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講義録ノーツ (1930~)


1.このスレッドについて (2001/1/18)

 このスレッドでは、ウィトゲンシュタイン(以下 LW と略す)がケンブリッヂに復帰した1929年以降の会話や講義録などを気がつくままのテーマに引き寄せて読み直してみようと考えています。以下の書籍・著述を主導テキストとしたいと考えます。

 ・倫理学講話(全集5)
 ・ウィトゲンシュタインとウィーン学団(全集5)
 ・ウィトゲンシュタインの講義録1930-1933 (全集10)
 ・心理学および宗教的信念についての講義と会話(全集10)
 ・ウィトゲンシュタインの講義1930-1932 Ⅰ(勁草書房)

 これらのテキストは、LW自身が記述したものではなく、ヴァイスマンやムーアさらに彼のクラスの学生たちの筆記によって記録されたものであります。それ故、LWの思想理解という観点からすればその読み込み理解は結局厳密性を欠くことになる。という風に私は考えていません。むしろ、筆記者の視点や記述時の理解や解釈など複数の観点を通してLWの発言を読み直すことで、ある種、立体的な視野やそれに伴う理解を得ることができるのではないか。そして、その立体的な視野は、LW自身の著述を1対1で読む場合に生じがちとなる独善的な解釈を抑止する役割を担ってくれるのではないかという期待があるからです。だから、いわばLWを取り巻く口述筆記者の諸氏やLW本人の記述を通して顕れるであろう記述相互の齟齬こそを期待したいと思うのであります。

 それと、予め自己確認することがあるのだとすれば、ここでこれから書き記すことは、私の既知の知識を披瀝することが目的ではありません(そんなことは不能です)。白紙状態で読み進むその時々のメモを記す事だけがここでの作業の全てで、それ以上でもそれ以下でもありません。だから、もし仮にわたし以外の人がここに「講義」的な何かとか、「説明的」な何かを期待したとしてもそれは見当はずれ、あるいは期待はずれになるであろうということを注意書きとして明示しておきたいと思うのであります。これは、このページ以外のすべてにおいても同様であると言えます。過去2年間程度このような作業を続けてきて実感することがあるとすれば、書き記すことは全くもって重要であるということであります。文章を読むだけの理解と何事かそれについて書き記し終えた際の理解とではずいぶん異なるのだ。というのがこの2年間での発見であります。そんなことはあたりまえであるはずであったのに。今更気がつくなんて。というところです。



2.G.E.ムーアの講義録 (2001/1/19)

 G.E.ムーアの講義録は、1930年から1933年の講義録をムーア自身が議論のテーマ毎にまとめる形で記述されている。この意味で、それは速記録的な記述ではない。また、この論文は1954年から1955年にかけて『マインド』誌に4回に分けて掲載されたものが元原稿で、その後加筆訂正の後、1959年に出版されたムーアの著作、『Philosophical Paper』の最終章に挿入されているものが全集本の翻訳原稿として採用されている。

 このムーアによる記録は、1930年から1933年位まで、LWが実際の講義で何を語っていたかを理解する上において、極めて要領の良いレジュメになっていると考えられるのであるから、それを最初の取り上げて概観したいと考えている。

 まず、この記録は、三つの節に分けられている。第一節では、講義全般の概観が述べられる。第二節では、3+3=6 という演算、あるいは記述、ルールの問題について語られる。これは『哲学探究』の201節に代表される、ルールとその解釈の問題に直結する議論である。この意味で、201節の問題をクリプキ的にではなく、ムーア的な視点、理解を眺めることが出来るという意味ではとても興味深い記述である。分量的にも比較的大部である。最後の第三節では、細々とした問題点がテーマ毎に概括されている。LWが自ら『論考』をどのように批判したのか、15年以上前、ラッセルらと議論していた時期のどこが誤りであったのか、また、「歯痛」に関する議論、独我論・観念論、倫理、「神」、美学などについての議論について述べられている。



3.共観的に話すということ (2001/3/7)

