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ウィトゲンシュタイン関連書籍について


 このページは、すでに「産業規模」であるといわれているウィトゲンシュタイン関連書籍についてそれらLW本の読者として思いついたことを備忘録的にメモするためのごく私的なページです。


1.ウィトゲンシュタインに関わる闇(2001/4/15)

   ウィトゲンシュタインに関するタブーがあるとすれば、一つはセクシュアリティの問題だろう。バートリーのコメントがその火付け役で、レイ・モンクの評伝はある意味でそれを裏付けている。モンクの評伝の記述では、「恋愛感情は天からの祝福された贈り物」とLWが受け止めていたとある。この意味で、それはどのような意味においても肯定されるべき事柄として受け止めることができる。

   もうひとつ問題があるとすれば、それは、アドルフ・ヒトラーとの関係だろう。ヒトラーとウィトゲンシュタインは同い年(1889年生まれ)であるが、実は同じリンツの工科学校の生徒であった。マクギネスの評伝によれば、ヒトラーは1900年から1904年まで在籍し、ウィトゲンシュタインは1903年から1905年まで。学期の問題もあるが、約1年の間は同じ学校に通っていた。ただし、ヒトラーとウィトゲンシュタインは同じ学年ではなく、1903年から1904年の1年間、ヒトラーは第3学年で1年遅れ。ウィトゲンシュタインは第5学年だということである。つまり彼らが同じ教室にいた可能性はないということらしい。

   マクギネスの記述が正しいかどうかについては、今となってはよくわからない。ただしかし、あくまで仮定的な話としていえば、高校生時代のウィトゲンシュタインが同じく高校生であったヒトラーに対して「ユダヤ人に対する偏見」を懐かせる原因の一つになるような事件がはなかったかどうか。と詮索することができるということがある。彼らが同じ学校に通ったことなど無いというのであればその可能性は皆無だと言えるのだが。

   この問題について、ドイツでは単行本(Der Jude aus Linz. Hitler und Wittgenstein)が出版されている。"amazon.de"のカタログ上の解説には、ヒトラーとウィトゲンシュタインは1904年から1905年の1年間を同じ第6学年生としてともに過ごしたという指摘がある。二人が写っている写真がその本の表紙になっている。事実としてそれが正しいとすれば先のマクギネスの記述は誤りとなる。

   事実はどのようであったのか。この種の問題は事実認定をどう行うかという技術的な問題であるだろう。今の時代では、PhotoShopのようなソフトを利用すれば写真は簡単にコラージュして捏造できるものだ。事実として、彼らが出会っていても、いなくても、どうであれ、ヒトラーはナチス党総統として第二次大戦を引き起こしたのであるし、ウィトゲンシュタインは哲学者であったであろう。だから、出会っていなければどうであったか。と詮索することは無意味であろう。それに、ヒトラー問題はヒトラーの問題なのだ。



2.amazon.com(2001/4/19)

 個人輸入は、久しくご無沙汰していたのだけれど、先日、amazon.comと英国amazon.co.ukに対して、LW絡みの英書を中心にweb上から注文してみました。それぞれLW絡みの本数冊ずつ。英国と米国に分けて注文を出したのは、D.ジャーマンのビデオが米国経由でしか買えないこと。あと、『prisoner no.6』のDVDの全巻揃いは英国のPAL版でしか現状入手できないこと。によります。個人輸入の場合、安く買おうとすると、送料で足下をすくわれることになるのだけれど、今回はとりあえず送料のことは気にしないことにしました。

 amazon.com で "Wittgenstein"をキーにして検索をかけると、だいたい850冊くらいの冊数がヒットするけれども、よく調べてみるとその大半は絶版本で、入手できないものが多いのです。また、特にリスト後半はドイツ語やフランス語などの書籍のリストと化しているのですが、これまた入手不能のものばかりです。うーむ。

   あと困るのは、LWの原著書の場合、それが独英対訳本であるのかそうでないのかamazonのカタログだけでは分かり難い。ということがあります。対訳本があれば優先的にと思うのだけれど。なので、今回はオリジナルよりもフィクションとか、解説本を中心に注文しました。特に宗教哲学絡みのもの。

   そういえば、マクギネスやアンスコムの新刊もリストにありました。ただ、まだアベイラブルでない。日本で訳書の入手ができるものであっても、向こうではすでに絶版状態という本も多数あるようです。書簡集とか論考のプロト版とか講義集の1は見あたりませんでした。大修館の全集に対応する原著書を揃えるのも大変そうです。というのも、いわゆる全集はリストにはないので、個別的に揃えざるをえない。

   これからの本命は、むしろ、遺稿オリジナル関連本とか、ウィーン版のテキスト本なのでしょう。UKではテキスト版CD-ROMのテキストのみのものが1000ポンド(17万円)。イメージを伴うものが1600ポンド(もう計算できません(^^;)。うーむ。

   BigTypeScript本も100ドル以上ですか。これも高価ですね。

   Der Jude aus Linz. Hitler und Wittgensteinの英語タイトルもあるようですが、これも絶版状態のようです。

   手当たり次第に買い漁ること可能だけれど、お金がものを言うだけでなんの意味もないわけです。なんというか、哲学資本主義というのかな、「遺稿の中のこれこれには....」などと気取るためにはお金がかかるのだなぁ。とつくづく思いました。車とかオーディオみたい。しかし、1000ポンドのCD-ROMかぁ。WindowsNTサーバーと同じといわれれば、納得できるかもしれないけど。うーむ。しかし、高い。

   burns&noble では専門書は確か薄かったような記憶があるので、調べてはいません。


3.Conversation 1949 - 1951 (2001/4/24)

   今日、英国のamazon.co.uk から航空便が届いた。お目当ては、1968年にNHKでも放映された『Prisoner No.6』の全巻揃いのBoxセット(約44ポンド)だが、一緒に注文していた本も同時に届いた。O.K.Bouwsma の遺稿の中から、ウィトゲンシュタインとの関わりについての手記を一冊にまとめた本 『Conversation 1949-1951』がそれである。100頁強。、大学の1年生向けの講読本的な趣のある薄目の冊子だ。小一時間ほどで40頁近くも読み進んでしまった。

