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『倫理学講話』(1929-1930)について


1.『倫理学講話』について -1- (99/12/16)

 大修館版のウィトゲンシュタイン全集の第5巻に収録されている『倫理学講話』についてしばらくの間スレッドを連ねてみようかと考えます。

 全集の5巻目、『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』の巻末に「倫理学講話」と題された小文が含まれています。この小文はウィトゲンシュタイン(以下LWと略す)が一般向けに実際に行った数少ない講演の記録でもあります。(デズモンド・リーの記録に従えば、1929年11月17日、ケンブリッジの「異端の会」で行った講義であるという:ウィトゲンシュタインの講義I 勁草書房版9頁)ここで述べられている事柄は、全集の脚注にもある通り彼の倫理学に関するほとんど唯一の論文であるということ、さらにいえば口頭ではあるとはいえ生前に公にされた数少ない文章であるという点で貴重だと思われます。

 この小論は短いながらも注目すべき論点がいくつも含まれているので、その論点をざっとではあるけれど以下のように要約してみます。

 ・相対的な価値観と絶対的な価値観とは異なる。
  ・相対的な価値の判断は事実の叙述であるに過ぎない。

 ・絶対的な価値観は語り得ない。
  ・あえてそれを語るとすれば以下のような表現となる
   『この経験をするとき私は世界の存在に驚きの念をもつ』
   『何かが存在するとはどんなに異常なことであるか』
   『この世界が存在するということはどんなに異常なことであるか』
   『絶対に安全であると感じる経験』
   ただし、これらの表現はすべて無意味でありことばの誤用である。
  ・またこれらの表現を『世界を奇蹟としてみる』と表現できる。

 ・全ての倫理学・宗教的表現には一貫した言語特有の誤用がある。
  ・全ての宗教的な言葉は直喩または諷喩である。
  ・この種の表現を喩を用いずに語ることは不能である。

 ・科学的な事実の観方はそれを奇蹟として見る観方ではない。

 ・言語を用いて奇蹟を表現する方法とは言語自体の存在である。

 ・絶対的価値観の表現は無意味な表現であることを本質とする。
  ・絶対的価値観を語る話者は言語の限界への逆らいを行う者である。
  ・倫理学は科学ではあり得ない。
  ・倫理を語ることは人間の精神に潜む傾向である。
   ・この倫理的傾向は敬意を払われるべきことがらである。
   ・生涯にわたり、この傾向をLWはあざけることをしない。




2.『倫理学講話』について -2- (99/12/16)

 この『倫理学講話』はLWがケンブリッジ復帰直後の時期の講演会のために書かれ実際に一般聴衆を前に語られた内容の記録です。この点で当時のLWの思想のコアが端的にしかも解り易さを配慮して表現されていると思えます。

 率直に言えば、まずこの小論はLWが主著『論理哲学論考』の中で記したことがら、特に7節の『語り得ぬ事柄には沈黙しなければならない』という有名な一節のLW自身による解説になっていると指摘することができます。『論考』の戦略はこの「語り得ぬ事柄」(あるいは語り得ぬ事柄と語り得る事柄の境界線=言語の限界)をいわば形而下的な議論の枠で明らかにすることでした。ところがこの小論ではむしろ、形而上学としての倫理学の側から「語り得ぬ事柄(あるいは語り得ぬ事柄と語り得る事柄の境界線=言語の限界)」について語ろうとしているように考えられます。実際、LWは自らの経験を引き合いにしつつ、LW自身に言わせれば「無意味」な表現を露わにしています。LWは自らの形而上学的な観想を「無意味」と言い切ることで絶対的価値に関わる私的な表現を公的に無効な表現であると断じ、また相対的価値は事実の記述にしかならない。と言い切ることで私的な価値的表現と絶対的価値との峻別の一線を明らかにしているのです。その一線を彼は「言語の限界」と呼ぶわけだけれども、これこそがLWが『論考』で解明を試みた事柄であり、この小論もまたその延長線上の議論であるということができます。

 ただし、重要なことは、この「言語の限界」で語りたがる人間の傾向を、LWは「敬意」を払うべき事柄であると結語している点でしょう。決してあざけることはしない。とLWは重ねて言明する。無意味な事柄を自覚的あるいは無自覚的に語ろうとする人々への視線は審判者としての冷徹な視線ではない。ということです。ウィトゲンシュタインに関する解説書の多くが彼の哲学を言語批判あるいは「反哲学的」と評するけれども、LWは無意味な(絶対価値の表現を志向するような)言明を必ずしも退けるばかりの批判者ではない。ということなのであります。


3.論点(99/12/19)

 『倫理学講話』が提供するであろう論点をいくつかまとめておくことにします(暫定)。

  1. 「絶対価値」と「相対価値」。
  2. 不可知論
  3. 相対価値と一般命題
  4. 一般命題と否定命題、あるいは命令文。
  5. 形而上学的認識
  6. 比喩と宗教
  7. テキストの存在感
  8. 奇蹟という認識
  9. 語り得ぬ事を語ること。



4.ウィトゲンシュタイン的「無意味」(99/12/25)

 この『倫理学講話』では実に数多くのことが語られているように思われる。またそれはウィトゲンシュタイン思想の前半分の総括であるとも読むことが出来る。

 重要なことは、「論理学者」ウィトゲンシュタインは命題が指し示すはずの「事実」との関係成立を「命題の有意性」の基準として常に念頭に置いているということである。もしある命題が事実を指し示し得ていないならば、その命題は真ではありえない。この点を拠にしてウィトゲンシュタインは「比喩」を含むようなあまたの命題を「無意味」であると見なす。

 ただ、しかし、「絶対的な価値を含み持つような何事かを語ることを欲する人々の傾向」の発露としての「無意味な言動」をウィトゲンシュタインは論理学的には「無意味」と断じ退けるけれども、それに耳を塞ぐものではないと明言する。哲学や宗教でのことばの用語法にはある一定の言葉の誤用が含まれているという彼の指摘は、まさに先の「事実を写像する命題のみが有意である」とする彼の言語観による。

 次に重要なことは、「直喩」や「比喩」のような「無意味な表現」を可能とする仕組みが「言語」にはある。という指摘である。つまり彼の言語観からすれば「無意味」な表現でしかあり得ない「奇蹟」でさえも、もまさに「言語」によって記述できるのだ。ということである。ことばによって記述された命題の真偽を判ずるのは「観点」「見方」「常識」「科学」「宗教」等々による視点による。この意味では、「科学的な視点」は「奇蹟」を「事実」としてみる見方ではない。
 (ただし、ウィトゲンシュタインが「論理学的な視点」で「直喩」や「諷喩」を「無意味な表現」であると判断するならば、それは「宗教的な奇蹟」を「非科学的な事実」として扱う「科学」に類似しているといえる。おそらくそこに気がついたために前期思想のいくつかは放棄されるのである。)

 個人的な感想を付加して言うと、言語の形式。特に命題の肯定文と否定文の関係をフィジカルに見つめ直してみる意義は有ると思える。全ての肯定文は否定文に書き換えることが出来る。例えば

「東京は日本の首都である」「東京は日本の首都ではない」
「バナナは黄色い」「バナナは黄色ではない」
「神は実在している」「神は存在しない」
等々

言語の叙述形式は上記の例で示したとおり、全ての肯定的な命題は否定命題に、また否定的な命題は肯定命題に書き換えることが可能である。肯定文は否定文が存在する余地を残す限りにおいてその正しさは少なくとも否定文との対置において相対的である。もちろん、捏造された命題の多くは偽りである。だけれども、それを偽りとして論証するのは、どのような場合においても容易であるわけではない。絶対価値を定言するような命題が書かれたとしてもそれを否定形に書き換えることは容易である。この点からいえば、「絶対的に正しい命題でしかも否定形に書き換えることが出来ない命題を記すことは不可能」であろう。肯定・否定の形式は言語の構造の一部分である。


ウィトゲンシュタインは、宗教や倫理を巡る語法には、指し示す事が出来ない何かを表現するための「捏造された」用語法が組み込まれている。と指摘する。それは比喩、諷喩という形で露出する。総じてそれらの表現は「言語の限界で語る」と言うことなのである。つまり、言語にはそれらを明確に語り示すための語法が存在していないからである。既存の語法で語る限りにおいて、それらは常に言語内部からの告発(否定文!)の脅威にさらされているのでもある。しかしそのような表現に人々の意志や希望や想いや情熱を「象徴」して機能する可能性をウィトゲンシュタインは見て取る。そのような表現は「無意味」ではあるが尊重されるべき何事かである。というのである。

 比喩の用い方と言う点で、ウィトゲンシュタインは例えば、シェークスピアやワグナーを高く評価しないのは、彼らの用いる比喩の多くが世俗的であり明確に語るべき事柄をかえって比喩で曖昧にしている。という批判があるからだと思われる。これは一例であるが、いずれにせよ比喩と言語の限界という点に関するウィトゲンシュタインの視点はとても興味深い。ウィトゲンシュタインの遠近法はこの言語の限界という点に焦点が集約されていると思えるからである。


5.存在することば(99/12/27)

ウィトゲンシュタイン全集第5巻、393頁
さて、言語でもって世界の存在という奇蹟をあらわす正しい表現は -- たとえそれが言語の中にあるいかなる命題でないとしても -- 言語自体の存在である、と私は言いたくなります。しかし、そうだとすれば、ある時にはこの奇蹟に気づき、他のときにはそれにきづかない、ということは何を意味するのでしょうか。なぜならば、奇蹟的なるものの表現を言語による表現から言語の存在による表現へと移し変え、それによって私が語ってきたことはふたたび、われわれは自分の表現したいことを表現できないと言うこと、またわれわれが絶対的に神秘的なことについて語ることはいぜんとして無意味であるに過ぎないからです。
ここで、ウィトゲンシュタインが念頭に置いている「奇蹟」とは

   『この経験をするとき私は世界の存在に驚きの念をもつ』
   『何かが存在するとはどんなに異常なことであるか』
   『この世界が存在するということはどんなに異常なことであるか』
   『絶対に安全であると感じる経験』

と、彼がすでに語ったことを指しているわけであるけれども、それだけを意味するわけではないと思われる。もし、言い放ったことばに存在感を与えることで、その無意味さ克服することができるのだと信じていれば、ウィトゲンシュタインは、哲学的な言辞の中でもっと雄弁に無意味な事柄を語っていたに違いないであろうから。しかし彼はそうした語りを自覚的に避けていたことは彼の著述が示している通りです。ここでの語りは、おそらく奇蹟物語としての「聖書」を念頭においているのであろうと思えます。つまりいぜんとして無意味である表現を「ことばの存在」に言い変えることで表現の無意味を克服しようとする欲求は「聖書」が象徴するものであるからです。「聖書」は一冊の本に過ぎないけれども、それ以上の何かであると感じる人々において、聖書はまさにそのように「存在」する。ということを言い含んでいるのではないか。

ウィトゲンシュタインの「言語の限界」における語り。それは一種の形而上学であるわけですが、これを「言い表せぬ『私』」というように「私」と「何か」とを切り離して理解する見方があるけれども、ウィトゲンシュタインの語りがその種の「何か」から切り離された「私」だけを問題にしている。と考えることは不十分だと言わざるを得ません。

ウィトゲンシュタイン全集第5巻、391頁
また、絶対的に安全という経験は、われわれは神の御手にの中にあるとき安全だと感じる、という言い方で表現されてきたものであります。
比喩を語る者は(無意味ではあるその)語りが「独り歩き」することを望んで語るのである。それが言語の限界で人が為し得る発語の本質であって、ことばに存在性を与えてなにがしらかを伝えたいと願うことによる。ただしかしそれは無意味であることを避け得ない。この無意味さとはもちろんウィトゲンシュタイン的な「無意味」であって、それは対応する事実を特定できない命題を指すのは言うまでもない。

ウィトゲンシュタインにとって、比喩を含む語りは、おそらく自らにその使用を禁じた表現であるように思えます。この観点から再度、後期の著作を読み直してみる必要性を最近感じています。


6.正しい語法(2000/1/7,1/15 改)

 文法的な視点からある叙述が可能であれば、その否定叙述も可能であることは自明だと思えます。そのいずれかは偽であるか、故意に捏造された叙述であるでしょう。ただ言った本人が「誤解」しているという理解の形式に一抹の正しさを付与する事が出来るのだとすれば、実は真偽いずれも正しいとみなされる場合があり得る。また事実認定できない事柄が記述されたのだとすれば(これも仮定を含む)、正反いずれの叙述も正しさを確言できない(LW的に言えば間違っているわけではない、無意味なのだ)。という場合もあるでしょう。

 論理とは、いわば「正しき叙述」を確定するための方法論あるいは実践です。「正しき思考」の基は論理的に物事を考えることだと一般的に考えられていますが、とどのつまり、それは、日常的な生活経験に乖離しない思考を確定する検証作業であるに過ぎないのではないか?