 『ウィトゲンシュタインの講義1930-33年』 大修館版全集 10巻10頁

 ... わたくしには、かれの用いた例や比較の驚くべき豊かさを正当に扱うことなどとてもできない。かれは、誰しも知っている事柄の「共観的(シノプティク)」なみかたとみずから呼んでいたものを、本当にうまく提示していたのである。また、わたくしは、かれの述べるあらゆる事柄に伴っていた確信の強さに対しても、あるいは彼が聴講者の中に喚び起こした極度の関心に対しても、これを正当に扱うことができない。かれは、もちろん、一度も自分の講義草稿を読んだりしなかった。実際、彼が講義草稿を書き出したことなどない。自分が言おうと思っていることを考え抜くのに、いつも多大の時間を費やしてはいたけれども。
 G.E.ムーアがいみじくも証言しているように、LWにおいて「共観的」に話すという態度が重要であったということは再確認されなければならないと思う。もう一つ重要なことは、1930年の『倫理学講話』に記されているような講演を行った時点で、LWは、「絶対的な何か」は共観的には話し得ないことがらに含まれている。と考えていたということだ。後に「言語ゲーム」という視点で様々な問題を見つめ直すに至っても、この考え方が放棄されたとは私には思われないのである。というのも、絶対的と思われる何かを「言語ゲーム」の俎上に乗せたら最後、それは絶対的な何かとして扱うことを放棄することである。と考えられるからである。それは沈黙の中にあえて留めておかなければならない。比喩的に言えば絶対性は沈黙で冷凍保存しなければならない。取り出して語ってしまった時点でその絶対性は(命題の否定によって)揮発してしまうのであるから。
『マタイ伝』12.31

 だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、精霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、精霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。....(36)あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである。
 許されない言葉がある。のだとすれば、それはどのような言葉であるのか。もちろん、ここで福音書の注解を行おうとは考えない。ただ、LWが最後の審判を非常に恐れていたとするなら、自らの言葉から無益な言葉を振り払うべく徹底的に考え抜こうとしていた。そこにかれの信念の拠り所があったのではないか。と私には思えるのである。また、それゆえに、LWは自らの確信を意識的に命題化することを避けていた。だから、彼の信念を彼の口から聞くのは難しいのではないか。そこにLWの思想の難しさがある。ところが、彼は確信を持って何事かを話すことに情熱を捧げていたのも事実であろう。それこそが共観的な事柄=事実として考えられることなのだ。

 『ウィトゲンシュタインの講義1930-33年』 大修館版全集 10巻11頁

 ... かれはかなりの長きにわたって、とくに(2)の中で、言語に関するある種のきわめて一般的な問題を論じた。しかし、かれは、一度ならず、自分がこれらの問題を論ずるのは、言語が哲学の主題であると考えているからではない、と述べている。かれは言語が哲学の主題であるとは考えなかった。かれが言語を論じたのは、単に特定の哲学的誤謬ないし「われわれの思想のもめごと」が、諸表現の現実の用法によって、暗示される悪しき比喩に由来する、と考えたからにすぎない。だから、かれは、自分にとっては、こうした特殊な誤謬ないし「もめごと」に連なっていると思われる言語上の論点を論ずることが必須となったにすぎない、と強く述べていた。  
 一部に、LWのいう「言語ゲーム」を言語化された言葉全体。人の発語し得る全体として概念化して捉える見方があるようだが、私にはそれはあまりに酷すぎる理解であるように思われる。なぜなら、それでは誤謬も理解も意味も何もかも「言語ゲーム」の中に沈殿させ固め込んでしまうだけであるから。LWは言葉を用いて表現される正しきこと悪しきことすべてを「言語ゲーム」という概念として容認していたわけではない。誤謬は排除されなければならないと考えていたことは確かなことである。人の言葉からいかに無益な言葉を排除するかが問題であったはずなのである。なぜなら、そのような誤謬は言葉の表現から共観性を奪うだけであるから。それはすなわち、言葉を無益にするだけであるから。彼は何が誤謬であるかを公の場で明らかにする(それが彼の哲学の意味であった)ためにこそ、まさに共観的な表現に固執して考え続けていたのである。だから先のような概念理解では後期LWの努力のほとんどを無にしてしまうことになるであろう。彼は言葉の中から無益な言葉を見いだすための基準、ルールを確認するためにこそ、言葉の扱い全体をゲームとたとえて見つめようとしていたのである。「言語ゲーム」はこの意味で言葉を凝視する際の眼差しに関わる単なる比喩でしかなく、カテゴリーのように含む含まれないとか内と外などに関係する「概念」などではないのである。しかし残念なことに、一部の理解者の風説によって、LW本人の意図とは全く無関係にそれが彼自身が嫌った悪しき比喩に転落してしまっているのではないか。私にはそう思われるところがある。私はそういう議論を目にする度に言葉をなくすのである。

   もうひとつ。よく見受ける印象批評。「言語論的回転」? 