   ブースマ(Bouwsma)は、1949年にN.マルコムの招きで来米したLWと出会っている。マルコムの友人ということでLWと会うのだが、その後幾たびもLWと哲学的議論を行う機会を得た。また1950年には帰英したLWを追いかけるようにして英国に渡り、Oxfordのアンスコム宅に寄宿していたLWとさらに議論を続けることになる。LWは1950年にペバン博士に癌であることを告げられ、1951年4月に博士宅で死去することになる。

   ブースマはこうした経緯からみれば、明らかにLWのお気に入りの一人であった。彼の手記にはLWとの会話はdifficultなものであって、彼が1950年にノルウェーに旅立った際には「ほっとした」と記してあるほど「疲れる」教師であったという。本文はまだ読み始めたばかりなのでなんとも言えないけれど、とにかく、LWとブースマは会ったその日から、倫理の問題を話し合い、「絶対性(absolute)」「普遍性(universal)」などについて、さらに「プライド」について、特に、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を相互的理解のコンテキストとして議論したようである。「プライド」については、トルストイの『戦争と平和』に出てくる有名な一場面(ソビエト版の映画『戦争と平和』ではポスターの一部を飾ったシーンでもある)、アウステルリッツでオーストリア・ロシア軍が敗走するのを引き留め反撃させるべく、軍旗をかがげて万歳(ウラー)反転を行うアンドレイ公爵のことなども話題になった。

   ウィトゲンシュタインにとって『カラマーゾフ』は生涯の愛読書であった。同書11頁でブースマは、LWは最低でも50回も繰り返して『カラマーゾフ』を読んだのではないかと書いている。LWの伝記に『カラマーゾフ』が登場するのは確か1917年前後、第一次大戦従軍中に最前線へ赴く際の背嚢にそれを詰め込んだ。という記録が最初だから、実に30年以上も読み続けていることになる。単純計算でいえば、毎年2回弱は読み直していたということになる。思うに『カラマーゾフ』はLWにとって友人探しのリトマス試験紙であったのではなかろうか。ブースマがLWと最初に出会った日に『カラマーゾフ』の話が出て、翌日はむしろLWがブースマと話をしたくて場を作ろうとしていたというニュアンスが書かれてある。LWはスメルジャコフにポイントを置いているようだ。また、『カラマーゾフ』を読むと『罪と罰』と対比せざるを得ない。ともある。振り返ってみれば、エンゲルマンや小学校教師時代のノイルーラー。ドルーリーなど、親しい友人とは常に『カラマーゾフ』が共有されている。

 オックスフォードでは、アンスコムやスマイシーズとの関わりにも触れている。『地下生活者の手記』についての議論では、スマイシーズに読むように言われていたとある。LWはそれを1~2年前(おそらく二次大戦後)に読んだとも。さながらドストエフスキー研究会の趣さえある?。

   ウィトゲンシュタインのブースマへの最後のことばは「私とスマイシーズとブスーマと三人でまた議論をしよう」というものであった。

 
4.Conversation 1949 - 1951 -2-(2001/4/25)

 『Conversation 1949 - 1951』という小冊子は、ウィトゲンシュタインの最晩年の時期を伝える記録としてとても有益だ。読むに値する。昨日航空便で届いたのだが、とりあえず読了した。ただし辞書を引かずに読み飛ばしたところも多いから精読したとは言い難い。それでも、難解な表現はあまりないので。おおよそ、おおよそ。

   伝記としては、次のような書籍がある。

   ●全般的
 回想のウィトゲンシュタイン(ノーマン・マルコム:法政大学出版局/講談社)
 ウィトゲンシュタイン(レイ・モンク:みすず書房)

 ●第一次世界大戦終了まで
 ウィトゲンシュタイン評伝(マクギネス:法政大学出版局)
 ●復員後からケンブリッジ復帰まで
 ウィトゲンシュタインと同性愛(バートリー:未来社)
 ●後期~アイルランド時代
 Danger of the words(ドルーリー:未入手)
 ●1949~1951
 Conversation 1949 - 1951(ブースマ)

   現時点で、ドルーリーの著書『The danger of words』が版元で在庫切れで入手できないのが残念。ドルーリーの本では、『カラマーゾフ』のゾシマ長老についての議論が書かれてあるということでだ。

   ブースマの記録の中で面白いと思われたのは、デカルトの「コギト」についてウィトゲンシュタインの論評があることだ。LWは「我思う、故に我あり」というセンテンスは同一時制では話し得ないという点を強調している。「故に」と結論づけられる時点ですでに「思う」ということは「思った」にしかなりえない。その点でこの表現にはある種の混乱(conflict)があると指摘している。

   戦争が人を変えるという点。LWは一次大戦後、ラッセルと会った際に、司教になったホワイトヘッドへ「よろしく」と伝えて欲しいと託したが、ラッセルはなにもしなかった。というのも、ホワイトヘッドは戦争でドイツ嫌いになっていたから。また、ケンブリッジに学んでいたルーマニアの学生は出身国の故に帰国させられたが、彼は戦争によって戦死。戦後、戦没者の慰霊碑にその学生の名を刻むか否かで議論があり、結局刻まれたが、別扱いとなったこと。

   LWがアメリカに着いた直後、イタリア人の少年の靴磨きがあまりに上手だったので倍払いをしたこと。逆に帰国直前、タクシーで港へ向かった際、そのタクシーはいわゆる雲助タクシーで4ドルまでカウントしたところでメータが止められ降りる際には7ドルを請求されたこと。その件で警官を呼んで結局4ドル半を支払ったこと。等々。