 「絶対論理」と呼び得るような「論理的思考方法」が確定されれば、全ての叙述はたちどころに真偽のいずれかである。と判別可能となり誰もが正しき叙述を確言できるようになるはずです。しかしながら、これは大いなる仮定に過ぎません。そのような論理が可能であってもなお、言語の文法はある叙述の否定を許すであろうし、その逆も許すであろう。また仮にその種の「絶対真偽判定論理」装置が機能し得たとしても「偽」とされる叙述を述べることは可能であろうし、またそのような叙述を信奉する人々が残り生きるであろうことは容易に想像できる。この意味で、言語から偽りを表現し得る機能を除去しない限り言語による叙述は永遠に偽りを述べることが可能であろうし、そのような言語を用いる限り誰も偽りを叙述することを止めることは不可能なのである。

 また、比喩などの語法のようにそもそも真偽を判定し得ない叙述がある。ということも考慮されなければならない。詩的表現、あるいは詩的な概念のコアはこの「比喩」である。たから、そもそも詩的な叙述は真偽判定から無縁でありえるし、そのような概念による分析は真偽判定の対象にはなり得ない。詩的概念を基礎にした哲学は可能であろうが、無意味である。

さらに数学的モデル化という叙述形式をこの「比喩」の一形態である。と考えてはならないのかどうか。数学的モデル化という記述形式こそがまさに正しさを記述するための唯一の形式である。と考えることができるのかどうか。

 ディベートと呼ばれる議論形式は、まさにこの文法の「いいかげんさ」を基礎にして成り立っている。正・反いずれの側からもその叙述の正しさを「論理」的に主張しあえる可能性を認めるのがこのディベートであるから。しかしディベートは終わりのない循環論法でもあろう。一つの主張には必ずその反対を唱えることが可能であるから。

 しかしながら、そのディベートも時として終焉する。または、戦争や魔女裁判的な火炙りをもって強制終了する。終わりのないディベートに決着をつける場を「政治」と呼ぶわけであるが、ことばの論理は闘争の結果、ある終点に落ち着くのである。最後に勝利した側が「常識」となるのである。この意味で「常識」は政治的である。「常識」に反する叙述は常に「非常識」として排除される危険性を有する。それ故に非常識な叙述は常に少数となり、言語の用法はある一定の域に収まるのであろう。

 言語がこのように叙述し得る事柄についてあらゆる叙述を可能とし、さらにその否定的叙述をも可能としていると言う点で、言語を用いて叙述する限りにおいて価値相対は不可避であろう。この意味でことばはあらゆる価値叙述に対して相対的な位置しか与えることができない。これはことばの内在的な形式である。だから、価値相対主義は「正しい」わけではない。それは一つの主義であり、片側に過ぎない。価値相対主義はその立場自体が否定可能であるという意味において相対的でしかないのある。また、言語を用いる限りにおいて絶対価値は表現できない。表現したとたんその否定形を想起しそれに異を唱えることは可能であろうから。いずれにしても、絶対、相対を対概念とする限りにおいて循環論に陥ることは避け得ないのである。




7.善悪の対立について(2000/1/10,1/15 改)

 「善」なる神の創造した「善」なる世界になぜ「悪」があるのか。という問題は若き日のアウグスティヌスを悩ませた大問題でした。そのアウグスティヌスは晩年に至り、『エンキリディオン』という書物の中で
Adeo omnipotens et bonus ut bene faceret etiam de malo.
「神は悪をも善用なさるほどに、全能であり善なる方である」
(『アウグスティヌス講話』P144. 山田 晶, 新地書房 1987)

と語ったということです。

(ヨハネ伝冒頭より引用)

初めに言(ことば)があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。


 ことばがその語法において、叙述可能な限りの範囲においてあらゆる叙述とそのあらゆる否定形を可能としているという意味において「真偽」は二項対立的であるが、ことばはそれ自体は一項的である。

論理学はいわば、「悪」であるところの「偽」を排除するための論理として機能すべきものであって、例えばLWの『論考』もそのような「真偽」判定のための方法論を提示しているものです。1929年の時点で明らかにされている『倫理学講話』でのLWの考えはやはりその「真偽」が論調の基盤になっているのは明らかでしょう。

 ドストエフスキーの小説を読むと、「善悪」は必ずしも二項対立する要素として割り切られて書かれているとは思えません。例えば、『カラマーゾフ』の作中で、ゾシマ長老の所への巡礼者として現れる夫殺し(?)の女性に対する描写のように。

 だからと云って、二項対立的に「善悪」や「真偽」を理解する形式が間違っているのか。といえばそういうわけでもないのでしょう。LW自身はいわゆる後期の思想が深まる中で、おそらく『論考』で示したような論理的理解の形式を「世界理解のための絶対形式」から「単なる一形式」に格下げしただけに過ぎないと思えます。

 それは正しい、しかし、語り得ることを全てを云い尽くしているわけではない。

そういう印象を受けるわけです。『倫理学講話』以降の後期、LWは「写像理論」を含む前期思想の「絶対化」のためのメカニズムを突き崩して、相対化するとともに、より包括的な思索へと向かったということなのだと思えます。


8.喩としての聖書(2000/1/18)(2/22改)

ところで、本来ならあまりに意味やイメージが隔たっていて、あるいはあまりに相反していて、どんな結び付け方をしても「言葉」として決して結びつかない<言葉>を、強力に結びつけているのが奇蹟です。つまり「言葉」からみた奇蹟とは何かといえば、本来なら結びつかないふたつの対象を結びつけているのが奇蹟です。それが言葉からみた奇蹟ということです。この意味がとどくでしょうか。これは重要なことを云っているつもりです。うまくいえないですけど、重要なことをいっているという気持ちがあります。
吉本隆明「言葉という思想」58頁『喩としての聖書』弓立社 1981
 吉本隆明のある講演でのこの一節は、まさに、LWが云わんとしていたことに対応していると思えてきました。実は、この講演の聴衆の一人がかつての私だったりするのですが、吉本にせよLWにせよ、「奇蹟」表現は語法的には無茶苦茶な表現形式なのだ。という点で一致しているように思えます。ただしかし、吉本はそれを「喩」であると見なすけれども、LWは、宗教的な語りは「喩」ではあり得ない。と言明している部分があります。
ウィトゲンシュタイン全集第5巻『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』166頁
 宗教の語りはまた「比喩」でもない。何故なら、さもないと人はそれを比喩でなく語ることも出来ねばならないであろうから。宗教の語りは言語の限界に対する突進であろうか。言語は決して牢獄ではない。

 LWは、「喩」を用いて語り得る事柄は「事実」として語り得る事柄、すなわち有意な命題として叙述可能でなければならない。と考えているようである。LWにしてみれば「喩」は事実の別表現でなければならない。「喩」は合理的理解が可能な叙述に書き換えられるなにかでなければならない。とすれば、「宗教的な喩」は全て事実を背負っていなければならない。のであろうか?
マルコ伝4章10節
 イエスが1人になられた時、そばにいた者たちが十二弟子と共に、これらの譬えについて尋ねた。そこでイエスは言われた。「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが。ほかの者たちには、すべてが譬えで語られる。....

 このように、イエスが語る「譬え」には奥義の裏付けがあると記されてある。上述のLWの比喩に関する語法の制約はこのイエスの語法を敷衍したものであると考えられる。イエスにおける「喩」はLWが言うような「喩」に依らずに語り得るなにか。であるのであろう。そしてその「喩」を読み解くためにはある種の「信仰」が必要とされる。LWはそこに踏み込んでいると思う。反面、吉本はその踏み込みを行ってはいないと思われる。


吉本隆明「言葉という思想」54-55頁『喩としての聖書』弓立社 1981

 マルコ伝は<言葉>は授けられたものだ、そして<言葉>を云わせるのは精霊だから、あらかじめ何を云おうとおもいわずらうなと述べているのです。そこの箇所が<言葉>が信じられていることを象徴しています。

 やはりおなじ13章に、信仰とそれからキリスト教の大きな教義の部分である審判について、こういう云い方をした部分があります。<天地は過ぎていくだろう、今の世も過ぎていくだろう。しかしわたしの言葉は過ぎていかない>という意味のことをイエスがいいます。これは特異な考え方だと思います。天地は過ぎていくとはどういう意味なのか。ぼくは言葉ができないから、テキストの解読ができません。ですから間違うかも知れないので、日本語で受けとれるかぎりでいうことになりますが、天地は過ぎていくだろうということの中には、いくつかのことが含まれています。ひとつは、人間の歴史というのは過ぎていくものだということがあるようにおもいます。もうひとつは、もっと凄まじいことを云っているような気もするのです。つまり人間も含めて、この宇宙、天地自然はみんな過ぎてなくなってしまうのだと云っているようにも受け取れます。

 いずれにせよ、ここで抽象的に取り出せることは、時間というものは過ぎて行く限りのものだということだと思います。時間に耐えるのは<言葉>だけだといっているようです。天地も過ぎていくし、いまの世も過ぎていく、だけど<言葉>は過ぎていかない。<言葉>といっても、聖書のばあい、神の<言葉>のことをいっています。
遠い人も近い人も信じられない、自分自身としてのイエスも信じられない、かろうじてのこるのは<言葉>だけではないか。

ウィトゲンシュタイン全集第5巻、393頁

奇蹟的なるものの表現を言語による表現から言語の存在による表現へと移し変え、それによって私が語ってきたことはふたたび、われわれは自分の表現したいことを表現できないと言うこと、またわれわれが絶対的に神秘的なことについて語ることはいぜんとして無意味であるに過ぎないからです。

 吉本とLWはたぶん、同じような事を云っていると思われます。LWが『最後の審判』を非常に怖れていた。ということはいくつかの評伝の伝えるところですが、それは、「私」の何もかもが無へあるいは無意味へと吸い込まれていくことの怖れであろう。ということは理解できそうな気がします。しかし、そうであってもなお、言葉は残るであろう。それは書物として残ると言う意味ではなくて、もっと違った何かとしてのこるであろう。というところを「信じる」ということしか人間にはできないのだ。という点を共に言い当てていると思えるのです。

 ただ、それは抽象的な思想のある部分だとも思えます。語る言葉で語る場合に、そのような表現以外の表現があるのかどうか。存在し続けるであろうことばに託して(私(の言葉))を残したい。それが言葉を信じる人の在り様なのでしょう(だから、私がここで何事かを書き綴っているのかもしれません)。

 「奇蹟」はメタファであり、そのメタファとは語るべきすべのない場所で語る際の最後の表現方法である。のでしょうか。ただLWはそこでもメタファを用いずに「無言」で語る。という表現を好んだということはいえるでしょう。それはアウグスティヌスが云ったところの「沈黙による配慮」という態度に通じています。それはまた大審問官への口づけでもあるのかもしれません。


9.なぜわたしはことばの意味を了解できるのか?(2000/2/1)

 先に引用した吉本隆明の講演会の終了後、質疑応答のセッションがあり、そこで私は無謀にも氏に「ことばの意味とは何か?」と問うたのであった(^^;。私の愚問に対して氏は「言葉の意味を説明するのは大変なことであるが、それはあなたとことばとの関係であると理解できると思う。それは『美』というものにつながってくるものでもある。」という様な丁寧な答えを返していただいたのであった。

 とはいうものの、長い間、ことばと「わたし」の「関係性」という考え方が良く理解できないままでいたのも個人史的には確かなことで、今だに理解しているとは言い難い。フィジカルには「事実A」と「語彙A」さらに語を操る私との間にある何かが「関係性」なのであろう。しかしその当時は読み掛けの『論考』にはまっていた頃で、そうした何かを「関係性」と一言で抽象して言うのではなく、もっと分析的に「関係性」を諸断面に切りわけて考えることが重要であると考えていた。その意味では「志向性」といった語も同様で、個人的にはその種の抽象的議論は「概念語」で積分して語られるべきではなく、より細密な命題へと微分されなければならない(これも比喩だ)のではないかと。もちろんその時でさえ、氏の説明が不足していたと考えたことはありません。質疑に対して一言で応えることがどれほど大変なことであることか。

 今なら、たぶん、そうした「言葉の意味とは何か?」という疑問を投げることはしないと思う。当時、なにを知りたいと考えていたのか。またどういう答えが返ってくれば満足できたのか。何に不満でそういう疑問を投げかけたくなったのか?

 あのとき、「なぜことばを用いる私はその言葉の意味が分るのか?」と問いたかったに違いないのであろうと思う。それは今でもそうである。またこの「なぜ?」という問いはいくつもの「なぜ?」が複層的に折り重なっている問いであると思われる。だからそもそも「言葉の意味とは何か?」という問いひとつに置き換えることができないはずものであった。だから問いを発した時点でそれはナンセンスにしかならなかったのだと思われる。これが愚問が愚問たる所以である。それは、東京駅の正面前で「東京駅にはどういけばよいのですか?」と問うようなものだったのである。それとこの種の問いは自問自答すべき事柄であるようにも思える。自身が言葉を操ることができることを「人のせい」にできるであろうか? なぜそれは英語でもなくウルドゥ語でもクリンゴン語でもなかったのか? (ちなみに『青色本』は「語の意味とは何か」で始まる。)

 私の考えるところ、「なぜ?」という問の答えは、「私の」ことばの限界の彼方にある(かもしれない)。いや、そのような問いを発する者が何を問おうとするのかが分かっていない。ということがそもそも問題なのです。


10.喩の用いられ方(2000/2/8)
 
 ところで、アジアやオリエントの古代においては、古代における共同体で、信仰を司る者と共同体を政治的にあるいは行政的に司る者とはしばしばおなじであるということがあります。また、別なばあいにはたとえば、信仰を司る人が、神の言葉を受けとって、そして、受けとった神の言葉によって、共同体を司る人たちが実際的に村を治めるという形になります。両者が別々であっても同一人物であっても、強力にそういう形があったとかんがえられます。そういうばあいに、そういう場所、そういう時代には、ある諺(ことわざ)、ある比喩、つまり謎謎、喩を解くということ、あるいは、それがわかるということは、信仰が強固だと言うことを意味したのです。同時に、その共同体を治める能力があり、適格だという人だけが謎謎や耀≪o、喩といったものを解けたということです。諺や謎謎や喩がすぐにわかるとことは、信仰が篤いこと、つまり、神のご託宣や神の心がよくわかることを意味しました。そのことは同時に、ある共同体を実際に政治的に治める能力があることを意味していたのです。

吉本隆明「言葉という思想」61-62頁『喩としての聖書』弓立社 1981

 LWからすれば、上述した吉本の解説がいわんとすることを「一貫した言語特有の誤用」と見る。宗教的なある種の「理解」は非合理的である。それが非合理であるとする理解を試す試金石が「喩」や「謎謎」であって、それは「科学的」あるいは「合理主義的」理解者を拒絶する何かです。

 LWの思想(特に1930年後まで)はその非合理な理解と合理的な理解との間に一線を引くことにありました。だからといって、「非合理的」な理解を灰燼に帰そうとしたわけではありません。「論理学者」ウィトゲンシュタインはあくまで合理主義の立場に立って、自らの依って立つ合理主義的な立場の限界を示すことがその思想の根幹であったのです。一線より先を語ることは「無意味」であると断じ、率先して自らにその語りを禁じていた。ということです。しかしながら、このLW的思想理解は、まさに一線より先をどう理解するかが定まっていないと理解できない思想であるとも思えます。この意味で、彼の思想は「沈黙によって配慮」された部分を含み持つという意味において、それ自体が「喩・謎謎」にならざるを得ません。

 ある特定の人が部屋に入ってくるのを、君が欲しないのなら、その人たちが鍵を持っていないような鍵を、つるせばよい。しかし、そのことについてかれらに一席ぶつのは、愚かなことである。もっとも、部屋を外側からほめそやしてもらいたいという魂胆があれば、また別だけれども。
 礼儀をわきまえた、気品ある態度。錠をあけることができる人だけに気づくように--いいかえれば、そのほかの人には気づかれないように--鍵を扉のまえにつるすこと。

『反哲学的断章』P27。1930年
 この「鍵の謎謎」のメモが書かれたのはこの『倫理学講話』と称される講演がなされた同じ年の1930年でした。LWは自身の著作がある種、「宗教的」な「謎謎」としてしか理解され得ないであろうということを自覚していたのだと考えます。つまり、LWの思想全体があるひとつの喩であろうということ。限られた論理世界の論理的記述が非論理的な世界へと一線を画しながらも接続することを通して「世界」をいわば「奇蹟」として記述することを意図したであろう事。


11.理論を拒絶する態度(2000/2/22)