   比喩と概念とを混同してはならないと思える。聖書的な文化の影響下にある思想は比喩を比喩として理解するための思考訓練を受けた人によって展開されるものである。それなのに比喩と概念とを混同すれば、そこでの理解はいったい何でありえるのか。

 このスレッドでは、LW本人とその周りの人々の一次的な証言だけを取り上げようと思う。本来的には翻訳を経ないで原典を参照すべきであるのだが、時間的な問題都合からそれは不可能なので断念せざるを得ない。


4.疑似概念(2001/3/16)

 amazon.com でWittgensteinという語で検索すると約800冊ぐらいがヒットする。欧米ではハードカバーとペーパーバックという出版形式があるし、同名タイトル本が複数の出版社から出されることもあるから、実際に入手可能なLW関連本は実はその半分程度であろう。日本の場合はどうか。amazon.co.jpで調べる限りでいえば、現時点で日本で入手可能なLW関連本はせいぜい80種類程度だが、神保町の三省堂や新宿の紀伊国屋、日本橋の丸善とか主立った書店の店頭で入手可能なものは多くてもせいぜい10~20冊程度でしかない。昔なら店頭に無ければ無いのかぁ。とあきらめてしまったものだが、今はネット検索ができるので、検索結果を見るたびに、ううむ、と唸ってしまう。amazon.de で調べれば、amazon.comでさえ扱っていないドイツ語書籍を調べることができるし、注文さえすればそれらは数日後には入手可能でさえある。しかし、何がどこから入手できるかがはっきりしたとしても、読むのか?読めるのか?ということは全く別問題である。さらに、理解するのか、理解できるのか。はたまた、結果としてそれは読むに値するものであったのか。となれば、気が遠くなるくらい先の問題だ。

 僕がLW関連本、特に解説本を熱心に読んでいたのはせいぜい85年までのことで、そこから97年頃までは空白だ。全集本は81年に全冊一気に購入した。大学の生協というか、購買部に学部生みたいな顔して初給料で。であったと記憶している。うーむ。しかし(評伝本は別だが)、残念ながら感心するほどの精緻さと網羅性を備えた解説本にはいままで出会ったことがない。仕事に就いてからも、解説本は可能な限り読んではみたが、85年頃を境にパッタリと読むのを止めてしまった。といっても法政大学出版局版の『論考』と青土社の旧版の『版哲学的断章』だけは気が向いたときに拾い読みをしていた。

 再び、熱心に精読するようになったのはついこの2~3年のことだ。きっかけは、98年にレイ・モンクの評伝本を買えるほどの余裕という間隙が一瞬生じたことだ。その上下巻で1万円という本に手が出せる状況を長い間作れないでいた。そのモンクの評伝を読んでみて、それまで長い間懐いていた漠としたLWの思想の理解の裏付けが取れたような気がした。ちょうどインターネット上にHomePageも作ってみようか。と考えていた時期でもあり、一種の総決算として何事かを始めてみようという気になることができた。カラマーゾフを再読したのはモンクの評伝を読み終えた次であったかと思う。

   もう一つ付け加えて言うとすれば、いわゆるLWのケンブリッジ復帰は1929年で1889年生まれの彼の後期哲学は40才代になされたのだけれど、幸か不幸か僕自身も同様の年代に達しており、なんというか、それまでとは違い、経験的にLWが言っていることを理解できる。そんな印象を最近強く感じるようになっている。若いときには、とにかく図式的に考えがちであった。観念的になりがちであった。青々しい抽象語に理解を託して、なにごとかを(たとえばLWの思想を)理解したつもりになりたがっていた。ところが最近ではそうした観念的傾向などはもうどうでもよい、と考えるようになっている。歳を取るということにはそういう傾向を持たせるなにかがあるのかもしれない。他の人がどうであるかはよくわからないが、僕においてはそういう傾向が強くなっている。この意味で、LWの後期思想は「中高年の哲学」という趣があるかもしれない。対比して言えば『論考』は青年の哲学といえるであろう。実際LWは20代後半、それを塹壕の中で書いたわけであるし、その抽象度の高さと構成主義あるいは図式性の強さは、「バベルの塔」のごとく天をも突き抜かんとする意志によって支えられていると感じられるのである。