   だから、一次資料は面白い。二次的・三次的資料は何を読んでも結局新しい発見に遭遇することはまれだ。だけれど、直接的な体験を元に書かれた一次的な文章は我々のような読者に「発見」の喜びを与えてくれる。


5.バフチン兄弟(2001/5/7)

  現代ロシアの哲学者、言語学者、文学批評家としてつとに有名なミハエル・バフチン(M. Bakhtin)は、ドストエフスキー論を「ポリフォニック性」という概念で解き明かしていることで知られている。不勉強さがたたって、私はバフチンを今までよく知らないでいたが、昨日、図書館でドストエフスキーの関連本の一冊として、その解説書を借りてきた。

   実は、先日、amazon.com から別便が届いた。デレク・ジャーマンのビデオ『Wittgenstein』とLWの解説書が二冊、他に「プリズナーNo.6」のファン向け解説書一冊。ビデオについていえば、英国チャネル4の制作の作品なので、言ってみれば90分番組的な構成だ。シナリオはシナリオで単行本として入手が可能。一見しただけなのだが、なんというか、舞台劇そのまま的な演出で、「プリズナーNo.6」でいえば第16話「once upon a time:最後の対決」によく似ている。LWその人をデフォルメした上で子供の頃から編年的に見せるという構成。ロンドンには無数の演劇小屋があるがそのどこかで演じられていても不思議がないような雰囲気がある。

   解説本の一冊は、『Wittgenstein's Ladder』。著者のMajorie Perloff はウィーン生まれの詩人、文学者。子供の時にナチの圧政を逃れて米国へ亡命してきた人物で、個人史的にLWに親近感を強く感じているという。まだ読み始めたばかりだけれど、詩学の低迷した現状にあって、LWが現代の欧米の詩人に広く受け入れられているという指摘はとても面白いと思った。21世紀の現時点で、LWがどのように受け入れられているのか。そうした話に接する機会はまれなので、現状を知ろうとしたら結局この種の新刊の洋書を読み漁るしかない。実は、そこで、バフチンの名前が出てきた。しかもミハエル・バフチンではなく、彼の一つ違いの兄のニコラス・バフチンである。

   レイ・モンクの評伝のインデックスを調べると、ニコラス・バフチンは3ヶ所で触れられている。要は、後期ケンブリッジ時代、LWがロシアへの移住を計画していた時期に親しくつきあいがあったロシア人の一人ということだ。ニコラス・バフチンがケンブリッジの教職に就いていたかは定かではない(友人という記述があるだけだから)。ニコラス・バフチンはおおよそ1894年生まれだからLWとは5~6歳年下ということになる。LWがロシア訪問を行ったのは1935年の9月。この時点で、ミハエル・バフチンはまだ流刑の刑期を終えていなかった。しかしながら、バフチンの「ドストエフスキー論」は1929年に公刊されているのだから、それを兄のニコラスを経由して知っていた可能性は十分ある。

   レイ・モンクの評伝では、さらに、ニコラスとLWが『論考』を一緒に読んでいたことが記されている(下巻510頁)。その際に、『論考』と『探求』は一冊にまとめて出版されるべきだという構想を思いついたとある(『探求』の序文にはこの記載がある。この構想をケンブリッジ大学出版局は承認したものの実際には実現しなかった)。

   レイ・モンクの評伝では、バフチン兄弟とLWの関わりは「接触があった」という指摘はあるものの、具体的には、ほとんど触れられていない。時期的に言えば、1935年は、ミハエル・バフチンの流刑の刑期明け(1936/9)の前年であり、LWが帰英後2年間程度はソビエトへの移住の希望を捨てきれずにいたことを考えると、ミハエルとのなんらかの接触を期待していたということはあり得ることである。というのも、ミハエル・バフチンはある意味で、ドストエフスキーの最大の理解者であったであろうから。LWは話をしたくて仕方がなかった。のではなかったか。これはもちろん私の推測でしかない。バフチンのドストエフスキー理解はLWのそれと非常に似通っていることは確実だと思える。LWには「カーニバル性」は薄いというか欠落している感は否めないとしてもである。見通しとして、バフチンとLWを並べて眺めてみることに何らかの意義はあるだろうと思われる。


6.第三世代(2001/5/10)

  ウィトゲンシュタインの理解は、すでに第三世代に受け継がれているという。つまり、LWと同世代(ラッセル、フレーゲ、エンゲルマン、ポパー、等)を第一世代とするならば、第二世代はその弟子の世代(マルコム、アンスコム、ブースマ、リース、等)そしてその弟子(の著作)に学んだ次の世代が第三世代ということになる。第三世代は、いわば、一次的資料、二次的資料がそこそこ手にはいるようになった80年代後半以降に研究を行っている世代だといえるかもしれない。残念ながら、日本ではそうした世代の著作の多くは翻訳されていないし、その動向さえもあまりよく伝えられてはいない。クリプキ以後がどうなっているのかとんと見当もつかない。

   先日、amazon.com から届いた本の一冊、Cora Diamond の『The Realistic Spirit : Wittgenstein, Philosophy, and the Mind (Representation and Mind) 』はそういう世代の代表かもしれない(現状に疎いので、書評的な印象でしか話せない)。『New Wittgenstein (未入手)』という別著者の本もそうした系列に入るのだろう。「心の哲学 ( Philosophy of mind)」の周辺からLWを読み直してみるという試みに特徴があると思われる。どんな場合でも、哲学をジャーナリスティックに捉えるのはうまいやり方ではないから、こうした物言いはもちろん大した意味を持たない。しかし、共時的にLWの哲学を学んでいる他の人々がどのような視点や関心を持っているかを知ることは思考経済という観点からみれば有益だ。

