郎長の墓は静岡市(旧清水市)の梅蔭寺にある。四半世紀以上前の子供の頃に二度ほど行ったことがある。古い話だからあまりよく覚えているわけではないが、確か森の石松の墓石は金網で覆われており、削ること厳禁などと注意書きが掲げられていた。虎造が語る石松の台詞に「博打打ちのお守りはおれっちの所から出るんだぞ」などという啖呵があるから、世に数多いるであろう博打打ちが削り取っていったのであろう。

   ただ、史実としての次郎長伝ではなく「語り部」虎造が語る次郎長伝に興味がある。どの程度の巻話があるのか、実はよくわからない。これについては近々別ページでまとめるつもりなのでここでは端折るけれども、CDの時代になっても、その全容を入手することが実は困難であったりするのが実情だ。

   それと、浪曲と並行して落語・講談という筋で追いかけていくという道筋にも興味のベクトルを引いている。昭和=>大正=>明治から江戸時代に遡るというベクトルでいえば、三田村鳶魚という研究者の全集(27巻+索引)が中央公論社から出ていて詳しい。実は何を間違ったかこの全集本を二セット購入してしまった(相場的には2万円前後?)。実家に父が1セット遺しているから3セットあったりする。これはちょっと過ぎ過ぎ。

   鳶魚の話は、もう江戸の長屋裏店のご隠居の昔話をはるかに超越した文献的詳細さで実証的に江戸庶民、大名などの生活実態を解き明かすことに終始するという凄い内容。そこで寄席の起源はどうも江戸初期、徳川秀忠の御前で「太平記」語りが講演したのがはじめで「太平記語り」という形式こそが原型だ。という指摘があり、では太平記も読もうということで、今度は岩波書店の「日本古典文学大系」102冊を神田の古書店で購入してしまった。といっても全巻で3万円というだけあって、箱こそあるもののとうてい美本と呼べるランクのものではない。

   その太平記の第一巻を原文(といっても書下しされた漢文)で読んだが、いやいや、面白い。室町時代から江戸時代初期にかけての武家の教養とはかくあるべきかな。という感じだ。つまり、太平記は後醍醐天皇の時代から南北朝の時代の通記であるのだが、所々で脱線し古代中国の様々な逸話(漢学)を開陳しつつ論拠づけるという構成で、当時の日本人の倫理観というのがそこはかとなく伝わってくる。

   室町時代、特に南北朝時代の歴史は、太平記を含め、戦前の日本の天皇主権主義と密接に連関し、戦後はむしろタブー化されてしまい、あまりよく知らされない。というのが実情であった。また、室町時代は初期には南北朝、中後期にはは応仁の乱、さらに末期は戦国時代とうち続く混乱の時代でもあったから、今の時代と比べて学ぶことが多かろうと思えるので、いろいろ知りたい、いよいよ知りたい。と思えてくる。

   もちろん、ターゲットレンジを保元・平時から平家物語さらには太閤記あたりまで、さらには前に伸ばして鏡物から記紀に至るまでレンジは広げようと思えばいくらでも広がる。ということで、ここで古事記から次郎長伝までという日本歴史物語全般。というベクトル・ターゲットを措定する事に....

   と、途方もないことになっているので、ウィットゲン営業部はしばし開店休業ということになるのかな。と。もちろん、どんなことに興味をもっても所詮中途半端な追いかけしかできないのが私の性であるけれども、3万年も続くわけでない限りある人生という時間の中で、好奇心の広がりに歯止めをかけないのはある意味で自殺行為ではあるけれども、好奇心起動型エンジン搭載=人間なのであろうから、やはり止めるわけにはいかない。  




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