*


 一般的に、LWの思想は大きく二分して眺められている。『論考』の時代を「前期」、『哲学探究』の時代が後期と呼ばれている。二人のLWがいるという人もいる。さらにその間に「中期」があると考えている論者もいる。この場合、LWは3人になってしまう? このような区分けは、喩えていえば、「カンブリア」と呼ばれる年代区分けみたいでなにかとても不思議な印象がある(^_^)。上塗りして言えば、第一次世界大戦の復員後からケンブリッジ復帰までの間はLWの氷河期であったということなのであろうか。

   デズモンド・リーがまとめた講義録(邦訳書:ウィトゲンシュタインの講義1930-1932 Ⅰ:勁草書房)をざっと読み通してみると、『論考』を書いて約10年を経過した後でさえなお、『論考』の主導的な考え方や思考手続きが講義で話されている。「写像論」的な考え方も生で話されているし、また命題を論理的関数になぞらえているところもある。そこには明らかに『論考』の著者がいる。『探究』の筆者はまだ沈黙しているかの如くである。ところが「言語ゲーム」という見方がすでに1930年の時点において登場している。という点が面白い。「言語ゲーム」という見方は1946年に突然考えついたのではないということだからだ。

   もっと面白いと思われる論点がある。それは、概念と疑似概念とを区分するという考え方だ。「人間」は概念であるが、「数」は疑似概念である。あるいは、論理的概念は存在しない。という言い方がされている。LWは「概念」を「科学」に属する思考フレームであると考えているように見える。ああ、これは少し外れているかもしれない。

   G.E.ムーアはその証言の中で 3+3 = 6 についてかなり突っ込んだ書き方をしている。LWは3+3=6 という考え方について、その計算が6となる。という考え方をある観点から拒絶している。そのようなLWの考え方についてムーアは「不快」感を示してもいる。おそらく、LWの 3+3=6問題について、LWは、6は「数」であり、その「数」は疑似概念であって、概念ではない。というところを論証しようと考えていたのではないだろうか。LWが言う疑似概念はとても風変わりで理解しがたく思われる。


5.共観的に話すということ -2- (2001/3/21)

 「共観的(synoptic)」について、私は「人が話し合う場で誰もが事実として理解し合えるような」という意味で解している。それはもちろん、同一理解を共有する。ということではない。理解の多様性を相互に認めつつもある種の相互理解を共有できることというようなニュアンスで捉えている。

 
『反哲学的断章(新版)』P.96 1937年

.....神は、神の子の生涯を、四人の福音書家に報告させているが、報告はそれぞれ食い違っている。 --- だが、こうは言えないだろうか。重要なのは、その報告には、ごくありふれた「歴史の確からしさ」以上のものがないということである。というのもそれは、その報告が本質的で決定的とみなされないための配慮なのだ。それは、文字が分不相応に信じられないための配慮であり、精神・霊(ガイスト)が分相応に認められるための配慮なのである。つまり、君が見なければならないものは、きわめて精確な最高の歴史家によってすら伝えられないものである。だから、平凡な記述で十分なのだ。いや、平凡な記述のほうが好ましい。というのも、君に伝えられるべきものは、平凡な記述でも伝えることができるのだから。......
 この記述は、1937年のもので、1930年からすればずっと後のことである。が、しかし、「共観的」ということを端的に説いていると思われる。ただ、ある別の信仰から「ガイスト」が信じられていないとしたら....。平凡な記述はどこまで人に受け入れられるのであろうか。そのとき、人はもっと難しい「言葉」に翻訳し直してしまうのではないか。


6.疑似概念と文法  (2001/3/22)