 LWの思想の特異な点として、「理論」を拒絶する態度があります。

ウィトゲンシュタイン全集第5巻、『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』166頁

 私は倫理学についての講演の最後の所を、一人称で行った。私の信ずるところによると、このことは全く本質的なことなのである。ここにおいては、何ものももはや確言されないのであり、私はただ個人として現れ、一人称で語ることができるのみなのである。

私にとっては理論は価値がない。理論は私に何ものをも与えない。

上記引用文中の「最後の所」とは以下の言及を指しています。


ウィトゲンシュタイン全集第5巻、『倫理学講話』394頁

 私が考え得るいかなる記述も私のいう絶対的価値の記述には役立たないばかりでなく、かりに誰かが提案することのできる有意義な記述があるとしたら、私はそのような記述はどれも、最初から、その有意義性を根拠にして拒否するであろう、ということであります。すなわち、このような無意味な表現は、私が未だ正しい表現を発見していないから無意味なのではなくて、それらの無意味さこそがほかならぬそれらの本質だからだ、ということが私には今やわかるのであります。なぜならば、それらの表現を使ってわたしがしたいことはただ、世界を超えてゆくこと、そしてとりもなおさず有意義な言語を超えてゆくことにほかならないからであります。私の全傾向、そして私の信ずるところでは、およそ倫理とか宗教について書きあるいは語ろうとした全ての人の傾向は、言語の限界にさからって進むと言うことでありました。このようにわれわれの獄舎の壁にさからって走るということは、まったく、そして絶対的に望みのないことであります。倫理学が人生の究極の意味、絶対的善、絶対的に価値あるものについて何かを語ろうとする欲求から生ずるものである限り、それは科学ではあり得ません。それが語ることはいかなる意味においてもわれわれの知識を増やすものではありません。しかし、それは人間の精神に潜む傾向をしるした文書であり、私は個人的にはこの傾向に深く敬意を払わざるを得ませんし、また、生涯にわたって、私はそれをあざけるようなことはしないでしょう。

 この『倫理学講話』の部分は、ヴァイスマンに語ったことからすれば、LWの個人的な独白であるということ以上の意味を持ちません。LWが「理論には価値がない」というとき、それは「価値」に関する理論であると文脈的には限定できると思います。また「有意義性を根拠にして拒否するであろう」という場合の「有意義性」とは「相対的な価値観の表出」であり、その故に拒否する。という意でありましょう。

 後期ウィトゲンシュタインの思想の特徴のひとつとして、この「理論への拒絶」を見るのであるとすれば、その「理論への拒絶」はどこまでがその及ぶ範囲なのでしょう。端的な例としてはウィトゲンシュタインは同時期に、フレイザーの『金枝篇』についてかなり突っ込んだ「理論」への批判を行っています。実に700頁を超えるタイプ原稿があった。と言われていますが、現在残っているのはその草稿的な部分でしかありません。フロイトの心理学についても批判的でした。それが後の心理学を主題にした思索へとつながっていくわけです。いずれにせよ、事実の叙述を元に行われる理論家の「当為」の語りをLWは「無根拠」として考えたがっていた。ということは言えると思います。

 であるが故に、後期のウィトゲンシュタインの思想やその叙述の中になにがしらかの価値論的な「理論」を見出そうとする努力を行うならば誤読の淵を彷徨うことになるやもしれない。という点には十分注意が必要であると思われます。また、そこから「理論」を一読者として導出することは可能かも知れません。けれども読者が「理論」を導出したとたん、返す刀で既に斬り死にしていた。ということも十分考えられることだと思えます。


12.一人称での語り(2000/2/22)

 1930年前後のLWの著作を読み直し始めて、気がついたことがあるとすれば、LWはある重要な点を

 私の信じるところによれば ~ ということである。

 という文体による語りを頻繁に行っている。ということがあります。『倫理学講話』は講演会の講演記録であるし、『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』は主にヴァイスマンによる口述筆記であり、また『青色本』や『茶色本』は学生による授業記録であり、特定の聴衆が眼前にいる。という状況で語られたものばかり。という特殊性によるのかもしれません。

ウィトゲンシュタイン全集第5巻、『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』166頁

 私は倫理学についての講演の最後の所を、一人称で行った。私の信ずるところによると、このことは全く本質的なことなのである。ここにおいては、何ものももはや確言されないのであり、私はただ個人として現れ、一人称で語ることができるのみなのである。


 ウィトゲンシュタインにおける「一人称の語り」は当人にとって見れば、ある種の言語の限界での語りなのでしょう。上記引用のように、「確言は出来ないが正しいと考えられることがら」についてのコメントが「私の信じるところによれば ~ ということである。」という表現になっていると考えられます。

 だから、ウィトゲンシュタインの著作がCD-ROMになっていて(すでにそれは存在しているが)全文検索が可能であるなら、この表現でキー検索してみて、それを一覧表にし、さらには年代順でソートしてみると、ウィトゲンシュタインの思想のコアと思える部分の変遷を直に知ることができると考えられます。全集本に付箋を貼って、抜き書きしてみるのも一考すべき手法だけれども、とりあえずそれを行う時間がないので個人的には見送らざるを得ません。それでも、抜けを承知でトライするだけの価値はありそうです。でも、こういう作業は文献研究を本業とする研究者のすべきことでありましょう。

 その抜き書きをサマライズして浮き彫りになることがひとつあると予感することがあるとすれば、それはそれらの口頭による叙述のそれぞれが、おそらくは聖書のいずれかの成句に対応しているであろう事。直接的ではないにしても、ある種の別表現としてその文脈に現れているであろう事であります。

 長年、LWの文章に触れてきて思うことがあるとすれば、その著述の中に「アンチクリスト」的な表現を見出すことが実に困難である。ということがあります。唯一、手稿にパウロを揶揄した文章がありますが、それとても、レイ・モンクの評伝には晩年になって、その種の考えを撤回したという述懐が記されており、唸ってしまったことがある程です。まさに、なぁ~んだの世界なんです。これが。




13.語り得ぬことがら -1- (2000/3/19)

『キリスト教の教え』第一巻第六章 『アウグスティヌス著作集6』33-34頁 教文館

 いったいわれわれは今神についてなにかを言ったのであろうか。なにか神にふさわしいことを音声に表したのであろうか。いやむしろ言おうと思っただけだと感じているにすぎない。たとい言ったとしてもそれはもともと私が言おうとしたことではない。神が言い表せないからこそ言おうと思ったことをいえないのである。だからもし神が言い表せないとすれば、私が何かを言ったとしても何かが言われたことにはならない。
 しかし神は言い表せないと言われる時、すでになにかあることが言われているのであるから、まさにこの故に神は言い表せないと言ってはならない。そしてここになぜか、形容矛盾が生じる。というのはもしも言い表すことができないものが、「言い表せない」と言われるとしたら、すくなくとも言い表すことができないと言うことができるのだから言い表せないのではない。こういう形容矛盾は、ことばで鎮まらせるよりも黙って通り過ぎる方がよい。
 それにもかかわらず神について何一つふさわしいことを述べることができないのに、神は人間の声によって神に仕えることをお認めになり、われわれの言葉でもってわれわれが神を讃えて歓喜することを望まれた。まさにこういう理由で、神はデウス(Deus)と呼ばれることを許された。この De-us という二つの音節の響きで神自身が真の本質において認識されるのではない。しかしそれでもこの音声がラテン語を使うすべての人々の耳を打つとき、彼らを動かしてあるもっとも卓越したしかも死ぬことのない本性を思索させるのである。

 かつて「論考」の序文について (98.5.20)という文章を書いたとき、LWの『論考』の有名な一節、「7.語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」は、アウグスティヌスの一節の引用ではないか。と書いたことがあります。先日、銀座の教文館でアウグスティヌスの全集本の一冊を購入しました。上述の引用がその当該部分です。

 この『言い表すことができないものを「言い表すことができない」と言明できる。』という形容矛盾を「アウグスティヌスによる語り得ないことに関するパラドックス」と呼ぶことにしましょう。このパラドクスをアウグスティヌスは「黙って通り過ぎる」べきであるというわけです。(個人的には教文館版の訳文よりみすず書房版の本の訳文の「むしろ沈黙によって配慮されるべきである」という訳文の方に好感がもてるのですが)アウグスティヌスにおいても「神」は語り得ぬ何かです。それでも「神(Deus)」という語を用いて何事かを語ることは可能であるという事実を「あってはならぬこと」として排除されるべき行いとしてアウグスティヌスは扱ってはいません。

 『倫理学講話』でLWが自覚的に一人称で語った「無意味ではあるが決してあざけるべきではない語り」とは、「絶対的な何か」に対しての語りであります。それは『もしも言い表すことができないものが、「言い表せない」と言われるとしたら、すくなくとも言い表すことができないと言うことができるのだから言い表せないのではない。』というこのアウグスティヌスが明らかにしたパラドックスでもあります。それは一人称で語られるべきこと、自身の信仰や信念や確信や信条や生活や実践を担保にして当人において語られるべきこと、つまりは客観的な第三者的な視点によってその正しさが認知、検証されるような「科学的」な語りではない。ということでもあります。

 もちろん、そのように取り扱われるべき語りでさえも、第三者的な視点から(この文章がそうであるように)扱うことが可能です。そのような取り扱い(例えばこの文章)が有意義であってもそうでなくても、またその語りに共感を示しても反感や反意さらには無理解を示しても、オリジナルの語りは一人称の語りであるわけですから、批判も共感もともに拒絶する語りであると思えます。だからそもそもが無意味な語りをいかに論評しようともその無意味さは動かないであろうし、一人称でなされる無意味な語りについて第三者的な論評がその無意味さを克服できるわけはなかろうと私には思えます。




14.語り得ぬことがら -2- (2000/3/19)

 今回は、直接『倫理学講話』とは関係のない話題です。ここではスタンリー・キューブリックの『2001: A Space Odyssey』について簡単に触れておくことにします。

 キューブリックの『2001年』にはいくつか、LW的ともいえる仕掛けが登場します。

 ・モノリス:言い表せない事柄に関する視覚的メタファ
 ・ロココ調室内:独我論的自我の視覚的メタファ

 ニーチェ的なメタファとしては

 ・宇宙に彷徨うプール隊員の収容:死体を担いで旅するツァラトストラ
 ・HAL:アンチクリスト

映画は虚構の一形態であることを免れ得ません。映像であっても、虚構が虚構である限り、メタファがメタファである限り、事実への接続は遮断されています。しかし、キューブリックはそれを「映像的な叙事詩」として撮ったのであり、そこがひと味違う虚構性(事実は視覚的体験に基づく。のであれば、虚構の視覚的体験は体験者にとっては事実と見紛う体験になるであろうこと)を作り出し得ていると思えます。もちろん、その意味ではすべての映画はそうした体験を観客に与えるものである。ともいえるわけですが。


15.語り得ぬことがら -3- (2000/4/10)

 ウィトゲンシュタインに関連する新刊書である、『ウィトゲンシュタインの知88』(野家啓一編 新書館)の中で、永井均が「語り得ぬことがら」というキーワードの解説を行っているので、ここではその小文に簡単にコメントを記しておく。

 まず、氏の前半の議論はほとんど意味をなしていない。つまり、語られていないことは語られていない。というのであれば、それは同義反復であって意味がない。文脈的には後述反証される内容であるという点であるなら不要でさえあるだろう。

 次に、語り得ないことが語られたとしても、それは意味をなしていないから、語った事にはならず沈黙していることと同じである。という「語り得ないことを語ることの不可能性」に関する指摘についてであるが、この点については、それは氏の

『ウィトゲンシュタインの知88』(野家啓一編 新書館)113頁

『つまり、「沈黙しなければならない」とは、最も究極的には、沈黙すべきだとの説教ではなく、沈黙せざるを得ない、という諦念の表現なのである』
 という表現に端的に示されている。が、これはウィトゲンシュタインの思想の要約として妥当するのであろうか?  私にはそうは思えない。この点については『倫理学講話』が反証である。すなわち語り得ないことについて語る場合は一人称の語りとして全うされなければならない。一人称で語られる限りにおいて、語り得ない事柄を語ることは禁忌ではないし、放棄されあきらめなければならないという「諦念」でもない。

 ベートーベンの第五や第九の第三楽章と第四楽章のペアで示されるような「覚醒」(LWはブルックナーの第九がベートーベンの第九へのアンチテーゼになっていると指摘してはいるが)あるいは、先に引用したアウグスティヌスの「語り得ない存在を『神(deus)』と語り得ることの歓喜」など、それらは「諦念」という語には含み得ない熱情を含む。この「情熱」が「独我論的な私」と「一人称としての私」とを訣別させる鉄槌の役割を果たしている。

『反哲学的断章(旧版)』P91 1937年

 ......ところで信仰とは、わたしの胸、わたしの心が必要とするものを信じることであって、わたしの思弁する悟性が必要とするものを信じることではない。というのも、救われなければならないのは、わたしの心と、その情念---いわば心の血と肉---のほうであって、わたしの抽象的な精神ではないのだから。.....