   『The Realistic Spirit』のイントロダクションを読んだ程度の印象でしかないが少しだけコメントするならば、LWの「心の哲学」をフロイト的な心理学と対置させて、それは科学に入り込まずに純哲学的に「心」のあり方を検討する志向だけで構成されているのだと捉える場合、LWの哲学では通奏低音的に「形而上学」が意識されているのだから、扱うべきは「心(mind)」の問題というより「魂(spirit)」の問題と言い得るのではないか。しかしもちろんそう言ってはならない。しかしながらだからこそ、LWの「心の哲学」は事実記述を介して「魂」に接続させようとする試みなのではないか。だから「Realistic Spirit」と表現したのだということらしい(正しい?)。

   『Wittgenstein's Ladder』でMajorie Perloffは現代詩学に関わる多くの専門家達が「言葉」の核心を探求するにあたって実はLWを参照しているという指摘も、この点で類似性があるだろう。つまり、従来であれば、形而上的な表現を用いてズバリ言い表していた何かを、「現実」を示す試みを重ねることだけで自給自足させようとする立場、つまり、言語の限界の枠内で言い表し得る限りの表現を採用するにとどめる態度といっていいかもしれない。

   「魂」あるいは「心」の有り様をリアルに示す。という表現手法についていうと、ドストエフスキーの「カラマーゾフ」はその種の表現で構成された先駆的な作品だと見なすことができると私には思える。独立自在の「心」が作品の中で跋扈して、作者の思惑を越えて「語り出す」ような作品。バフチンが云う「ポリフォニイ」という概念は(独我論的に)世界を異にする「心」の持ち主が「小説」という単一の場の中で勝手気ままに自由に語り出すことを指すのだと思える。作者が設定した責務にも似た「役割」を果たすだけの登場人物としてでなく作者とは無関係に生まれ出た「心(魂)」を持つ作中人物として表現されてあること。もちろん作中人物は作者の創作人格である。ところが「言葉」を用いてその作中人物が話を始めると作者との親子関係の呪縛を断ち切る場合があり得る(?)のかもしれない。

   LWのいう「理解」とは「解説」でなくてその「別表現」なのだという意味で、LWの哲学は彼のドストエフスキー理解の「別表現」として記されている。と読むこともできる。心の有り様を哲学的に記すというLWの志向に現在のウィトゲンシュタイン研究家達が心惹かれているのであるとすれば、それは、ウィトゲンシュタインの意図を彼の思惑通りに受け取っているのだということができるかもしれない。

   ただ、残念ながら、新刊書の類であっても、そこにドストエフスキーとLWの関連性についての言及を探すことは困難である。伝記的資料には実に様々に見いだし得るにも関わらず。おそらく、英米の研究者達の文化的基盤とドストエフスキーとは距離があるからなのであろう。ロシアから見ればオーストリアよりイギリス・アメリカは遙かに遠いのかもしれない。
7.レイ・モンクのラッセル伝(2001/5/16)

 少々古い話になるけれど、レイ・モンクのラッセルの評伝が出ています。Vol.1とVol.2の2巻本。レイ・モンク自身は数学者でもあるから、ラッセルの評伝は得意とする範疇なのでしょうね。ただ、米国版と英国版、さらにはペーパーバック版とでは、特にVol.1は諸版あるようでタイトルも異なっている。また、Vol.2にはまだペーパーバック版はないみたい。

   以前、NHKの教育放送で放映されたラッセルの伝記番組では、ラッセルの私生活の凄まじさが印象に残っいる。モンクもコメンテータとして出演していた。確かBBC制作の番組だったように思うのだけど。いずれにせよ、Vol.1だけで600頁超の大部であるから、翻訳が出ればそちらを読みたい。といっても翻訳されるのだろうか。(そういえば、先日の国会答弁で山崎自民党幹事長がラッセルの言葉を引用していたのを耳にしたが....。うーむ。)。

 
8.解説書は読むに値するか?(2001/7/16)

   最近、神保町を歩いてLWに関する解説書(和本)を何冊か入手した。それだけでなく、Amazonからも洋書数冊。ざっと斜め読みしたいところだが、どうにも時間がない。この時間のなさには2種類ある。ひとつは、単純に暇がないこと。もう一つは、そういう読書に時間を割くだけの意義があるのか疑問であること。前者は単なる言い訳だから本当は書くまでもないことだ。後者は我ながら鼻持ちならない言い訳である。だったらそもそも本なぞ買わなければよろし。書誌項目を増やすだけのためのコレクションなぞ、そもそも愚の骨頂である。

   LWの解説書の何冊かに共通している言い回しがある。「私はウィトゲンシュタインの信徒でない」という表現がその一つだ。こういう表現は無用だと思える。第一に、自身をLWの信徒である。と考えている者など一人もいないであろうこと。導師と弟子、そしてその周辺をとりまくファナティックな信奉者達。という図式はそこにある。と考えられがちだとしてもである。

   私がLWの解説書にいくばくかでも関心を持ち得るのは、それらの本を読むことでLWの思想をより深く知りたい。と考えているわけではない。そうではないのである。むしろ、解説書を書いた専門家達がどのような理解と視野をもっているのか。という点に興味があるからなのである。ある種のドキュメント入手可能環境というホメオシタスの中で、どの程度バリエーションがありえるのか。LWの遺稿に関する伝言ゲームがどのような展開となっているのか。そういうところに興味がある。

   しかしながら、結局、哲学の専門家が書いたLWに関する解説書は、おおよそ、読むに耐えないと思える。それは、ここの駄文も同様で、書き手の思考フレームの枠をはみ出さないからだ。(私を含めて)彼らはLWを捕捉しているであろうか? 理解することと解釈することとは違うであろう。ましてや、単なる解釈でさえ、ある閾値の範囲内で収まってはいないか。このスレッショルドの値幅にはそれぞれ類似がある。そして結局、よってたかって、皆が皆、自身の世界の中に収まるLW像を描く事に終始している。

   99%の著述は結局、書き手の世界を超えない。さらにいえば、それだけでなく、読み手の世界を超えることさえない。

 

 
9.金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント(2001/7/30)