 きっちり調べたわけではないのだが、疑似概念(pseudo concept)という語は、デズモンド・リーのノートにしか現れてこないようである(後に訂正する可能性有り)。この語は、リーがノートを取る際に、一般的な「概念」と対比して、LWが問題としているややこしい問題を「疑似概念?」とノートに記したのではないか。そういう印象を受ける。G.E.ムーアの記述はより論理的で、語の意味と命題の意味を分けて考えること、さらに命題の意味を考える際には、その命題の文法(的構造)がそこで使われている語の意味を決定・定義・構成・固定するとLWは述べていた(全集10巻P.11)と記している。語は命題という文法的システムに属することで有意となる。ということである。さらにムーアはLWの「意味論」に揺れがあったことを観測者の不安定さを認めつつも記している。おそらく、記述された命題とその(独我論的?)理解者さらには二者・三者間の相互理解まで射程に捉えると、意味とは何か。と定義的に言明することはLWにおいても容易ではなかったのであろう。

 では、デズモンド・リーの記述はいい加減なのか? そうではない。つまり、LWが問題としていたのは、「色」や「数」「もの」「複合」など、ある種の語、シンボルはたとえば「人間」という語の扱いと同列に置いた上で概念化することができない。そういう種類の語があるのだ。という点を明示するという点では十分に明快さを与えていると思われる。

 LWの言語感覚、あるいは嗅覚において、特にこの時期、「否定」「無限」「イメージ」などという語の扱いに特異性があることを承知しておく必要がある。それらは一般命題の中にさえ簡単に顔を出すが、少なくともLWにおいてはその語法はマーキングし特別扱いしなければならないなにかであった。ただし、多くは『論考』の延長線上的な扱い(つまり『論考』を参照する必要があるということ)。

 「概念」について、LWは少なくともこの「疑似概念」とは別に2つを考えているようである。ひとつは「論理的概念」。LWの確信・確言の拠り所であり、美的感性のコア。「真」とか「偽」等。概念を構成する要素など無く、内とか外とかとも無縁である概念。もう一つは「一般的概念」。ある記述を参照することで、含む、含まれないといった識別が可能な「概念」。ほ乳類や人間などはこの一般的概念に含まれる。おそらく「科学」の守備範囲であり、各論で片が付く領域。『論考』はこの論理的概念と一般概念とだけで世界を構成する書物であったのではないか。と特徴づけられるかもしれない。論理実証主義はこの2つの概念だけで自活できるはずであった。科学的な視点から見られた事実とはそのようにして概念分析・分類し得る。しかし、そのいずれでもない概念が実は日常語の中でさえ横行し、さらに科学的な視野を曇らせる言語上の混乱を生じさせている。この混乱の元凶である語とその概念を一括し名付ければ「疑似概念」と呼び得るのだろう。そして「疑似概念」の位置づけを文法(おそらくこれは論理的概念)でまさに位置づけ直そうとしていた。と思える。ただ、「疑似概念」とおぼしきものを個々に文法の枠内で捉えようとすると、個々の概念はまったく別の扱いをせざるを得ないため(たとえば、数と色とでは同じ扱いが出来ない)、それらを一括して「疑似概念」として括ることができない。だから、この「疑似概念」というタームをLWは講義で実際に用いたが、後で訂正し放棄したというようなことがあったのかもしれない。

   見通しをたてようにも現時点での私の理解は錯綜しているのでうまくまとまらない。といっても、ムーアのように生で講義を聴講したわけでもなく、詳細な情報が欠落し尽くしたところにいるのであるから、もうすこしまとめようがあるような気もするのであるが。あとひとついえば、この文法は適用という観点からゲーム、ルールという後期の主要テーマにつながっていく。本来なら、革命後の世界に立ってその過程を概観するという見方が望ましいのだけれど、ミステリー小説を結末から逆に読み返すようなことはとりあえず遠慮することにしたい。私の読書法はいつも頁順繰りであったことでもあるし。


7.問いを有意とする根拠  (2001/3/22)

 分析哲学者の主要な仕事は、人の思考を混乱させることがらを分析解体しその概念明瞭にすることである。と考えられている。ただ、そのための手法や、手続き、視野、視点など準備鍛錬すべきことがらをつぶさに検討することなしにそれははじまらない。分析者を金縛りしているにも関わらず当人にそれを気づかせないような暗黙の前提。それに気づかないまま議論を進めることはさけなければならない。ところが、たとえば日常語としての母国語理解こそがその前提なのだと認めるなら修練は容易ならぬ事である。
   
 【概念】『三省堂・大辞林』より
1.ある事物の概括的な意味内容。
2.事物が思考によって捉えられたり表現される時の思考内容や表象、またその言語表現(名辞)の意味内容。

「概念」とはいわば「ちょっと高級な意味づけ解説」という程度の意味であろう。概念という語で語の意味を深遠に「語らなければならない」という状況は日常的にはまれである。しかし、次のような問いに遭遇したらどうであろう?