 聞き手を想定しない一人称の語りは第二者、第三者には沈黙と同じであろう。この種の第二者、第三者を想定しない一人称の語りの形態の一つが「祈り」である。別の形態としては「叫び」「私小説」「日記」「詩」「ひとりごと」などがあるだろう。しかしながら、それらは一人称で語られるにも関わらず、「誰かに聞いてもらいたい、理解してもらいたい」といった希望や欲望を伴う語りでもあるだろう。

 だから、「哲学」が「学」である限り、つまり、第二者、第三者を想定して語られるべき何かである限り、そこでは一人称の語りはなされるべきではない。これはすでにアウグスティヌスが「言葉によって調停されるよりは、沈黙によって配慮されるべきである」と指摘したとおりなのである。その意味で、LWの「語り得ぬ事には沈黙しなければならない」という言葉は、永井の言う「説教ではなく諦念なのである」とは全く反対で、諦念ではなく、第二者第三者に対して自説を著す哲学(をなす)者に対する説教なのである。ということができる。



 続けて、永井は『論考』のLWが言う「語り得ぬ事を示すことができる」という点を「僧侶的」であると批判し、語り得ぬ事を語る「僧侶的」な「宗教」全般を贋物であると断言する。がしかし、この結語の部分は、いくつかの点で配慮を欠いているし、的が外れている。

 まず第一に、「語り得ぬことがら」はまさに「語り得ぬことがら」という文字列を用いて語り得る。ということである。ここにことばの不可思議さがある。それを有意とみるか無意味とみるかについてこの場では定言しない。『論考』でLWはまさに論理学的な平面で「語り得ぬこと」とそれに類した文字列の扱いを「無意味」であると定言しているのであって、それは僧侶的であると断言できる語りではない。

 第二に、「僧侶的」という表現が意味不明であること。もちろん、それは氏の得意分野であるニーチェが行った道徳に関する一連の議論の中でのメタファ表現としての「僧侶的」を援用しているのであろうが、であるなら、「ニーチェのいうところの」と一言添えるべきである。ニーチェを読まない者には意味不明のままであろう。また、仮にニーチェ的な表現であるとするならば、その語を用いた評価は、評価者がその種の立場の側でものを考えているということ以上の意味を有しない。『僧侶は超越的なものを内在化することによって(中略)この世で権力を握る。』とあるが、ここでいう権力とは何か。あまりに軽々しい語法であると思われる。宗教の取り得る全ての形態が権力を掌握している。というのであれば、それは事実に反するであろう。「権力」を「政治権力」を同一視しない。というのであれば、その語の用法はメタファに転落する。従って極端言えば二者・三者間の相互関係の全てが権力者と被権力者の相互関係として塗りつぶすことさえも可能である(年齢の老若で人間関係が決定される例など)。がしかし、そうした表現は曖昧きわまりないしその曖昧さが故に何をも語り得ていないとさえ言えるだろう。

 第三に、『すべての宗教が(その宗教自身の基準に照らして)いかに贋物であるかをも同時に示してもいる。』という結語であるが、これの表現は次の点で誤っているか意味不明である。一つは、仮に「超越論的な論理」が全ての宗教に内在しているという「仮定」が正しいとしても、それが贋物である。と断定するためにはその「超越論的な論理」が全否定可能でなければならない。LWは『論考』で「超越論的な論理」を全否定しているわけではない。また次のような宗教を想定することは可能であるつまり、「超越論的な論理を含むがだれもがそれを公に口に上らせず沈黙したままの宗教」。
 次に、「贋物」という表現と「無意味」という表現は全く異なる。という点である。「贋物」という表現を用いるのであれば、そこには揶揄めいた悪意が込められている。と受け取られても仕方があるまい。この点が『倫理学講話』でLWが言明した「あざけることはしない」というスタンスと永井の宗教に対するスタンスの大きな違いである。贋物を贋物として示すつもりであるのなら、何が本物であるかというリファレンスを示すことができなければならないであろう。それができなければ、鑑定者としての眼力が問われるであろう。また「全ての宗教が贋物」である。というのであれば、論理的には「本物」の宗教は存在し得ない。これでは、京都や奈良のみならず、世界中にあまた残されている宗教的な文化遺産も全てが全て「贋物」ということになるであろう。また、もし、「超越論的な論理」そのものが「贋物」の本源であるのであれば、永井自身が得意とする『<私>』という記法で示されるであろう議論もまた『贋物』ということになるであろう。

 だから、永井は肝心な点を誤解していると言うことが出来る。つまり、LWが言うところの、「無意味」ということを「語ることが不可能である」ということとを混同している。ということである。これは、本文前半の文章での問題の立て方にも見られるニュアンスであるが、これは、先に述べた「アウグスティヌスのパラドクス」と呼び得るような言語論理の問題に気づいていないということも意味する。語り得ない(事実を事実として直示例証できない)何かを「神」とか「イデア」とか「真理」とか名付けて、そこで何事かの議論を行ってきたことが人類の知的な歴史の一端なのである。それが仮に無意味の屋上屋を重ねる議論であったとしても、議論そのものは事実としてなされ得るのであり不可能であったわけではない。議論に加わった人々の中には、現状ではその解明は不可能であるが将来的には可能である。と後世に希望を託す考えの人もいたであろうし、そもそも「不能」として考える人もいたであろう。その他にも様々な立場がある・あったにせよ、それを公的に議論することは可能であったことは事実である。LWはその種の議論を無意味だとは言うが、不可能だとは言わないのである。むしろ、そうした言葉による解明を欲し語る人々が示す傾向は尊いものであるとして評価するのである。

 言葉と論理の平面でそれを言葉の問題ととして限定してみれば、事実として確言できないことがらを定言するならそれはLW的にはあるいは伝達命題としては無意味である。しかし、無意味であっても定言し記述することは文言上は可能なのである。だから、文字通り不可能であるということはあり得ない。その種の語法を第三者の前で公然と行うことを抑制すべきであると自戒したとしても、それは諦めを必ずしも意味しない。そこにLWの「無言(沈黙)」の重さがあるのだと考えたい。

 永井に限らず、一般的に形而上学の議論は「アウグスティヌスのパラドクス」に満ちている。その語りを行う人々の心情は理解したいとは思うけれども、言われることの大半はLW的観点からすれば無意味であろう。だからといって、決して安易に贋物だと言って済まされてはならない。形而上学としてあるいは宗教、芸術などにおいて語られることの多くは一人称の叫びあるいは祈りとして読み聞き鑑賞することしかできないしそれで十分であると思われる。もちろん、その語り口のうまい下手はあるかもしれないけれども。




16.ウィトゲンシュタインとアウグスティヌス (2000/5/10)

 LW の後期の諸著作のインデックスをざっと眺めてみると、どの著作にもアウグスティヌスについての引用があることがわかる。『哲学的考察』、『哲学的文法』、『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』、『青色本』、『茶色本』、『哲学探究』。

   索引にはないものの『哲学的考察』では本文冒頭前の扉書きに引用がある。『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』を除く他の引用は、ほぼ『哲学探究』の本文冒頭の引用で集約されているように、語の意味を人はどのようにして学ぶのか。という問題提起あるいはその解答例として繰り返し繰り返し考察の対象としている。この意味で、ウィトゲンシュタインの言語論的なアウグスティヌス問題は『哲学探究』の冒頭で総括されていると考えて良いだろう。

   LWは幼少時に特に学校へは行かず家庭教師による「貴族的」な教育を受けていた。しかし、少年であったころ、語学などのいわゆる文系の学問についてはさほど才能があったけではなく、それ故父親は彼をリンツの工科学校へ進ませた(ヒットラーと同窓)。そういう意味でラテン語は不得手であったはずだが、トラッテンバッハの小学校で教師の職に就いたころには同僚とラテン語による手紙のやりとりなどを行うほどにラテン語をマスターしていたのである。このラテン語の習得については、やはりアウグスティヌスの存在が大きく影響していたのだと私には思える。

ハイデッガーについて

 私は、ハイデッガーが存在と不安について考えていることを、十分考えることが出来る。人間は、言語の限界に対して突進する衝動を有している。例えば、あるものが存在する、という驚きについて考えてみよ。この驚きは、問の形では表現され得ない。そして、答えは全く存在しないのである。我々がたとえ何かを言ったとしても、それは全てアプリオリにただ無意味でありうるだけなのである。それにもかかわらず、我々は言語の限界に対して突進するのである。キルケゴールもまたこの突進を見ていた。そして彼はそれを全く似たように(パラドックスに対する突進として)言い表しているのである。言語の限界に対するこの突進が倫理学である。私の思うに、倫理に対する無駄口 -- 倫理的認識は存在するか、価値は存在するか、善は定義されるであろうか、等々 -- のすべてを終わらせるという事は、ほんとうに重要なことである。倫理学においては、人は常に、事柄の本質が関係しないもの、そして決して関係できないものを、を語ろうとする試みを行うものである。人が善の定義として何を与えようと、その表現が人が実際に思っているものにほとんど対応していると考えることは、常に誤解である(ムーア)。このことはアプリオリに確かである。しかし、この突進という傾向は或るものを暗示している。それはすでに聖アウグスティヌスが、『なんだと、この不潔な奴め、お前は無意味なことを語ろうとはしないというのか。お前みたいな奴は無意味なことだけを語れ、そうすれば害はないから』と言ったとき、知っていたものである。

ウィトゲンシュタイン全集第5巻、97-98頁
 全集の脚注によれば、アウグスティヌスの言とされる言葉はヴァイスマンによる後付けで、伝聞を正しく伝えているかどうかについての信憑性にクエッションがあるということであるが、また、同意の文例をアウグスティヌスの著作の中には見いだし得なかったとある。ただし参考例文は添えられてある(解読中)。
 しかし、ここでは、例文の確実性を問題とはしない。というのも、上記の文章を読めば、LWの主張は、ここでテーマとしている『倫理学講話』の論旨とほとんど違わないことに誰しも気がつくであろうし、LWは特にアウグスティヌスを名指してLW自身と同様な考えを持つ人物としているという事実は揺るがないからである。この点はこのページの筆者にとっては重要である。(ハイデッガーやキルケゴールはむしろ突進を行う者として評価されている)。

   LWは良くも悪くも、アウグスティヌスの思想から影響を受けている。それがどの程度肯定的で反面どの程度否定的であるのかという点を、私は現段階でははっきり言うことができない。というのも、アウグスティヌス自身はギリシア哲学あるいは新プラトン主義との関わりが深いからである。またアウグスティヌス以降のキリスト教神学またそこから派生したいわゆる「スコラ哲学」という中世哲学(それは壮大ではあるが打ち捨てられた言語哲学の系でもある)という流れの行き着く果てのウィトゲンシュタインとして見ると、決着をつけるべき問題点ばかりで見通しが(少なくとも私には)つかないからである。ただ、個々の哲学的問題、例えば「名辞」と「対象」との関係などスコラ哲学を晦渋にしている部分をすっ飛ばして言えば、その精神性においてかなりの類似性があるのは確実であるし、LW自身によるアウグスティヌスの取り扱い、彼のラテン語への興味と習得の度合い、さらにはLWが1936年に陥った告白懺悔訪問シンドロームなどまでを考慮すれば、LWの人生の諸局面に大いなる影響を与えていたことは事実であると思われる。

 『哲学的考察』から『探求』に至るまで、LWはアウグスティヌスの言語論を特に重視している。その最大の理由は、アウグスティヌスが4世紀の人(354~430)で(卑弥呼より100年程度後の人物:魏志倭人伝の朝貢記録は景初二年(238)の六月)、いわゆる20世紀的科学的視点に毒された言葉使いではないという点であろう。ことばの使用の原形とも言うべき範例をアウグスティヌスの用語法に見いだしている。リファレンス、あるいは物差しの基準較器のような扱いでさえある。とりわけ『探求』のはじめの部分は「全ての哲学者はアウグスティヌスの昔に立ち返ってことばを見つめ直す必要がある」と言っているように受け取ることができる(もちろんこれは私的な感想に過ぎない)。この意味でLWの言語哲学という双六はデカルトが振出であるわけではない。だから私は「言語論的転回」という概念とLWの結びつきがよくわからないのである。


17.ギリシア哲学なもの (2000/7/4)

 オリゲネスからユスティアヌス、エイレナイオス、アウグスティヌスなど初期キリスト教の教父の時代の思想家、宗教家のほとんどは、ギリシア哲学の学びの過程からキリスト教に回心していった人々である。ギリシア哲学的な思索の突き詰めの果てに宗教を見いだしたのであるが、いわば、ギリシア哲学の素養を持ちつつも、それに飽きたらず、内なる過激の導きによってキリスト教化していった人々でもあった。この点で、パウロの伝道によるキリスト教の非ユダヤ化も初期においては重要であったであろうが、むしろ異郷の異教徒達つまりギリシア哲学の後継者達が自ら自身をキリスト教化した結果がキリスト教の広まりなのである。という見方もできる。

 ギリシア哲学の主流としてのプラトニズム(イデア世界の認識理解を求める思索が哲学であるとする考え方)の基盤をなす言語観(ロゴス)は「真理」とか「本質」とか「普遍」といったことばの語法で特徴づけることができるだろう。名辞と対象(あるいは事実)とのペアで言葉の意味が成立するという図式で言えば、プラトニズム(あるいは新プラトン主義)はその対象、事実がどこかに存在するということが前提である。しかしながら、イデア世界に基盤をおく概念に対応する事実を直示的に指し示すことは困難である。
 ここに、ギリシア哲学を学ぶ人々の苛立ちがある。初期キリストの教父達は、キリスト教がユダヤ民族の民俗宗教を脱したと認めたとき、キリスト教に「真理」や「善」等といった語の指し示し先となるべき何かを見いだしたに違いない。皇帝ネロとその後の250年間は殉教の時代であったが、護教家達がローマ皇帝に進言した論理の多くは、ギリシア的な教えとキリスト教は矛盾せずむしろその完成こそ、そこに観るべきである。というものであった。キリストこそが直示し得る真理なのである。という考え方を受け入れざるを得なくなることで、歴史的にいえば、ローマ自体がキリスト教化してゆくのである。

 ことばはその語法において常に何かを指し示しているような印象を与える何かであると思われる。この言語観のパラダイムで言葉を考えるとき、一番やっかいなのは、「神」という語の語法であろう。プラトニズム的な思考形式で「神」の実態を「イデア的世界」に措定する考え方は多くの人々によってなされてきた思考様式であるように思われる。しかし指し示すことができる「場所」や「何か」は特定できるのかどうか。二元論的な思考様式では、この対象の見定めを行うとき常に立ち止まりを強いられる。不可知論はその検証を忌避する一種の便法(言い訳)であるか全く不要(無意味)であるかのいずれかであろう。

 この種の二元論の便法の別形態として、宗教の多くは「神」なる何かに仮象であっても実体もどきとなる仮象を与えるべく、仏像やイエス像、イコンなど、またはご神体とか太陽とか聖なる生物などを用意してきた。素人目にも分かり易い目に見える実物に「仮象」あるいは「それそのもの」と但し書きをつけて用意してきたのである。名辞に対する実体が仮設されれば、我々はそれを理解しやすいと感じるのである。もし生きた人間がその「仮象」を演じるのであればそれはなおさら分かり易さを人に印象づけるであろう(例:カラマーゾフ・ゾシマ長老)。二元論的には仮象であるが、一元論的には実体である。(LWは用語法の存在という事実に着目する)。ただし、ユダヤ教でも、キリスト教でも「仮象」としての偶像崇拝は忌避されるべき何かである。

 また、これらとは全く異なる観点の言語観も考慮しなければならないだろう。その例として、語そのものが力を宿す何かとして存在すると考えられてきたことを思い起こすべきである。たとえば預言や御言葉、聖職者の悪魔払いの言葉やお祓い、さらに念仏やお題目等々。逆に言えば魔女や魔法使いの呪文や、悪霊死霊の呪いなどもまた力を宿す言葉として考えられてきた例であると言えるだろう。21世紀においてなお、この種の力を宿すことばが「常識的」に信じられているであろうことは驚くに値しないほどに(日本ローカルでさえ)日常的である。



 言葉と対象を二元論的に考える。という思考様式は、良くも悪くも新プラトン主義的な哲学を特徴づける思考様式なのである(もちろんそれに限定されない)。抽象的な(「真理」とか「普遍」などの)語の意味を二元論(語と対象)的に理解するということは、西洋の伝統的思考様式だと思われる。この思考様式はまた「合理主義」の礎でもある。哲学、特に論理学はこの思考様式そのものの解明と明晰化を目指したものであったのであろう(だから論理学は数学の一部ではない)。しかし、ある種の宗教理解は、常に一元的把握(言葉の受肉的理解、あるいは達観)を要求するのである。この2つの理解様式の断層には常にことば(無言を含む)がある。生きている人がこの断層を思想の明晰さを阻む根本問題とする限りにおいてことばが常に問題とされるのであろう。