   一昨日駅前のコンビニ書店で買ってきた本、『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』を読了した。現時点でベストセラーのTop10に入っている本だ。概してベストセラー本には偏見を抱いているためこの種の類の本を読むことは稀なのだが、書店で2、3ページ立ち読みして面白そうだと思い、そのまま一気という感じで読んでしまった。

   筆者ロバート・キヨサキは職業人を大枠として4階層に区分する。従業員(E), 自営者(S), 企業家(B), 投資家(I)がその4枠で、さらに、E/S とB/I とを左右にグループ分けする。そして筆者の2人の父親の教えや自身の経験談を通して筆者は左職グループから右職グループへの移行のためのガイドダンスを行うというのがこの本の趣旨である。

   職業に貴賤なし。ということわざがあるが、この『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』的な視点からいえば、やはり貴賤は考えざるを得ないだろう。真の経済的成功は不労所得を得ることであって、不労所得をシステム的に得る状況こそ経済的自由の基盤である。だから左職グループから離脱して右職グループの仲間になることは重要であり目標とすべきである。と著者は考えているようであるから。もちろんこの種の考え方には賛否両論あるだろう。賃貸不動産を所有し不労所得を得ることが人生における成功の秘訣の全てだと理解するのは早合点だが、経済的成功の一例として考えればそれはそうだというべきだろうと思う。

   まず第一に面白いと思われたのは、四職分枠(クワドラント)だ。これを哲学に関心を持つ人の階層分けに応用してみれば

 従業員(E) = 読者 (信者)
 自営者(S) = 研究者(学者)
 企業家(B) = 思想家
 投資家(I) = 導師

   といった対比ができるだろう。ウィトゲンシュタインは明らかに経営者・投資家の職階の出身で、彼は父親カールの職業を継ぎはしなかったが、考え方や視座の基本は、右職グループに属していると類比できると思える。『論考』もそうだが、いわばオリジナルな思想システムの構築を目指していたという点で、LWの哲学的スタンスは企業家のそれに類比できると思える。この点でいえば、職業哲学者多くは、E/Sの左職グループに属している。だからLW本人とその追従者との相違はある種決定的に異なる。という感じがする。

   『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』が面白かったのは、LWの哲学と類比して読める部分が数多くあったからだ。  
「(マネー)ゲームをする気なら正しいやり方を知らなくてはいけない」(P162)。

「...私はこの話を聞いて、それまでに出会ったたくさんの人たち、「世界を変えるのだ」と意気込んでいるが結局どこにも行きつくことのない人たちのことを思いだした。彼らは他人を変えたいと思っていた。だが、自分を変えようとはしなかった」(P.188)。

「仕事に依存した経済的安定をめざす道から経済的自由の道へと移行するプロセスは、そのほとんどが考え方を変えるプロセスだ。つまり、どの考えが感情に基づいたもので、どの考えが理性に基づいたものかを見きわめるために全力をつくすプロセスだといっていい。自分の感情を常にコントロールし、ほんとうに論理的な考え方ができるようになれば、あなたはきっとゴールにたどりつくことができる。だれがなんと言おうと、最も大切なのはあなたが自分と交わす対話だということを忘れないようにしよう。」(P.196)
 
 等々。他にもP.159にデュー・デリジェンス(due diligence)という語(意見と事実とを見極めること)について触れられている。意見として語られる何かと事実との識別眼もまたLWが問題としていたことだ。

   LWが後世の人々に認められ多大な影響力を与え続けているのは周知のことである。この意味で我々は彼の思想的投資の恩恵を被っているというか、その利息を享受しているといえるのかもしれない。LWの父カールは企業家・投資家として大成功を収めた人物であり、いわばキヨサキの言う「ファイナンシャル・インテリジェンス」をわきまえていた。世に流通するという点で「金」と「言葉」は類似している。だからLWの視線が父親譲りの「企業家的なインテリジェンス」であったのではないか。とすれば、キヨサキが指摘する意味で、LWの視座視点は企業家、投資家的なのであるから、従業員・自営(E/S)の左職グループ的な感性では理解することは難しい。なぜなら思想に「問題解決の解答や結論、理論(つまり安定的な思想)を求める人々は思想的混乱を回避したい、あるいは思想的混乱への恐怖がある。という点で、思想的自由からは実はほど遠いのだから。等々。

   もちろん、『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』的な世界とLW的な世界とは本来つながりは全くない。だけれども、この本で語られていることの多くが(不動産屋的な利益追求の手法は別として)、結局、LW的な思想に類似したものとして読める。ということにある種の不思議さというか、我々が(少なくとも私が)「成功」と呼び得るなにかに見いだし得るものを多く共有していると知ることができた点、とでも得るところがあった。この本がお薦めの一冊であることは間違いない。    


10.Philosophical Occasions 1912-1951 (2001/10/8)

   つい先日、amazon.co.jp 経由で、『Philosophical Occasions 1912-19511』という本を購入した。この本は『論考』や『探求』などの大物ではない、LWの小論や手紙、メモ、書評の類が補遺的に採録されている。以下にその明細目録を記しておこう。いずれにしても、必携本である。
 
1. Book Review of P. Coffey, The Science of Logic (LW)
2. Some Letters of Ludwig Wittgenstein ( w/ William Eccles )
3. Preface to the Dictionary for Elementary Schools. (LW)
4. Some Remarks on Logical Form. (LW)
5. A Lecture on Ethics (LW)
6. Wittgenstein's Lectures in 1930-1933 ( G.E. Moore )
7. Remarks on Frazer's Golden Bough (LW)
8. Letters to Editor of Mind. ( w/ R.B. Brainthwaite )
9. Philosophie [Big Type Script] (LW)
10. Notes for Lectures on "Private Experiences" and "Sence Data" (LW)
11. The Language of Sense Data and Private Experience (Rush Rhees)
12. Cause and Effect: Intuitive Awareness (notes by Rush Rhees)
13. Lectures on Freedom of the Will (notes by Yorick Smythies)
14. Notes for the "Philosphical Lectures" (LW)
15. Letters from Ludwig Wittgenstein to Georg Henrik von Wright ( w/ G.H.von Wright)