~とは何か?


 このような問いを深遠に受け止めざるを得ない状況では、その問われたことについて「概念」を答える側は提示しなくてはならないだろう。もちろんそういう状況は特殊ではあるだろうが、ないわけではない。自問自答の場合でも。

   対話というシチュエーションでは、このような問いこそが「概念」を生成する契機になる。問いが立てられた以上、答えなければならない。というリアクションによって概念は生成される。動的にはこのように言えるが、命題レベルで静的に見つめるならば、「~とは何か?」という問いこそが概念を予定している。問いがあれば答えがなければならない。このとき、この問いを有意にするのは疑問文を構成する文法である。

   
 『論理哲学論考』法政大学出版局版 P.198
6.5. いい表すすべのない答えに対しては、また、問いをいい表すすべを知らぬ。「これが謎だといえるものは存在しない。そもそも、ある問いが立てられるものなら、それに答えを与えることもまた可能である。
6.5.1. 懐疑論は論駁不可能なのではない。というより、問うことの出来ぬところに疑いをはさもうとするゆえに、それはまぎれもなく、ナンセンスなのである。なぜなら、疑いがなりたちうるものは、問いがなりたつときにかぎり、問いがなりたつのは、答えが成りたつときにかぎり、答えがなりたつのは、なにごとかを語りうるときにかぎるから。

   6.5.1.の「語り得る(sagen)」何かとは6.5.3にあるように、自然科学の命題のみである。哲学的命題(ただしこの哲学とは主に「形而上学」が想定されている)はsagenの対象とはならない。というのが、6.5.1.の趣旨なのである。6.5.1.は総じて反語的表現である。

   6.5でいう、「答えを与えることもまた可能である」という表現は曲者である。なぜなら、ナンセンスな答え(命題)もまた可能であるから。問いが生成する答えが常に有意であるとは限らないということも含むのである。

   問いは文としての疑問文が記述される場合の記述の文法に対する合法則性によって有意性が担保される。有意な疑問文はその疑問に対する答えを(誰かに、あるいは自問する場合は自らに)要求するが、答えは意味論的な可能性から、不能、無意味、有意味などの場合がありえる。もちろん、答えは文法的な合法則性が明らかである場合に有意となり得る資格を得る。ムーアの文章を読んでいくと、ムーア自身は問いの文法的合法則性の立場に近い場所にいるように見える。しかし、ムーアの視線に映るウィトゲンシュタインの答えは錯綜している。また、ムーア自身が報告者として「わからない」を連発するので、読者としては大いに戸惑うばかりであるが、少しずつでも読み解いていきたいと考えている。  


8.文法の役割  (2001/3/26)

   文法は命題に対して「ア・プリオリ」であろうか?

   国文法にせよ、英文法にせよ、言語学・国語学的に記述された文書は経験に基づく抽象の一例であって、ここで問題とする文法、限定的にいえば1930年前後にウィトゲンシュタインが文法として考えていた何かはそれらとは同一ではない。

   言語学的な文法は、いわば社会学的な「文法」であるといえる。ことばが用いられている現場から用例・典型例を取材抽出し、整理分類し体系化すること目的とした結果の文書だといえる。その文書は命題記述(あるいは発語)のためのルールに関わる文書である。人はルールとしての文法を参照することで、(発語された)命題が一般的な用語法に準じているかどうかを確認できる。文法に違反している命題は、ルール違反を理由に無意味であると断じてもよいと考えられている。

はおでとし。たすわこ


などと記述しても意味不明であろうけれど、文字を並べ替えて「わたしはおとこです。」とするなら、意味が「浮かびあがって」くる。この種の操作はアナグラムとしては知られている。が上例はそのアナグラムにさえなっていない。