   LWのことばに対する問題意識は、このような考え方に依拠していると思われる。しかし、それはLW固有の問題意識であるわけでもない。おそらく、宗教に接しつつ、ことばについて考える人であれば少なからず共有していたといえる問題意識であると思われる。決して特殊な考え方ではない。特殊というならば、むしろ今風の合理主義一点張りの思考様式の方がよっぽど特殊であるだろう。そしてそれは我々の思考を支配している思考様式でもある。


18.ウィトゲンシュタインとアウグスティヌス -2-(2000/7/25)

『ウィトゲンシュタインと宗教』17頁
 しかし、事実我々はそう言われているのだが、キリスト教は祈りの言葉を沢山言うことではない、ということを思い起こせ。もし君と私が宗教的な生活を送ろうとするならば、我々は宗教について多くを語るべきではなく、我々の生活の仕方が変わらなくてはならないのである。私の信じるところによれば、君が他の人々を助けようとするときにのみ、最後には君は神への道を見出すであろう。

『出エジプト記』20-7 (十戒の三)
 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。

 おそらく、LWは、いわゆる「祈りの言葉」を滅多に語らなかったのではないか、と私には思われる。第一次大戦従軍中の手記を除けば、哲学的著作は言うまでもなく、手記においても、また倫理学講話』においても、典型的な祈りの言葉はほとんど見いだすことが出来ない。この点で対比すれば、アウグスティヌスの著作は過剰とも言えるほどの祈りの言葉に溢れている。アウグスティヌスは司教であったから。といったところでそれは説明にもならないだろう。むしろ、繰り返される祈りの言葉の数の多さについては、彼の熱情の故なのである。と理解するのが自然であると思われる。

   先に引用した文章から伺い知ることがあるとするなら、LWは、祈りの数を重ねることを自重しているわけではないが、言葉としての「祈り」をやたらと表出することには躊躇するところがあった。と言えるだろう。祈りの言葉について、LWは、それは一人称の語り、すなわち独り言にとどめておくべき語りであると考えていた。と私には思える。もちろん、儀式典礼としての祈りはどの宗教でも様式化されているし祈りの言葉を発するためのガイドラインは厳格に用意されているものである。だから、外見上、祈りの言葉を発しないという態度に終始すれば、客観的には「無信仰」に見えるであろう。

 「祈り」とは本質的な意味(この「本質的」は単なる強調構文でしかないが)において「叫び」である。「叫び」は端的に言えば「ぎゃ」というような音声である。内省を経て言語化されたときそれは「祈り」として表現可能となる(ブルースの本質も叫びであろうが、インプロバイズされた演奏は祈りと見なすことも出来るだろう。だから練習曲のようにフレーズコピーに終始するなら叫びにもならない)。だから、「叫ぶな、祈れ」ということができる。ところがLWはそれにとどまらず、「祈るな、生活の仕方を変えよ」とまで言うのである。おそらくそれは「悔い改め」という考え方に対するLW的理解の示しであるとも思える。付け加えて言えば、悔いることより「改めること」ことこそが強調されているとも思われる。言葉としての「悔い・祈り」がある種の願望・希望である限りにおいて、それは自らの生において直示的に示されなければならない。そうしなければ、言葉としての「悔い・祈り」は実現した事実を欠き、『論考』的には無意味な(事実を欠いた言葉だけの)言辞に堕するからである。この点でLWは祈ることがそもそも出来なかったのであろう。生における願望はまずもって達成されていなければならなかった。生が先で言葉は後付けでなければならなかった。あの行いは信じるが故だったのだ。と言えるものでなければならなかった。だから、自らの信じるところや言葉に反する行為は取り返しの付かないものに思われたのであろう。1936年の懺悔告白シンドロームはこの行為と言葉の矛盾の破断点の故であったのであろう。

 さらに言うと、「祈り」とはその献呈すべき生きた相手をどこにも見いだし得ない言葉である(もちろん人間相手の言葉ではないが)。この点では本来「祈り」は日常会話のような第二者、第三者に対して発語し得ることばではない。それは宇宙の果て(あるいは大海原)に向かって叫ぶ(語りかける)ことに似ている。だから第三者に対してではなく、聞き手読み手を想定しない一人称の語りとしてなされるべき何かであろう。聴衆を眼前にして語られる「祈り」とはいったい何であり得るのか。しかしながら、それは一人称でも語り得るのであろうか。ここには信仰を表現するということに関する微妙なニュアンスがあると思う。

 LWの思想には、プラトニズムは非採用という傾向がある。少なくともLWにおいて第三者に対して哲学的な思想を述べる際、プラトニズム的イデア世界に基盤をおく言葉(ロゴス)は採用しないという傾向がある。なぜならそれは直示的に指し示すことができない(形而上的な)何か、つまり「事実」ではなくさらには「(形而下)世界を構成する要素」でもないから。ということであろう。この点ではアウグスティヌスはLWよりもはるかにプラトニックである。だから、LWがアウグスティヌスの影響を受けているといっても100%な信奉者であるというわけではない。

 かたやアウグスティヌスの思想もまた微妙である。彼自身は北アフリカの一ローマ市民であったが、彼も多くの先達同様にギリシア哲学(新プラトン主義)の影響を受け、さらにマニ教の信者であった時期もある。その頃は哲学的な思索を通じた自己救済を目指していたわけですが、キリスト教への回心はその自己救済をある意味で放棄し、さらに回心後はほぼ生涯を通じて異端的グノーシズム(認識によって救済を得ることが可能であると考える思潮)と論争(反駁)に精力を注いだわけです。そしてその中で「恩寵による救済」といういわば他力救済の考えを深めていくことになるわけです。

   実は異端的(もちろん、正統的であることを自認する側からの言い方ではあるが)グノーシズムは、実は「独我論主義」の一形態であると考えることもできる。悪しき「異端」であるとみなされた「独我論主義」は「傲慢」という語で特徴づけられる外形批判点を共有している。そしてその是非については1600年以上も前に既に喧々囂々と議論されていたわけです。だから、それは今に始まった議論ではありません。
 おそらく、LWはアウグスティヌスの様々な反駁議論を知ることで「独我論」批判の視点を得たとも思えるわけです(というのもグノーシズム思想のほとんどはアウグスティヌスの著作の引用記録で文献として残っているのであるから)。




19.ウィトゲンシュタインとアウグスティヌス -3-(2000/7/25)

『三位一体論』15-50 平凡社『中世思想原典集成4』P.1070

 しかしながら、これまで述べてきた多くのことの中で、あの言説を絶して至高の三一性なるものにふさわしいことは何一つ述べなかったと、わたしはあえて公言いたします。むしろ、そのものの不可思議な知識はわたしの力を越え、わたしはそれに至ることが出来ません(詩139:6)と告白します。

 アウグスティヌスは主著のひとつである『三位一体論』で「神の三一性」をおおよそを述べた終えた後、自らの言説を全てひっくり返すようにして否定しています。先に引用した『キリスト教の教え』と同様で、人の言葉の限界を意識してのことと考えることが出来るでしょう。ただ、この否定は自らの言説が誤りであることを認めるものではありません。何も言わなかったに等しい。ということばのニュアンスは、LWの「無意味」あるいは『論考』の構成に似ている。と私には思われます。このような、正しさを主張することに留保を保ちながら持論を述べる、という態度はアウグスティヌスとLWにおいて共通していると言えるでありましょう。

 アウグスティヌス以前のキリスト教擁護の論客達は、ギリシア語を話すヘレニズム文化圏の教父達でありました。ただしかし、アウグスティヌスはマニ教というヘレニズム的な宗教を自己否定する中で、ギリシア的ヘレニズム的なことばの語法がそれを用いる「人間」が「真理」を述べるには限界のあるものである。という理解を得ることで一種独特な境地を切り開いたのではないか。と私には思われます。アウグスティヌスはヘレニズムというパラダイムの中で(ただしアウグスティヌスにとってギリシア語は外国語であった)そのロゴス的言語観を構成する語彙を用いざるを得なかった。なぜなら、そうしなければ同時代の人々の理解を得ることが難しかったから。それでもアウグスティヌスはロゴス的言語観の中で語ったのにも関わらず、自らの言説を「無意味」と言明するだけの見識と勇気とを持ち合わせていた。ということです。

 公的には「無意味」であるが、しかし、私においては意味がある。ということをその主張は含んでいる。ただ、それが「真」であるかどうかは、結局「人」には判断がつかないであろう。認識による覚知の限界をどこまでとするか。それはアウグスティヌスとペラギウスとの論争の論点でもあった。ヘレニズム的語彙の用法は、この言葉の限界に対して無責任なのである。正統教会の教義論争の中でさえ、この言葉の限界の壁には揺れがある。

   ロゴス的語彙とその用語法は、実はヘブライの「神」が不在のままでも「真理」を構成充足できるはずの何かであった。もちろん、それらの語と語法が「ゴール」に過ぎなかったとしてでもである。なぜなら、もしそうでなければ、ギリシア哲学は何一つとして書かれ得なかったであろうから。

   ロゴスはいわば汎用の「形而上世界記述言語」であった。それはオリンポスの神々やローマの神々、さらにはヘブライの神の下僕にさえなり得る汎用言語であった。特定宗教と接続させなければそれは無神論さえも記述できる言語でありえるだろう。

   ところが、「形而上世界」の記述はその言語の機能から事実にそぐわない記述を不可避的に生じせしめる。なぜなら、言葉は(再帰的であっても)何かを指し示す機能しかもたないから。しかも指し示されるべき何かは「そこ」にはないのであるから。言葉で何かが記述されれば、その言葉によって指し示される何かがどこかに必ずあるはずと考えられるから。だから、言葉の有意性を確保するために「イデア世界」を仮設しなければ、ロゴスは意味を持ち得なかった。この点で、形而上的な語彙が用いられる場合、その語彙が使用される前になんらかの実態があったかのごとき印象を、語る者聞く者に与えるのではないか。仮設がいつのまにか建築物になってしまうような扱いがあったのではないか。LWはそれを「暗示」とはいうけれども。

   イマジナリーな語彙は偶像の一種である。とするなら、ユダヤ・キリスト教においては忌避されるべき何かである(十戒の二)。この意味ではプラトニックな語彙は偶像の一種であるからそれを用いるべきではない。という立場があり得るだろう。だから、偶像否定の教義とプラトニックなロゴス的言語観との共存はとても困難なのではなかろうか。三一説は、その困難さを克服するための論理であるように私には思われる。極端な類比で言えば、ことばを巡る名辞も対象も関係性も皆一つである。ということに他ならないから。

 プラトニズムの導入無しに誰も「真理」を語ることはできない。「真理」という語彙は普通名詞であるような印象があるのだとすれば、既に我々の言語がヘレニズムの残滓を抱え込んでいるのだ。と認めるべきであろう。我々の言語は、人によっては、ヘレニズムをインヘリット(継承)しているのである。 

   虚構であるにも関わらず映画の話題が日常会話に上がるように、仮設的な実態しか指し得ない形而上用語もまた、我々は日常的な会話の中で、ある語法に順じて日常的に用いている。この点でいえば、「真理」を語ることは「ピカチュウ」を語ることに似ている。

   LWも、アウグスティヌスも、哲学の語りはこのような「仮構(言葉が指し示す対象を仮設して語ること)」を含むものであることを理解していたのだと私には思われる。この仮構性とどう向き合うか。自らの思想の中でどのように扱うか。それが二人には問題であった。二人にはその著述あるいは文体において大いなる違いはあるだろうが、この「仮構性」を躓きの石として認め最大限の注意を払う態度は共通していた。というより、LWはその態度をアウグスティヌスから学んだに違いないのだと私には思えるのである。

 ちなみに、『哲学探究』のドイツ語原文の本文冒頭の最初の語彙は「アウグスティヌス」です。英語版では引用ラテン語本文が先です。


20.牢獄としての肉体。あるいは言語 -1-(2000/10/30)

ウィトゲンシュタイン全集第5巻、『倫理学講話』394頁

 私が考え得るいかなる記述も私のいう絶対的価値の記述には役立たないばかりでなく、かりに誰かが提案することのできる有意義な記述があるとしたら、私はそのような記述はどれも、最初から、その有意義性を根拠にして拒否するであろう、ということであります。すなわち、このような無意味な表現は、私が未だ正しい表現を発見していないから無意味なのではなくて、それらの無意味さこそがほかならぬそれらの本質だからだ、ということが私には今やわかるのであります。なぜならば、それらの表現を使ってわたしがしたいことはただ、世界を超えてゆくこと、そしてとりもなおさず有意義な言語を超えてゆくことにほかならないからであります。私の全傾向、そして私の信ずるところでは、およそ倫理とか宗教について書きあるいは語ろうとした全ての人の傾向は、言語の限界にさからって進むと言うことでありました。このようにわれわれの獄舎の壁にさからって走るということは、まったく、そして絶対的に望みのないことであります。倫理学が人生の究極の意味、絶対的善、絶対的に価値あるものについて何かを語ろうとする欲求から生ずるものである限り、それは科学ではあり得ません。それが語ることはいかなる意味においてもわれわれの知識を増やすものではありません。しかし、それは人間の精神に潜む傾向をしるした文書であり、私は個人的にはこの傾向に深く敬意を払わざるを得ませんし、また、生涯にわたって、私はそれをあざけるようなことはしないでしょう。


 言語は、LWにとって「獄舎」であったのであろうか? 三島由紀夫は東大全共闘の学生との討論で次のように語っている。

『討論 三島由起夫 v.s. 東大全共闘』16頁 新潮社 1969
 肉体の外に人間は出られないということを精神は一度でも自覚したことがあるのだろうか、これは私がいつも考えてきたことであります。なぜなら、われわれは自分の肉体の外へ1ミリも出られない。こんな不合理なことがあるだろうか。私どもの肉体から外へ出てくるものは、欠伸だとか咳だとか唾だとか排泄物だとか、要らなくなったものばかりが出てくる。そして私自身の存在というものは、自分の肉体の皮膚の外へたった1ミリも自我を拡張することができない。その閉ざされた肉体の中で精神の自我だけが無限に異常に、ガン細胞のように増殖して拡がっていく。そしていわゆる文学者というものは、そういう肉体を無視した精神の増殖作用に一生の仕事をかけて、自分があたかも精神によって世界を包括し、支配したような錯覚に陥っている。これはどういうことだろう。私は何とかしてその肉体を拡張してみようと思った。それからそれをやってみましたところが、肉体というものがある意味で精神に比べて非常に保守的、そして精神というものは幾らでも先鋭に、進歩的になり得るのだけれども、肉体というものは鍛えれば鍛えるほど、動物的な自己保存の本能によって動いている。それがぼくの肉体というものに対するおもしろい発見でありました。肉体というものはその存在自体にしか関われないものであって、その存在から外側のものには何らタッチしない。ですから、肉体の「縁(へり)」というところには一体なにがあるのだろうか。私はそのボーダーライン、国境(バウンダリー)に非常に興味を持った。われわれの皮膚がここにありますね。皮膚内世界の外に世界が接触している、その接触点に何があるのだろう。これは私が考えた一番の疑問だった。なぜなら、われわれはただ頭だけでものを考えている時は、そういうものは完全に乗り越えてどこへでも境界がなしに行ってしまう。私の現在持っているような非常にラディカル保守的政治思想というものは(笑)あるいはひょっとすると肉体の考え方からでてきたのかもしれない。そうでないと、自分でもどうしてこんなになっちゃったかよくわからない。ちょっと説明が不満足ですけれども、こんなところで....。