『倫理学講話』や『金枝篇について』など大修館の全集に邦訳が含まれている文章もあるが(原文)、オタタールの小学校教師時代に編纂した子供向けの「辞書」の前書きや「 Big Type Script」や手紙、あと、受講生がノートを取ることを嫌ったウィトゲンシュタインが唯一の例外として許可したという Yorick Smythies による「自由意志について」など全集に含まれてもよいはずの未訳文章も多数含まれている。ドイツ語原文があるものは独英対訳で掲載されている。一次的資料としてきわめて価値が高い資料であることは間違いない。


11.Portraits of Wittgenstein (2002/2/28)

 ウィトゲンシュタイン関連本として最近探している本があるとすれば、ドゥルーリィ(M. O'C Drury)のThe Danger of Words だ。ペーパーバックが1997年に出ているのだが在庫切れのまま。古本を米国amazon経由で見つけてオーダーしたものの実際には在庫切れでキャンセルになってしまったことがある。ハードカバーの古本を持っている店ならいくつかあったのだが、1万円超え。どうしようか迷っている内に為替レートの円安はすすむはamazonが古本の扱いに冷淡になるわで現状みあたらない状態。そんな状況で書評はどうかと思いついてgoogleで検索したら、次のような本があるのを発見した。
Portraits of Wittgenstein
Thoemmes Press 4 Volumes

Editor's Preface
Context, Family and Early Years
Habsburg Vienna (Allan Janik and Stephen Toulmin)
Ludwig Wittgenstein: A Chronology (Michael Nedo )
A Biographical Sketch (G. H. von Wright)

The Laboratory for Self-Destruction (Ray Monk )
Wittgenstein's Intellectual Nursery-Training (B. F. McGuinness )
Reminiscences of the Wittgenstein Family (Karl Menger)
My Brother Ludwig (Hermine Wittgenstein )
Remembering My Cousin, Ludwig Wittgenstein (Friedrich A. Hayek)
Wittgenstein in Manchester (Wolfe Mays )
My Friendship with Ludwig Wittgenstein (W. Eccles )

Cambridge, Iceland and Norway
Ludwig Wittgenstein (Bertrand Russell )
Philosophers and Idiots (Bertrand Russell )
Autobiography (G. E. Moore )
Wittgenstein in Bloomsbury: 1911-1931 (S. P. Rosenbaum )
Extracts from the Diary of David Pinsent 1912-1914 (David Pinsent )
Ludwig Wittgenstein in Norway 1913-1950 (Knut Olav Lmis and Rolf Larsen)
Wittgenstein's Attraction to Norway: TheCultural Context (Ivar Oxaal )

The First World War
Ludwig Wittgenstein in 1915-1916 (Max Bieler )
A Memoir (Paul Engelmann )

Wittgenstein and Homosexuality
On Wittgenstein and Homosexuality (W. W. Bartley III )
Bartley's Wittgenstein and the Coded Remarks (Ray Monk )

Elementary School Teacher and Architect
Wittgenstein in Austria as an Elementary School Teacher (Luise Hausmann and Eugene C. Hargrove)
Ludwig Wittgenstein's Dictionary for Elementary Schools (Adolf Hener)
Ludwig Wittgenstein's Austrian Dictionary (Karl Menger )
Ludwig Wittgenstein, Architect (Paul Wijdeveld )
Ludwig Wittgenstein and Marguerite Respinger (Ray Monk )

Wittgenstein and the Vienna Circle
Wittgenstein and the Vienna Circle (Brian McGuinness )
Wittgenstein and the Vienna Circle (Rudolf Carnap )
Wittgenstein, Brouwer and the Circle (Karl Menger )

Return to Cambridge
Memories of Ludwig Wittgenstein (Frances Partridge )
Wittgenstein 1929-1931 (Desmond Lee )
I'm Afraid There Is a Gathering of Philosophers Going on in Here (John Mabbott )
Wittgenstein's Lectures in 1930-1933 (G. E. Moore )
Portrait of a Philosopher (Karl Britton )
An Epistle on the Subject of the Ethical and Aesthetic Beliefs of Herr Ludwig Wittgenstein (Doctor of
Philosophy) (Julian Bell )
Wittgenstein: Some Personal Recollections (George Thomson )
Wittgenstein: A Personal Memoir (Fania Pascal )
Memories of Wittgenstein (F. R. Leavis )
Ludwig Wittgenstein: A Portrait (Alice Ambrose )
Ludwig Wittgenstein, 1934-1937 (John Wisdom )
A Student's Memoir (Theodore Redpath )
Recollections of Wittgenstein (John King )
A Recollection of Ludwig Wittgenstein (Iris Murdoch )
A Memoir (Norman Malcolm )
A Meeting with Wittgenstein (John F. Mills )
My Encounters with Wittgenstein (J. N. Findlay )
Recollections of Ludwig Wittgenstein (A. J. Ayer )
Recollections of Wittgenstein (Wolfe Mays )

The Second World War
It Will Be Terrible Afterwards, Whoever Wins (Brian McGuinness )
Ludwig Wittgenstein and Guy's Hospital (J. R. Henderson )
Ludwig Wittgenstein (W. G. Tillman )
Ludwig Wittgenstein (Ronald MacKeith )
I Taught Wittgenstein (John Lenihan )

Last Years as Professor of Philosophy
A Confrontation with Wittgenstein (Karl Popper )
Wittgenstein and Karl Popper (Peter Geach )
Popper and the Poker (Peter Munz )
Last Lectures 1946-1947 (P. T. Geach )
Some Notes on Conversations with Wittgenstein (M. O'C. Drury )
Conversations with Wittgenstein (M. O'C. Drury )
Postscript (Rush Rhees )