 ことばが有意であるということは、その語(語、文字あるいはグリフ)の配置によって定まる。意味の違いはその配置の違い(配置される要素の違いも含む)でもある。しかしその配置の組み合わせは文法ルールを参照することで命題表現の有効・無効を「文法的に」判断できる。

 文法は、グリフの配置ルールが基本である。何をグリフとするか、つまり配置すべき駒・要素選定のルールもその文法ルールに含まれるのかどうか。

   占星術は、この意味で言語的文法に似た文法記述の系である。占星術は天空上の星をグリフとして扱う。その星の配置から星座という分位を決め、さらにその星座の位置から天運・天命という意味を読みとる。このとき、「意味」の決定要素は恒星の配置とその天空上の位置だけでなく月や惑星の位置が重要な要素(変数的な要素)として扱われ、その悪性惑星の位置で意味合いも異なるものと扱われている。思い出せば、現在知られている星座の多くはギリシア神話伝承に基づいていることがわかる。この点を根拠とすれば、占星術はギリシア的である。つまりロゴス的である。恒星、星座にせよ、惑星にせよ、その動きは関数で記述できる。彗星もまた同様。流星は突発的である。日食、月食も計算可能である。がしかし、時代によってはそれを計算・予期できない時代もあったはずだ。

   星座、対位法、あるいは映像の文法など、グリフは文字だけに限定されない。歴史的にいえば数学は天文学の発達と同期している。

   グリフの合則的な配置に何事かの意味を読みとる。という傾向が人の意味理解の根底にある。だから、グリフの配置が合則的である限り、その表現は有意である。という認識のされかたは歴史的かつ一般的だと思われる。

 
*


  言語の数だけ文法の系は存在するのか、それらは個々に無縁で離散(翻訳不可)しているか。?

 文法の問題を言語学的・語学的な観点で一次的(即物的、言語現象的)に見るだけではなく、意味生成の過程あるいは表現手続きとして見るという視点もあるだろう。むしろ後者のような二次的な立場で考えるでのあれば、文法の問題は例えば語学試験で問われるような「文法的知識」とは無縁であり得る。ただしこれは、ある言語の文法をメタ記述することではない。もし、特定言語の固有文法についてメタ記述・記法が可能であれば、そのメタ文法には固有の文法が存在しているのでなければ記述は不可能。とすれば、メタ文法のメタ文法もまた可能でなければならない等々。メタ記述の試みは結果として果てしがない。この種の上位記述の試みに終わりはないのではないか。いずれにしても、ことばと文法の問題をメタ文法を構築するという手法で決着つける方法はn+1を想定する帰納法的な解決手法の正しさを前提としている。

 メタ記述という観点でいえば、『論考』では数式・関数を用いた一般命題がという考え方が採用されている。この手法は、20世紀初頭の「科学の時代」を特徴づける流行の表現手法であった思われる。物理学をはじめとして、数式・数学的な記述こそがメタ記述を可能にする。という共通認識があったと思われる。数学的記述は帰納法的な検証省力を実現しえる。つまり思考経済という観点にたてば、言語を関数として扱うやり方は経済的だ。n+1項を解決できれば、個々の命題の検証を一気に省くことができるのであるから。

 LWの1930年前後の講義録を読むと、「無限」という概念に対する考察(それは概念ではあり得ないとするもの)から、数式利用についての反省が始まるようである。つまり、どんな場合であっても、帰納法的な解決しかできないアイデアは、検証不能、つまり推論・仮定にとどまる。すなわち確言・定言も不能。よって真であるとは言い得ない。ということで、「無限」を含意する概念(無限そのもの)は論理的議論には持ち込み不能としているようである。「永遠の相のもとに」世界を直観する。の実践の一つが一般命題という考え方には含まれている。概念とはその直観に対する指さしなのではないのか。

   命題はその言語文法の参照によって形式的な合則性を保持していると判断されても、「無意味」であり得る。つまり文法違反がないという形態によって、命題は時として有意であることを偽装する。疑問文はその一例であろう。「絶対価値とは何か?」疑問文としては合文法的であるから、疑問文として成立する。さらにその問いに対する回答の存在をも予期させる。疑問が(文法的に)成り立つ以上、答えは存在すると予期させる。しかし、そこには落とし穴がある。というのがLWの視点・考えではないのか。