 三島由紀夫の「牢獄」は肉体であった。これに対してLWの牢獄は「言語」であったのだろうか。

 視野の拡大、知的理解の進行で「私」はいくらでも拡張する。という近代的な自我の拡大には臨界線がある。ということを共に言い表しているように私には思える。ただし、その臨界線を三島は「肉体=皮膚」に見て取る。これは直示的なので直感的にはわかったような気になれる表現である。これに対して、論理学者であるLWの自我の臨界線は「言語」である。『論考』の『5.6. わたくしの言語の限界は、わたくしの世界の限界を意味する』とある。また5.6.4以下でLWが『世界とは私の世界に他ならぬ』という宣言によって示される「独我論」においては、自我は「世界」の隅から隅まで覆うように拡大される。しかし、この世界はフィジカルな空間を持たない。「独我論」の自我は三島の言うような「肉体」に限定されるわけではない。およそ言語で示され得る限界が「有意な世界」の限界なのである。さらにいえば、LWの「世界」はまさに直示的事実に担保された「有意」な世界だけを意味するのであって、それは事実によってたつ「世界」なのである。この有意性を端的に「皮膚=肉体」という直示ラインまで強引に引き戻してしまうならば、三島の自我とLWの自我にさしたる相違は見いだし得なくなるだろう。

 近代的な世界とは、言い換えれば、世界の一部として「可能性」が組み込まれた世界である。「可能性」が世界の一部であることを誇示するような世界である。科学的理論はその「可能性」を語るための文法の一種であろう。共産思想は科学的思想である。といわれたそれは近代的世界観を示す端的な一例であった。ただしかしながら、可能性は事実ではない。多くの共産国家が国家経済という貸借対照表の大赤字を克服することができずに倒れたように、「可能性」はそれが有意義であっても、世界の存在の担保物件に充当するにはリスクが大きすぎる。三島もLWも「可能的世界」には信を置かない、事実にこそ依拠する保守主義者であった。

 しかし反面、三島もLWも、ある意味で絶対的な何かを自らの倫理性の基準として求めていた。三島はそこで「天皇制」を直示した。ある種語り得ない絶対性を具体的に示すことをもって、茫洋に陥ることを克服しようとしていたのではあるまいか。しかし、それを具示することで、三島の天皇制に関わる主張が常に様々な論者によって相対化されてきたのも事実ではある。美学としての絶対性が客観的な認知合意を得ることができるなら、それは象徴性と同意であると思えるのだが、もしそうした客観的な認知合意をえることができなければ、自らの美学は孤独の叫びにしかならない。文学者である三島は自らの「武士道的」美学の裡に一人称の叫びをもって市ヶ谷で自決した。

 第三者的には、三島も軍人時代のLWも愛国主義者のように見える。しかしむしろ、絶対的な価値が保証された「死に場所」を求めていたのではなかろうか。それは一人称的な美学の求めではなかったのか。三島は『葉隠』について書いた際「武士道とは死ぬことを見つけたり」ということだと強調する。つまり武士として死ぬべき場所にはある価値が充満していなければならないものであった。三島は二次大戦時には年齢的体格的に兵士とはなり得なかった。この点で、弾丸飛び交う戦場は三島からは遠い。

 LWは祖国のために死をも厭わない。という決意で志願兵となり従軍し、激戦の前線では銃弾を恐れず任務を全うすることにつとめた。そしてその勲功によって勲章も得ている。が、しかし彼は戦死せず、生き残った。「戦争が私を生かしたのである。」という独白もあるほどだ。LWは戦争を体験することで美学によって死ぬことを断念するに至ったのだろうか。(自殺したオットー・ワイニンガーとLWの関係を考察すること)


21.独我論とカルト(2000/11/27)

カルト
  [宗教的な崇拝の意〕
既成の社会から正統的とは見なされない宗教的集団。転じて,趣味などで愛好者による熱狂的な支持をいう。

三省堂『大辞林』より
 「カルト」語義を辞書的に言えば上述の通りであろう。「正統的でない」=「怪しい」というニュアンスに「崇拝」が加味されている。「崇拝」「カリスマ」など宗教的「権威」を外に求める志向が「カルト」にはあるということだ。転義として「趣味的な熱狂」も含まれるという点も別の着眼点であろう。もちろん、上述した語義解説には「正統」と「異端」の基準が示されているわけではないし、「宗教的」であるとか「趣味など」という語も明示的に用いられているわけではない。読者は何が「宗教的」であり、何が「趣味」であるのか。そして何が「正統」であるのかについて既知であることが前提となるのである。この意味で「カルト」は常識を知る集団の側の用語である。彼らが「非常識な宗教集団あるいは趣味耽溺者」を指し示す場合に用いられる語であるといえる。

 カルトの側に身を寄せて言えば、「カルト」とは「世界や人生の意味を積極的に明らかにしようとする傾向」であるとも言える。少なくとも私はそう言いたくなることがある。常識と非常識の境など実は無いのだ。と言いたくなることがある。

 常識の側に居る人々にとって「カルト」的な何かは「非常識」な何かである。だから立場が変われば意義も反転する。「正統」v.s.「カルト」あるいは「常識」v.s.「非常識」という二項対立的な関係でしかないのであろうか。「正統性」はいずれに。という問題だけであるなら、それは政治的な力関係として記述し終えることができるだろう。ところが少なくとも「宗教集団」である限り「絶対的な価値観世界観」を戴いた「正統性」の主張があっての対立なのだから、転向(回心)無しの妥協はあり得ない。

   日本語とは面白いもので、「正統性」と「正当性」とは同音異義語である。

   「常識と非常識」の境界線を「正当性」に求める「カルト批判」はよく見られ一般的だ。ではこの「正統性」と「正当性」の違いは何か。実証的に言えば、裁判所は「正当性」を判断し得るが「正統性」の有無の判断は裁判所には馴染まないということだ。「正当性」はこの意味で社会常識や道徳などに基づく「法秩序」の枠内で判断され得ることなのである。この意味で「正当性」に基づく「カルト批判」は常に常識であり多数派である。それゆえ「カルト宗教」もその活動が合法的かつ社会的一般道徳の範疇に留まっていれば「正当性」を云々されることはない。「正当性」を維持していれば、仮に対抗的な絶対価値を標榜し合う複数の異宗教も同じ社会で共存できる。そして共棲しているのである。但し過去のあまたの狭隘な集団同士の闘争と妥協平和の積み重ねで現在の秩序が成り立っているということももちろん考慮されなければならない。

 「正当性」を主張したとしても、それは「正統性」の(肯定・否定)論証になんら寄与しない。相対的な価値観の積み上げを行ってもその積み上げの総体をもってしても「絶対的価値観」にはなり得ないということだ。

 あらゆる意味において「正統性」の主張は(客観的あるいは科学的に)論証・検証できないし、そもそもその種の主張はナンセンスである。なぜなら「正統性」は揺るがすことのできない絶対性を根拠としていなければならないのだから。(LW的に言えば)あらゆる「正統性」の主張は全く無意味である。だから「正統性」ある宗教的絶対的価値観の下で組み立てられるようなある種の倫理的ルールのセットがその「正統性」のゆえに「正当」であるなどということもできない。正統性の認識は「信ずる」という態度の中でしか実現されない。ただしかし、信ずるところがあるといえども、「信ずべき正統的な宗教(あるいは体制・制度)」が提示するルールセットが「正当」的であると考えることは誤解の一種であるといえるのではないか?

 しかし、しかし、「信ずる」という私的営為こそが絶対性の認識の根拠になるのだ。という考え方は、だからこそ風の前の蝋燭の炎のごとく危うい。宗教の多くが用意している「修行・修養(瞑想を含む)」のセットの実践は、この「信ずる」というありかたを強化することにその目的が設定されている。しかし、しかし、「信ずる」という私的営為こそがその人に「絶対的価値」をもたらすのである。私がそれを「絶対的」と信じること無しに絶対的な何かが私には認識されることはない。そしてこの認識は私を「正統」の側に引き寄せる。そして正統なるが故に正当的であると思われる倫理的ルールと行為のセットという迷宮にはまり込む誘惑に自身をさらすことになるのである。

   哲学的思索は、宗教でいう修行・修養と似ている。独我論はこの修行中に生じる一種の「はまり」であると私には思える。「私」を絶対化することなしに独我論は成立しないのであるから。「私」を信じること無しに独我論は成立しないのであるから。

   しかし、しかし、哲学的思索は宗教的思索であってはならない。なぜなら、哲学的思索は第三者に対して理解されるべき公然とした「学」の範疇に収まっていなければならないのだから。哲学それ自体が「信仰」の対象であってはならない。独我論は「私」を論理的実在として絶対化する過程の中で「信じる」という態度を哲学に持ち込むのだ。独我論は「私」を信じること無しに成立しないのである。これは自家中毒である。「信ずる」という態度を解体することもまた哲学の役目であるはずである。




22.党派性について (独我論とカルト-2-)  (2000/11/24)

 国家、組織、団体、党派、教団、等々に属する人はその組織の内部的な倫理的ルールセットを遵守実践することが要請される。そして、その遵守実践を行うことがその組織の根本価値観を受け入れていることを示す「証拠」とされ組織のメンバーとして受け入れられる。

 つまり、その組織の諸規範を束ねる根本価値の「正統性」と組織の諸ルールを遵守する「正当性」は混然としている。
 国家であれば、明文化された「憲法」がその「正統性」を指し示している。が「憲法」自体は最高法規であるとはいえ法規範の一つに過ぎない。それは改廃修正が可能なルールである。「憲法」にはさらにその上位の「自然法」があるのだと考えられている(全ての場合ではないだろうが)。もちろん、その「自然法」にはさらに「上位」もあると考えられている。

 近代民主主義国家においては、「憲法」の正しさの根拠(正統性)は民意の総意にあると規定することが一般的である。憲法は法的ルールであり、常に「正当性」が同時に(裁判によって)担保されている仕組みを有する。「憲法」は国家的規範の「正当性」と「正統性」とを結びつける人為的な仕組みなのである。「憲法的制度」のなかでは「正統」と「正当」とが混然としていることが要請されている。

   全く別の観点、つまり、我々が幼い頃から親や学校や社会を通して習わされてきたこと、つまり「ルール」の遵守の態度の習得は、身近なルールを守り実践することを「正しい」行いと学ぶことであった。ルールを破る度事に矯正されることを通して、ルールを守ることに馴れてきた。日本の小学生であれば「ラジオ体操」や「前へならえ」という団体的行動にさえ馴れている。振り返ってみれば、社会的「ルール」を遵守するという習得の過程において、我々はそうしたルールの相対的正しさを検証することは希であった。さらにいえば、そうしたルールを廃したり修正したりする経験にも乏しい。しかし、むしろ、社会的ルールの改廃修正をなさねばならない事態に至る経験を「秩序」の中から見いだすことは(少なくとも子供には)難しい。それが「秩序」の意義でもあろう。

   LW的な「絶対価値」と「相対価値」とを峻別するという視点、あるいはその実践としての態度からすれば、「絶対価値」に基づく社会規範はいかなる意味においても改廃修正不可能な価値を有するはずであるが、そのような絶対的社会的ルールは存在しない。全ては相対的な価値しか有しないから、社会的ルールを遵守する個人はその自らが守るべきルールに常に対峙する態度が要求される。LWとスラッファやエンゲルマンとの友情の終わりは、彼らが国家的価値を自らの指針として選択したことにあったという。N.マルカムでさえ、LWとの会話で連合国側の国家的価値を擁護した発言を行いその逆鱗に触れたという。そしてLWとの関係を回復するためにとても気を遣ったという記録がある。
 LWが「絶対価値」を記述できない。というとき、それは絶対価値は「世界にはない」ということを意味する。だから相対的な価値に生死を賭するようなことはナンセンスである。ましてそうした相対的価値にのめり込むこと態度には承伏しかねるところがあったのであろう。

ヨハネ伝19章8節から
『ピラトがこの言葉を聞いたとき、ますますおそれ、もう一度官邸にはいってイエスに言った、「あなたは、もともと、どこからきたのか」。しかし、イエスはなんの答えもなさらなかった。そこでピラトは言った、「何も答えないのか。わたしには、あなたを許す権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのか」。イエスは答えられた、「あなたは、上から賜るのでなければ、私に対してなんの権威もない。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、もっと大きい」。』

 私には、上記引用句が示すことは、政治的(相対的)価値と、絶対的価値とは折り合わない。さらに絶対価値をないがしろにしてはならない。という「教訓」であると思える。LWの絶対価値に関する独白を考えるたびにこの成句が思い浮ぶ。これは私のこじつけだろうか? 

 「党派性」とはいわば相対的な価値しか表現できないはずの倫理的ルールセットにがんじがらめになることである。組織によっては「絶対的価値」は「そこ」に掲げられてある。と表現されることもあるかもしれないが、その絶対性の客観的証明は明文化できないであろう。明文化したとたん、それは相対化されてしまうのであるから。しかし、「絶対価値」と思い浮かべられる事柄が無ければ、誰しも信念や確信を持つことはできないであろうし、たった一つの相対的価値さえ主張できないであろう。ここに言語の限界が現れるのではないか。いずれにしても、「党派性」に固執することは爆走であると思える。

 「絶対価値(対象)」を「絶対価値(名辞)」として記述できること。ここにも「アウグスティヌスのパラドクス」が見て取れる。「党派性」の問題を考えると、とどのつまり、党派性の存立を確実にするための正しさの根拠、すなわち「正統性」の問題に行き当たる。そしてそれは「絶対的正統」を保証する担保の確保に行き着く。そこで党派はそれを構成する構成員に対して「秩序維持」の名の下に自らの倫理的ルールセットで「党議拘束」するという一種の「マインドコントロール」を行うこともあるだろう。しかしながら、あらゆる党派が掲げ得る根本価値は本質的に相対的価値表明に留まる限り、LW的にはナンセンスである。だけれども、そうした党派性はナンセンスであってもあざけりをもって遇してはならないと思える。なぜなら、そうした「爆走」するベクトルによって「それ」は暗示されているのであり、また、「爆走」の存在によって「それ」はまさにあらわれようとしている(かもしれない)のであるから。


23.牢獄としての肉体 -2- ドストエフスキーの周辺(2000/12/12)

 自我は肉体あるいは言葉の囚われ者であろうか。囚われているのであれば、自由になることもあるだろう。自我が肉体に組込まれた単なるOS(Operating System)に過ぎないのであれば、肉体の死滅と共に自我の機能は停止するだけであろう。独我論者といえども睡眠によって毎日毎晩、世界は停止しているではないのか?