Wittgenstein and Ireland
The Great Philosopher Who Came to Ireland (Joseph Mahon )
Wittgenstein in Ireland: An Account of His Various Visits from 1934 to1949 (George Hetherington)
Ireland in the Life of Ludwig Wittgenstein (Maria Baghramian )
Wittgenstein, Religion, Freud and Ireland (John Hayes )
A Sage in Search of a Pool of Darkness (George Hetherington )
Of Sound Mind (David Berman and Michael Fitzgerald )

Last Years
A Memory of a Master (William H. Gass )
Wittgenstein: Conversations 1949-1951 (O. K. Bouwsma )
Wittgenstein in Cambridge 1949-1951: Some Personal Recollections (K. E. Tranoy )
The Strongest Impression Any Man Ever Made on Me (G. H. von Wright )
Wittgenstein's Last Year (Joan Bevan )
Letter from Wittgenstein's Literary Executors (G. E. M. Anscombe, Rush Rhees andG. H. von Wright)

Assessments of the Man and the Philosopher
Ludwig Wittgenstein (D. A. T. Gasking and A. C. Jackson )
Ludwig Wittgenstein: A Symposium. Assessments of the Man and the Philosopher (Erich Heller, M. O'C.
Drury, Norman Malcolm and Rush Rhees )
Wittgenstein and Nietzsche (Erich Heller )
On the Form of Wittgenstein's Writing (G. E. M. Anscombe )
Tolstoy, Wittgenstein, Schopenhauer: Some Connections (E. B. Greenwood )
A Religious Man? (Norman Malcolm )
Wittgenstein in Relation to His Times (G. H. von Wright )

Notes on Contributors

Acknowledgements

Index
 なにせハードカバー4冊のセットだから高価。$600 / £395 というとてつもない値段が定価である。日本のamazon経由でも入手可能だが手数料まで合わせると約8万円。素人マニアにとっては超絶的な領域の書籍であることは間違いない。ペーパーバックになるのだろうか。清水から飛び降りた直後にPB版が出てきたりしたら、それだけで骨折も複雑化して立ち直れそうにないのが恐いところだ。
   サーフィンを続けていると、アイルランドのLimerick大のサイトでJohn Hayesさんが書いたDruryとウィトゲンシュタインの評伝的小論が公開されていたのを見つけた。

   WITTGENSTEIN'S 'PUPIL': THE WRITINGS OF MAURICE O'CONNOR DRURY

   斜め読みして面白そうに思えたので、テキストファイル(Unicode)に落としてから、Wordで整形し印刷した後じっくり読んでみた。A4サイズで約30ページ。Druryは1907年生まれで、ケンブリッヂ入学は1925年。1929年(ケンブリッヂ復帰の年)にウィトゲンシュタインと出会い、以降ウィトゲンシュタインが死ぬまで交際を続けた人物だ。Hayesさんの文章は考証が詳細ではじめて知るようなことも多々ありとても刺激的であった。特にバートリーの「LW=ホモセクシュアル」論に対する異議はモンク評伝以降でもあり面白い論点の一つだろう。あと、ウィトゲンシュタイン=躁鬱病者という見方についても様々な指摘を列挙しつつ検討している点も興味深く思えた。    いずれにしても、The Danger of Words という本はどうしても読みたい。とますます思えてきた。でも焦ることはない。先の8万円本も同様だが、待てばきっとよいことがあるに違いない。たぶん。  


12.形而上学者ウィトゲンシュタイン (2002/4/2)

 ウィトゲンシュタインに対する関心は欧米に比べて日本ではそれほど篤くない。それは研究書の出版点数をamazon.co.jpなどの書籍リストで比較すれば一目瞭然であろう。そういう中で、久々に分厚い書籍が出版された。細川亮一の『形而上学者ウィトゲンシュタイン』がそれだ。著者によればウィトゲンシュタインを「形而上学者」として示すこと論証することがその論の目的である。そうした論証が成功しているかについては個々の読者に任せることにするにしよう。ただ、個人的な感想をいえば、ウィトゲンシュタインが形而上学者であるかどうか。というのは実に些細な問題設定であると思える。だから、彼の論証が成功しているかどうか。ということは僕的にはどうでもよいことの部類に属する。

 なぜ、「ウィトゲンシュタインは形而上学者であるか否か」という問題設定が些細な問題であるのか。それは「形而上学者」の定義をウィトゲンシュタインを含められるように設定すればLWは形而上学者だといえるし、そうしなければLWは形而上学者だとはいえない。それだけのことだからである。だから著者の議論の正しさはそこで論じられているウィトゲンシュタインの哲学の意味内容とは無関係に決定され得る。

   あと、ウィトゲンシュタインを問題とする場合、技術的にみていくつか留意すべき点があると思う。たとえば以下のようなことがらである。
・草稿の類を引用する場合はそれが決定稿でないことを常に念頭におくこと。
・草稿が書かれた時間軸に留意すること。
・特に1910年代の考察と1950年代の考察とを併置するようなことは常識的に避けること。
・別々の草稿ブロックを勝手につぎはぎしないこと。
・第三者の発言記録にはその真偽に記憶違いなどの余地が残されていることを忘れないこと。
・などなど
 これらの観点から不満に思える点がいくつかある。

 いずれにしても、大部な書物であるからその全容を細川が言いたい通りに解釈するのはたいへんなことだと思える。それ故に、初学者がこの本に圧倒されて「ウィトゲンシュタインは形而上学者である」と思いこむこともあるだろう。そういう事態はもとより著者の望むことではないだろう。しかし書籍の立派な体裁はそれを助長するものである。

 この書物に書かれたことについての疑念や反論は結局のところ、「形而上的」「形而上学的」「形而上学者」といった語彙の用法の問題に落ち着く。異議を示したとしても結局、私の語法は細川の語法とは違うということを事実的に示すことにしかならない。この意味で問題設定がすべてであった。


13.独我論 (2002/8/1)