 


9.理解と解釈  (2001/7/3)

   LWの思想に根幹があるとすれば、少なくともその一つに、「確言する」ということはどのようにして可能となるのか。という問題解決の試みがある。と思える。言語は確言を表現するにどの程度耐えられるのか。『論考』の冒頭から『確実性について』に至るまでの足跡を、この問題解決の試みとして読むという視点があるだろう。

   この「確言」に関する視点からすれば副次的であるのだろうが、このところ私は「解釈と理解」の区別の問題について考えを巡らせている。語彙的に「解釈」と「理解」とは別語であるから異なる意味があるはず。ところがどうも、それらは混同されて用いられる(あるいは了解される)場合がある。「解釈」と「理解」は別意であるとしても、「知る(知)」や「了解」や「わかる」などといった類似語が多数あるために、結局混同されて用いられている。いや、むしろ混同的な用語法が普通であるのかもしれない。

   「解釈」と「理解」の差違を図式的に示すとすれば、「解釈」には特定された文脈(コンテクスト)が必須であるが、「理解」には特別なコンテクストは特に必須ではない。ということがあると思う。例えば「モナリザの微笑み」の「解釈」を行うためには、レオナルドの「モナリザ」のイメージがその解釈の前提として必要だろう。

   これに対して、「理解」はに必ずしも特定された文脈は必要とされない。「微笑み」の理解には「モナリザ」無しでも事足りるであろう。ということだ。とすれば、「理解」とは語の一般的な意味なのであろうか。定義とはどのように異なるのか。

   『探求』のアウグスティヌスの言語論(言語の学習に関する議論)にもあるように、「理解」もまた理解者の言語の習得という使用語彙について過去的文脈がなければ、語の意味が発語使用の現場の文脈に規定されるといえども、そもそも「言葉」を使用することは誰もできないであろう。この意味で、文脈規定される解釈と一般的な「言語(の意味)理解」とは別意である。とはいえそれらには家族的な類似性を見て取ることができる。

   文脈という観点で言えば、「理解」は極めて私的で恣意性が強い。あなたと私では異なる人生を経てきたのであろうから、同時代に住まうといえども、「理解」は異なる。しかしながら、言葉は語彙という点で言えば「異なる」といえるほど多様ではない。同一であるとは言えない。というだけのことだ。同一ではない。といって別物と言えるほど違うわけではない。これが「類似性」が意味することであろう。

   という訳だから、「思想史」的な哲学「理解」とは語の誤用を含む。「思想史」では解釈だけが行える。LWについての議論もまた同様である。ただただ解釈だけしかなしえない。

   LWの哲学は、この意味で「理解」に根付いた思想的表現が重視されている。もちろん、具体的な哲学的問題を論ずる際に、引用文脈を明示した「解釈」がなされる場合もあるが、その例はとても少ない。

   絵画は解釈的な傾向が強い(例:風景画)。音楽はこの点で「理解的」であろう。か? 音楽演奏では常に演奏者の「解釈」が問題とされる。もちろん、「解釈表現」が可能な演奏技術を持つ演奏者の場合に限られるが。

 

 
   ユダヤ人の「天才」には聖人しかいない。最大のユダヤ人思想家といえどもタレントにすぎない。(たとえば私のように)。わたしがそもそも自己の思想に際して模造しかしていないと自ら考えるなら、そこに一片の真理があるように思う。思うに、わたしが何らかの思想運動を企みだしたことなど一度もなく、それはいつも誰か他の人から与えられていた。........私が企み出すのは新しい模造なのだ。(1931年)。



   解釈に基づく生産より「理解」に基づく生産こそが重要だという観点から、しばしば、LWの哲学は独創的であると評価されてきた。ただ上述引用にもある通り、LW本人は自らの独創性の周辺を「模造」だという。LW的な観点から言えば、誰も「独創性」を発揮することはできない。いわば創造主のごときオリジナリティを誰も発現する事はできないだろう。この意味で、LW的な「独創」とか「理解」の到達下限はレベルがむちゃ高い。

   





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