 ノーマン・マルコム『ウィトゲンシュタイン』 P56 講談社新書

 ついでながら彼はドストエフスキーの作品も賞賛していた。『カラマーゾフの兄弟』は数えきれないほど何度も読んでいた。だが、作品としては『死の家の記録』が最高作だと言ったことがある。

 LWはドストエフスキーの作品として『死の家の記録』を推していた。というマルコムの指摘は興味深い。『死の家の記録』は小説である。とはいうものの、ペトラシェフスキー事件に巻き込まれてシベリア流刑になったドストエフスキーが自らのラーゲリ体験を元に書いた作品であるから、想像上の作為的な作品ではない。そこでの記述は淡々としながらも詳細微に入るようなリアリズムに満ちている。まさに、「事実を事実として記述してある」かのごとき印象がある作品である。この点で、LWが『死の家の記録』をドストエフスキーのベスト作品と推すのはわかるような気がする。

   もし、自我が肉体という牢獄の中に閉じこめられているのであるとすれば、その肉体が監獄に閉じこめられていたとしても大差はない。肉体が監獄から自由であっても、精神は自我という監獄に閉じこめられているかもしれないのだから。しかし、これは観点という位相の相違がもたらす視差の結果、見え方が違うのである。モータルな存在としての人間は監獄から自由であっても死から自由であるわけではない。若死にする者も長寿を全うする者も、同じようにゴルゴダの丘への行進を続けているだけに過ぎないのかもしれないのだ。

ウィトゲンシュタイン全集第5巻『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』166頁

 宗教の語りはまた「比喩」でもない。何故なら、さもないと人はそれを比喩でなく語ることも出来ねばならないであろうから。宗教の語りは言語の限界に対する突進であろうか。言語は決して牢獄ではない。

 ウィトゲンシュタインのような哲学者が「言語は決して牢獄ではない」と語ることに、私はとでも含蓄を感じる。思いつくままに言うと、ひとつは、言語の牢獄性を否定するということは、実証主義とは無縁である視座にある。ということを意味していると思えること。LWのような厳密性を重んじる哲学者においてさえ、言語の限界を超えうる何かは語り得ると信じるところがあるのだということ。次にそれは、相対主義の立場にも居ないということ。相対主義は絶対主義を含まないという限界を有するが、言語においてその相対主義を越えうることを予感しているというニュアンスがこの表現には含まれている。相対主義を事大に掲げるだけにとどまるのであれば、それは「ことばの牢獄」に安住していることを宣言しているようなものだと私には思える。さらに、「言語の牢獄性」を否定することは「言語の限界は私の限界すなわち世界の限界である」というような独我論的認識との決別をも意味するであろう。    ドストエフスキー的逆説とは、非自由(監獄)の中にあってさえ自由は得られるという思想をいう。たとえば『罪と罰』のラスコーリニコフもまた「監獄」において「新しい生活」を得るように。『死の家の記録』のドストエフスキーは小説とはいいつつも、いわば事実を叙述するタッチで淡々と記述する。この文体にLWはいたく惹かれるものを感じたのであろう。 
『論理哲学論考』ドイツ語原文

1. Die Welt ist alles, was der Fall ist.

 「事実(独:Fall)」を記述する。という「叙事の思想」はLWの思想の端的な特徴である。それは「事実」を叙述することは「事実」を「ことばの存在」に置き換えること。「叙事」はすなわち「世界がある」という「奇跡」を「命題の存在」に賭けて宣言することに他ならない。ということでもあるだろう。それはとりもなおさず、「叙事」を行う者は世界が存在するという「奇跡」の証言者である。と理解することに他ならない。この意味で、身近な「事実」を「奇跡」と了解できるのであれば、「監獄」にあるか「牢獄」にとどまるかは問題とならない。神的な奇跡物語や神話さえも不要であるだろう。もちろん、このように表現されるLW的理解は「宗教的」な「言語ゲーム」の範疇である。首肯できる人もいるであろうしそうでない人もいるであろう。「事実」の見方は人さまざまで一様であるわけではない。

 


24.反ロゴス(2001/1/8)

 
ウィトゲンシュタイン全集第5巻 ウィトゲンシュタインとウィーン学団 163~164頁
●1930年12月17日(水曜日)(ノイヴァルトエックにて)

 シュリックの倫理学について

   シュリックの言うところによると、神学的倫理学には、善の本質に関して二つの解釈がある。その一つ、浅薄な方の解釈によれば、善は、神がそれを欲するがゆえに善なのであり、他の一つ、深淵な方の解釈によれば、神が善を欲するのは、それが善なるがゆえになのである。しかし私によれば、第一の解釈の方が深淵なのである。善とは、神が命ずるものなのである。何故なら、この解釈は、「何故」それは善なのか、という問いに答える如何なる説明の道をも断ち切ってしまうのに対し、第二の解釈はまさに「あたかも」善なるものは更になお基礎づけられ得るかの如くに主張するところの、表面的で合理主義的解釈であるのだから。
 第一の解釈は、善の本質は事実との何の関わりなく、それ故、如何なる命題によっても説明され得ない、ということを明確に述べている。もし私の思っていることをまさしく表現する命題があるとすれば、それは、神の命ずるものである、という命題である。

 LWの「善」に関する考え方は、この一文に端的に示されていると思う。今更付け加えることは蛇足以外のなにものでもないとは思うが、気になる点をいくつかメモ書きとして示しておくことにする。一つは、この文章は、「倫理学講話」の講演を終えた(1930)年のクリスマス・新年の休暇の間に帰郷したLWをつかまえたヴァイスマンによる記録であるということである。

   内容的には、まず、シュリック的な「善」の解釈(第二の解釈)は、おおよそ一般的な考え方を敷衍する語法だということである。つまり「善とは何か」という「問い」がなされる場合、すでにそれは答えとしての「説明」が予想されている。倫理学はまさにこの種の「問い」に対する答えとして用意されるであろう「説明」であるはずだからである。ギリシア哲学を自らの思想の源流と仰ぐ人々によってなされる倫理に関わる哲学はそうした思考フレームの中にある。

 しかし、そのような思考フレームに対するLWの異議はここで明白である。LWは「善」を概念的に理解することをつまり説明をもって理解することを拒否する。LWは「善」を「神の命令」と捉える。それは軍令のようなもので、発せられれば即時的に従わなければならない暗黙的命令なのである。だから、それは一次的規範命題(汝~すべし)といった命題では表現されない。ただ自らの行為として示されるような何かであろう。(よちよち歩きの幼子が転んだ場合の対応を 1.自身の子供である場合、2.他者の子供である場合 に分けて考察すること)

 もし「善」を概念として基礎づけることができるのであれば、そこでは明らかに「神」は不要である。もちろん、見方を変えれば、LWは「善」を「神の命令」として基礎づけている。といえなくもない。しかし『第二の解釈はまさに「あたかも」善なるものは更になお基礎づけられ得るかの如くに主張する』とあるように、むしろ「神」と関わりを持たないような基礎付け方だけを拒否しているのである。説明者が希にみる天才秀才であろうとも、たかだか「人」による説明を拒否しているのである。

 私は、このようなLWの態度をキリスト教的文化の中に潜むヘレニズム的傾向を拒否する態度と理解する。それはヘブライ的と云うことができる。実際、LWは自らがヘブライ的であることについて自覚的であった(1942年)。
レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン-2-』P596
 ドゥルーリーとの会話は、宗教的主題へと向かい、その頻度が増していった。彼はドゥルーリーの<ギリシア的>宗教観念と彼自身の思想とを対比させた。彼自身の思想は、「100パーセント、ヘブライ的だ」、と彼は語った。....(1942年)

 1930年の時点では純粋にヘブライ的であるとはLW自身は言い難かったであろう。それは『論考』が多分にコスモロジカルな表現を多く含んでいたからである。LWにおいては、まずもって、ロゴス的言語観を拒否する信念ともいえる立場を確認することで、逆にそれら昔の立場や視点を再確認する必要に迫られることになった。そのいくつかとして『論考』の「写像理論」や「数理的論理学」という表現手法がある。そしてそれらは続く数年の間の主なる自己批判対象となってゆくのである。また、シュリックやヴァイスマンなどのウィーン学団の人々との討論を重ねる中で、彼の確信に近い部分の故に、却って彼らから離れざるをえなくなったのだと思われる。その後に展開されるLWの「後期哲学」は自身の哲学からこのようなロゴス的言語観の排除が行われる過程であるとみることさえ出来るであろう。この点で、ロゴス的言語観しか持たない者がLWの哲学を理解する道は遠いのではないか。

   LWの思想表現が特異である点として、概念の基礎付けとか定義とかを避けていたこと、あるいは概念術語の使用に細心の注意を払っていたことなどがある。倫理的表現の欠落もあるだろう。読者によってはある種の歪みをそこにみることさえあるだろう。しかし、それでもなお、彼の思想が彼の地の多くの人に読まれ受け入れられ続けている理由があるとすれば、多分に、彼の思想がキリスト教的な文化から決して離反していないだけでなく、さらに回帰さえ促すところを感じるところがあり、郷愁を誘う部分が多々あるからだと思われる。

 さてさて、歪みフィールドに居るのは、LWか読者かのいずれであろうか。それを判ずるのはもちろん読者それぞれに任されている。


25.反ロゴス -2- おしゃべりと語り (2001/1/28)

 ロゴス的言語観の下では「語る」という語法は特権的な扱いを受ける場合が多い。それは日本語でいえば、サ変動詞+「給ふ」の扱い方に似ている。つまり「語る」という語は「真理」や「真実」「本質」など、ある種とても究極的な事柄について、あるいは信条など、確信に近いことがらを「語る」行為の記述や発語の場合に対して限定使用されることが普通である。このような場合に「おしゃべりする」という語は用いられることはない。ふつう、「さぁ、これから、真理についておしゃべりしましょう。」などとは言わないのである。

ウィトゲンシュタイン全集第5巻、『倫理学講話』394頁

 私が考え得るいかなる記述も私のいう絶対的価値の記述には役立たないばかりでなく、かりに誰かが提案することのできる有意義な記述があるとしたら、私はそのような記述はどれも、最初から、その有意義性を根拠にして拒否するであろう、ということであります。すなわち、このような無意味な表現は、私が未だ正しい表現を発見していないから無意味なのではなくて、それらの無意味さこそがほかならぬそれらの本質だからだ、ということが私には今やわかるのであります。なぜならば、それらの表現を使ってわたしがしたいことはただ、世界を超えてゆくこと、そしてとりもなおさず有意義な言語を超えてゆくことにほかならないからであります。私の全傾向、そして私の信ずるところでは、およそ倫理とか宗教について書きあるいは語ろうとした全ての人の傾向は、言語の限界にさからって進むと言うことでありました。このようにわれわれの獄舎の壁にさからって走るということは、まったく、そして絶対的に望みのないことであります。倫理学が人生の究極の意味、絶対的善、絶対的に価値あるものについて何かを語ろうとする欲求から生ずるものである限り、それは科学ではあり得ません。それが語ることはいかなる意味においてもわれわれの知識を増やすものではありません。しかし、それは人間の精神に潜む傾向をしるした文書であり、私は個人的にはこの傾向に深く敬意を払わざるを得ませんし、また、生涯にわたって、私はそれをあざけるようなことはしないでしょう。


 我々は、『全知でないが故に(ソクラテス的にいえば「無知」なるが故に)「真理」のごときを語ることが出来ないのである。』とよく言われる。しかしながら、LWにおいては、「無知」であることが語ることを妨げる理由とはならない。そうではなくて、実はその種の「語り」がイデア的な仮設に寄りすがっていること。そしてそのことが論理的には「無意味」である。が故なのである。この場合の「語り」は「騙り」にしかならない。からなのである。

 「無知」であることを知ること。「無知の知」は西洋哲学の根本知のひとつである。凝視して考えるに、この「知」について語る場合は常に「真知」あるいは「叡知」が仮定されている。といえないだろうか。おそらく、ギリシア的哲学の学徒であることを自認する者であれば誰しも自らの思索が「知」を希求する衝動に突き動かされた営みであることに首肯するであろう。この営みが尊ぶに足ることは言うまでもない。

『反哲学的断章(旧版)』P43 1931年

『ソクラテスの対話を読むと、こんな気持ちにおそわれる。なんとおそるべき時間の無駄! なにも証明せず、なにも明らかにしない、これらの議論は、なんの役に立つのか?』


 しかし、LWは、良くも悪くもギリシア哲学的学徒ではない。イデアあるいはソフィア的な仮設を前提としたロゴス的なことばの語法は西洋哲学の「本質」の一端であるからといって、LWもまたそのようなロゴス的語法に準じて「語っていた」のだ。とする理解は誤解である。ところで『それらの無意味さこそがほかならぬそれらの本質だからだ』という表現はロゴス的であろうか。いや、そうではない。ここで言われているのは、ロゴス的語法全体をまさにロゴス的語法表現を用いた上で否定しているのである。ロゴス的語法に慣れ親しんでいる聴衆に向かってのおしゃべりは、そのような表現が適当であろうと彼は考えたに違いない。LW的語法としての「語り得る」は、ほとんどが否定構文で用いられていることに留意すべきである。(『論考』6.5.1で使用される「語り得る」という語法を考察すること。)

   だから、LWの思想を理解する場合、彼は「何事か本質を語ろうとしていた」と理解することは躊躇するべきだ。『論考』の狙いには、ロゴス的言語観を排除し得る論理を構造的に示すことが含まれていたであろうことは再確認されるべきであると思える。ただし、それは必ずしも完全に矛盾無く主張達成されていたわけでもない。この観点から見ると観点自体を危うくするような矛盾を読者は『論考』に見いだすことができるであろう。それを根拠として『論考』の筆者は十分にロゴス的言辞を行っていたと指摘し、この種の観点が誤りであると見なすことさえ出来るであろう。しかし、そうした『論考』が含む矛盾点の多くが、実は1930年以降のLWの哲学的テーマとなっており、後期と呼ばれる時期の思索の過程で検討され続け、彼自ら批判し撤回して行くのである(たとえば「写像理論」は、具体的に「要素命題」を何一つとして示し得なかったという点を根拠にしてLW自ら批判することになる。要素命題は理論のための「仮設」概念でしかなかったのである)。『論考』の魅力が、ある種、コスモロジカルなところにある。というのは一種の逆説である。その不完全さの故に『論考』が多くのロゴス的基盤を有する読者を惹き付けていたことも事実ではある。