  20世紀の哲学の中で、ウィトゲンシュタインは「独我論」を繰り返し問題にしていたという点で特異だといわれる。「独我論」はいわば形而上学へのゲートウェイとして現実的な記述から形而上的彼岸の記述へ移行するための通過点に位置すると考えられており、この独我論の解明こそが、ポスト・ウィトゲンシュタイン的な形而上学を展開するためには必要不可欠である。という認識が一部になされていると思われる。たとえばそうした論者の最右翼は永井均であろう。細川亮一もまた観点こそ異なるが、独我論を軸にLWを「形而上学者」とみなしているという点ではさほどの違いはない。

  LWが独我論者であったか否か。という問題があるとして、論者の多くは、『論考』の 5.6「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する。」以下にことさら着目し、LWは独我論者である。あるいはその強烈なシンパであると談ずる傾向がある。たとえば永井均は『<私>の存在の比類なさ』所収の『ウィトゲンシュタインの独我論』の最後で「ウィトゲンシュタインは前期には独我論的であったが、過渡期の独我論論駁をへて後期には独我論を捨てた、などという俗説はただ愚劣と言うほかはない。」と断言しているほどである。ただ残念なことに、永井のその文章の中では『探求』のなかでLWがどういうスタンスで独我論を扱っていたかについては、「余裕がなくなってしまった」ため触れられていない。

  永井が批判するような後期のLWは独我論を捨てたというのはおそらく黒崎宏であろう。ところが黒崎は彼の最新刊『ウィトゲンシュイタンと「独我論」』で「俗説」を『青色本』や『哲学探究』を跡づけながら持論を詳細に展開している。この本を読むと、永井の文章に触発されたとしか思えない節がある。といいつつも、それはいずれにしてもどうでもよいことであろう。たぶん。

  一読者として、永井や黒崎の「ウィトゲンシュタインの独我論」の解説をよみつつ、彼らの解説が面白く思えないのは、両者とも持論の維持・展開という目的で議論を進めるがゆえに、議論内容がある種「ディベート」的な様相を呈しているからなのだ。永井の場合は彼独自の「独在論」を展開する際にあたって、LWは「独我論者」でなければならないという前提が見え隠れする。方や黒崎は自らの禅仏教的世界観である「無我」の理解との整合性の観点から、LWには「独我論者」であってほしくない。という前提があるように思われる。

  合目的解釈とオリジナルなテキストとは多分何の関わりもない。解釈はどのようにでも可能であろう。だから、ウィトゲンシュタインの「独我論」の解釈としてどちらがより妥当であるとか正しいとかいう判断はしないが、論者は自らの議論がある種の「目的」によって引きずられているかもしれない。という点にもっと危惧感をもって再帰的に眺めてほしいと切に願う次第なのである。

  最近の独我論に関連する書籍としては、Louis A. Sass の『The Paradox of Delusion』が面白い。読みかけでまだ半分程度しか読んでいないのだが、とても示唆に富んでいる。この本は19世紀ドイツの裁判官であったシュリーバーが性倒錯的分裂症になりつつ記した『回想録』をウィトゲンシュタインの独我論をめぐる考察から透視してみるという内容。さらにいえば、分裂症を独我論的認識とみるととてもよく説明できるということだから、逆に言えば(ここからは私感だが)、独我論者は分裂症的であるともいえる。で、さらにいえば、程度の問題を度外視すれば人間の本性は誰しも分裂症的であるのだとすれば、健常者で構成されるはずの社会において個人はみな程度の差こそあれ分裂症者で妄想的であるといえるのではないか。

  Sassの指摘で面白いと思えたのは、独我論者は「経験」を「経験」する者だという指摘だ。「私は私の経験を経験する」という二重的な経験で外的世界に接している者は外的世界との接触で生起する一次的な私の経験を経験する二次的な経験をみずからの経験であるとしているように見え、当の外的世界から自己内の経験の二重壁によって遮断されている。だから、かような者に対していかなる反駁も加えることはできないともいっている。哲学的認識論はこの観点でみればすべて「経験を経験する」思索の一形態であるといえる。実は分裂症者の経験はまさにそのように経験されている。

   ブースマとの会話の中でウィトゲンシュタインはデカルトのコギト(われ思うゆえにわれあり)について「時制が混乱している。われ思う。と現在時制で言うことはできず、われ思ったとしかいえない。」と言っていた点はこの「経験」の二重性を突いている。つまり「私は考えた」という過去の私の経験を認識論的に「考えること」として追体験的に経験してそれは表現されている。ということだ。また、たとえば私的言語の問題とはこの「私の経験」に対する「名づけ=(言語ゲーム)」の問題だとも思える。

   LWがある日泊まった宿屋でそこのマダムがLWにお茶を飲むかどうか尋ねた際、宿屋の主人が「そんなことは尋ねなくてもよい、入れて差し上げればいいのだ」と言ったということをとてもよい経験として語っていた。という逸話があるが、ことばを挟まない行為を無上の行いとみる傾向がLWにはあった。経験を思索によって反芻するのではなく、ただただ行うことを行う。ということを無上とみなす。そういう傾向がLWにはあった。その種の行いに哲学は明らかに含まれないが、、哲学があってはじめてそうした行いが無上のものとみなされるのでもある。

   Sassの本を読んでいて思うことがあるとすれば、独我論的なことがらは、そう簡単に理解できることがらではない。ということだ。なぜなら、思索と妄想の境界線はあいまいでむしろ思索とは本来妄想とおなじ精神回路で構成されているのではないか。妄想と思索とを切り分けるのは言語ゲーム的視点(妄想と思索とではゲームが異なる)ではないのか。精神病理学はある種の精神状態を正常とし別の精神状態を病理とする言語ゲームではないのか。Sassの著書を読んでいると、独我論的な視点への考察が単に哲学のある部分に留まるものではないことがわかる。実は人間の精神に対する広範な知識と理解こそが深い考察に必要であると思えるのである。Sassの本は例外的だが、こういう点では、ウィトゲンシュタインの解説本の大半は考察の広がりの欠如という点でまったくもって面白くない。    





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