 もうひとつ、「ドグマ」という考え方についてもここで触れておこうと思う。「ドグマ」は「誤りを導き出す思考方法」であると考えられている。古来より、哲学にはそのような「ドグマ」が数多く潜んでおり、哲学を学ぶ者は常に「ドグマ」と敵対していなければならない。と教えられるものである。しかし、LW的な観点から言えば、「ドグマ」もまた「正しき思考方法」が存在するという仮設を前提に意味をなす言葉である。だから、「ドグマという考え方がまさにドグマであることを示している」ということができるであろう。

 「語ることが出来る」「語ることが出来ない」という表現は、このような意味で、それはとてもロゴス的な語法にまみれているのであって、LW的には躊躇して用いるべきだろう。それでも、唯一「私が信じること」と呼び得る事柄に限っては、「語る」という語によって「語られる」べきかもしれない。LWにおいても、少なくとも一人称の「語り」の余地は残されているのであるから。

 「言語ゲーム」という語は何か特殊な「概念」を思い起こさせるという意味で、不適切であると思うことがある。それが「概念」であれば、「言語ゲームとは何か? その本質とは何か?」と問いたくなるからである。そのように問いを立てる意義は再考されなければならないであろうと私には思われる。だから、そのような高級難解な語によって思索することをいったん止めてみる。というのも一つの理解の仕方かもしれない。たとえば、「言語ゲーム」というタームをもし卑近な言葉に訳し換え得るならば、その候補のひとつとして「おしゃべり」という語をあげることができるだろう。なぜなら、語法的な観点からいえば、誰しも「おしゃべり」の中で「絶対善」とか「真知」とか「叡知」とか「本質」とかなど、深遠・崇高なことがらが扱われるとは考えないであろうから。仮に扱われたとしても、たかがおしゃべりに大した意味はないと思うであろうから。LWがそれをゲームと表現したことにある種の意図があるとすれば、「ゲーム」もまた「真理を語る」という意義とは無縁であろうと考えたからだと私は思うのである。もちろん、「ゲーム」は「ルール」に近しい語であることもあるだろう。しかし、「言語」と「ゲーム」の組み合わせはなぜか難解な印象がある。その点で「おしゃべり」という語は単純である。がしかし多分に「あざけり」的なニュアンスが含まれているし、「ルール」にも遠い。だから、それをこのような意味で用いるのは適切でない。それでも、総じて人間の言語行為すべてを「おしゃべり」として平坦に捉えることができる。というメリットはあるだろう。こんな解釈的視点もあって悪くないのではなかろうか。




26.反ロゴス -3- ロゴス批判は可能なのか? (2001/2/3)

 もうひとつ、「ドグマ」という考え方についてもここで触れておこうと思う。「ドグマ」は「誤りを導き出す思考方法」であると考えられている。古来より、哲学にはそのような「ドグマ」が数多く潜んでおり、哲学を学ぶ者は常に「ドグマ」と敵対していなければならない。と教えられるものである。しかし、LW的な観点から言えば、「ドグマ」もまた「正しき思考方法」が存在するという仮設を前提に意味をなす言葉である。だから、「ドグマという考え方がまさにドグマであることを示している」ということができるであろう。



 一つ前のフレーズで上述のように書いた。が、おそらく、LW的な観点からすればこのような批判さえも無意味であろう。なぜなら、仮設された「正しき思考方法」を前提とする肯定的な言明がナンセンスなのであれば、その仮設を根拠に否定的な批判を行うのもまたナンセンスであるのだから。批判すべき根拠が無意味であるなら、批判者は自ら行う批判的言質の根拠を欠くのであるから。この意味で、「仮設」を根拠に批判することは自粛されなければならない。写像理論は、ただただ事実(現実)を指し示す命題のみが有意であるとするのであるから、「仮設」された概念やそれらに基づく理論を語ること(陳述)、また逆にそれらを根拠にして批判することもまた意味をなさない。直示できないことがらについて陳述することも批判することもともに...意味をなさないであろう。

 
 『論考』6.5.4.
 わたくしを理解する読者は、わたくしの書物を通り抜け、その上に立ち、それを見おろす高みに達したとき、ついにその無意味なことを悟るに至る。まさにかかる方便によって、わたくしの書物は解明を行おうとする。(読者は、いうなれば、梯子を登りきったのち、それを投げ捨てなければならない。)
 読者はこの書物を乗り越えなければならない。そのときかれは、世界を正しく見るのだ。





27.反ロゴス -4- 人間が話し得ることば (2001/2/3: 2001/2/20改)

 中間的な総括として、ウィトゲンシュタインの思想の狙いを私なりに要約するならば、LWは総じて、形而上学的な言明は肯定的であれ批判的であれ、それを公の場で述べることは慎むべきであると主張していた。ということであった。形而上学的な言明は少なくとも哲学の言明として「語るべきではない」ということであった。なぜなら、それは論理的観点からすれば肯定・否定を問わず根拠を欠く「無意味」な発語にとどまるのであるから。しかるにただただ事実のみを語るべきであるという立場に立ち戻る。

   しかしながら、『論考』のウィトゲンシュタインは、その結語だけを見てもわかるように、事実のみを記述するという立場にかならずしも留まっているわけではない。彼が言う「事実のみを叙述する」という立場こそがまさに形而上学的な理解を「無言」に押しとどめておく態度そのものであるのだから。つまりそこでは、「事実のみが語られるべきである」という当為(~すべき)の表明が語られ、理論化され正当化されている。という見方もできる。LWは『論考』あるいは講義や著述を通して、彼が「正しい」と信じていることを強烈に主張していたのだ。遺稿の読後感とは実に全く異なる印象、LWはどのような信仰者よりもファナティックな福音主義者であったとさえ見ることが出来るのではないか。そのような視点で相対化した上で取り上げることだってできるのだ。ただしあえていえば、ファナティックであることは決して悪いことではない。誰もそれを批判すべきではない。なぜなら、それが彼の無言によって表現された熱情であったのだから。

 あくまで第三者的な観点でLWの思想を把握する。という観点から言えば、LWの思想は十分過ぎるほど意図的かつ準則的である。悪く言えば作為的である。たとえば、LWの哲学批判あるいはロゴス的言語観とその用法に対する批判は、新約のイエスのパリサイ人批判の用語法を踏み外してはいない。LWは生涯を通じて、イエスの語法から外れたことは無いし、むしろイエスの語法を徹底的に論理的に擁護し続けていた。そうした感想を持たざるを得ない。

『マタイ伝』12.31

 だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、精霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、精霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。....(36)あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである。


 形而上的なことがらを肯定的、否定的を問わずに言葉に露わにしない。ただただ人としてあらわれ、人が語り得ることを語る。という立場に踏みとどまること。言語の限界を形而上の彼方に踏み込ませずに、人として語り得るところにとどめておくこと。この線引きを自らの意志として全うすること。LWの「踏み止まり」の神髄はここにあるかと思われる。LWは形而上学的な他者の物言いを具体的に批判することも希であったし、自らの著作で福音書を引用することさえも希であった(少なくとも私はその例を知らない)。しかし、それもまたウィトゲンシュタイン個人の想いなのである。

 LWの「語り得ることがら」と「語り得ないことがら」を区別するための理論は「写像理論」であり、その区別の基準は「事実(fall)」であるかないかの一点に依存している。そしてそれらはまさに「論理的」な議論として言明されている。しかし、ロゴス的議論があまたなされる現実において、この一点突破の理論が「妥当性」を十全に保持していると考えるのは困難であると思える。それでは、LWの思想が虚妄なのであろうか。このように書いている私の理解が虚妄なのであろうか。それとも....。




28.ウィトゲンシュタインとアウグスティヌス -4-(2001/2/25)

 『回想のウィトゲンシュタイン』(N.Malcolm)法政大学出版局版 117-120頁
 ウィトゲンシュタインは自分自身の性格ならびに経験によって、審判者および救済者としての神という考えを納得し得た、とわたくしは思う。しかし、原因とか無限とかいった概念から導かれる神というような宇宙論的な考想は、かれにとってはいとわしいものであったろう。彼は神の存在の「証明」とか、宗教を合理的に基礎づけようとする試みとかに我慢がならなかった。わたくしがある時かれに「キリストが自分を救ったことがわかっているのに、キリストが存在しないなどということがどうしてありえようか」といった趣旨のキルケゴールの見解を引用したとき、かれは、「わかったろう、何かを証明するなんて問題じゃないんだ」と叫んだものである。かれは、ニューマン枢機卿の神学的著述をケンブリッジでの最後の年に注意深く読んだが、これを好まなかった。これに対して、かれは聖アウグスティヌスの著作を尊敬していた。かれがわたくしに語ったところでは、『探求』をアウグスティヌスの『告白』からの引用で始める決心をしたのは、その引用文の中で表現されている考え方が他の哲学者によっても同様に述べられていることを知らなかったからではなく、あのように偉大な精神が抱いていた考えなら、それは重大なものであるに違いないと考えたからであるとのこと。かれはまたキルケゴールをも尊敬した。かれは、自分の表現に畏敬のようなものを交えて、キルケゴールを「真に宗教的な」人間だと言った。かれは『結びの非学問的なあとがき』を読んでいたが --- それは自分にとっては「深遠すぎる」と感じていた。英国のクェーカー教徒ジョージ・フォックスの『日記』をかれは感嘆しながら読み --- 一冊を私に贈ってくれた。かれは、ディッケンズの描写の一つを賞賛していたが --- それは、モルモン教に改宗し、アメリカへ向け出航しようとしている改宗者たちで一杯の客船を、ディッケンズが訪れたときの情景を描いたものである。ウィトゲンシュタインは、ディッケンズの描いているような人たちの静かな決意に感じ入っていた。
 わたくしは、ウィトゲンシュタインが何らかの宗教的信仰をもっていたとか --- 明らかにかれはもっていなかった --- かれが宗教的な人間であったとかいう印象を与えたくない。しかし、思うに、かれの心の中には、ある意味で、宗教の可能性が存在していた。かれは宗教を(『探求』の表現を用いれば)一つの「生活様式」とみなし、自分自身はそれに参与しないが、それに同情的で、大きな関心をもっていた、とわたくしは思う。これに参与した人たちをかれは尊敬した --- その場合も他の場合と同様、不誠実なやりかたは軽蔑したのだけれども。かれは宗教的な信仰を、自分自身の所有しない異質な性格や意志に基礎をおいたものとみなしていたのではないか、とわたくしは思う。カトリックになったスマイシーズやアンスコムについて、かれはあるときわたくしに、「かたしには、かれらの信じていることをすべて信ずるようには、とてもなれない。」と言った。このように言うことでかれが二人の信仰をさげずんでいたのではない、と思う。これは、むしろ、自分自身の能力についての観察なのであった。
 自分自身の将来についても、人間全体の将来についても、きわめて悲観的であるのが、ウィトゲンシュタインの性格であった。ウィトゲンシュタインと親しい関係にあった者では誰でも、かれのうちに、われわれの生は醜く、われわれの精神は暗黒に閉ざされているという感情 --- しばしば絶望とあまりに違わない感情のあるのに気づいたはずである。  


 上述のとおり引用したマルコムの文章は、おそらく第二次大戦後にケンブリッジのウィトゲンシュタインを訪れたときの事でありますが、私はそれを長らく読み損ねていました。『哲学探求』冒頭のアウグスティヌスの引用は、アウグスティヌスへの尊敬の念によるものであるということ、いわば、謝辞の別表現であります。この意味で、これまで述べてきた事柄、ウィトゲンシュタインの思想はアウグスティヌスの思想に連なる位置にあるとする見方は決して誤りではない。と思えます。


29.語り得ぬことがら -4-(2001/3/5, 3/7改)

 ここでは、『論考』の有名な第七節について再考してみよう。といっても、翻訳的、技術的な観点から見直してみることにする。

ドイツ語原文は以下の通り。

Wovon man nicht sprechen kann, darüber muß man schweigen.

英語では

Whereof one cannot speak, thereof one must be silent. (C.K. Ogden)
What we cannot speak about we must pass over in silence. (Brian McGuinness)
 いずれも、「語り得ぬ」に対応する動詞は英訳上では speak であり、say ではない。マクギネスの英訳は、C.K. Ogden宛のLWの手紙を考証した上での改訳なので、文献学的には、より信頼できる訳文であると個人的には考えている。

   この7節の日本語訳は、私が文献として知る限りにおいて、以下の3通りがある。

 ・語りえぬものについては、沈黙しなければならない。(法政大学出版局版)
 ・語りえぬことについては、沈黙しなくてはならない。(中央公論社版)
 ・話をするのが不可能なことについては、人は沈黙せねばならない。(大修館版:全集)

 さて、日本語訳はどれも似たり寄ったり、であろうか。実は独語原文の6.5.3節では、sagenという語が使われているのであるが、7節はsprechenなのである(序文ではradenを用いている)。LWはsagenとsprechenとを使い分けているのである。マクギネスの訳では、sagen=say, sprechen=speak という対応で明確に訳語を使い分けている。大修館版(藤本訳)では6.5.3のsagen=sayの訳語は「語る」で訳されている。しかし、法政大学出版局版(坂井訳)と中央公論社(山元訳)では6.5.3のsagenもまた「語る」があてがわれている。

   私感では、LW本人が、sprechen と sagen とを使い分けている以上、翻訳を行うのであれば異なる語には異なる語をあてがうべきであると思う。技術的な観点に限って言えば、原文の語彙が異なっているならば、それらが同一の訳語で訳されるなら、原文を知らない読者はその違いを認識し得ない。このような場合、これら「語る」という語彙のみで訳された訳文は明瞭性を欠いているし、それ故、原文を参照し(得)ない読者がsagenとsprechenとを使い分けたLWの意図を訳語の同一性から混同誤解したとしてもそれはやむを得ない。そこから「誤解」が再生産されたとしても仕方があるまい。と言うことができるのかどうか?

   それでは、大修館版の訳文が優れているのか。私は sprechen=話す sagen=語る というパターンによる訳し分けが「正しい」のであるか否かについては確言しない。というよりできない。これは単純に独語に対する素養というか語感を欠いているが故である。

   しかし、これまで述べてきたように、日本語の「語る」はロゴス的語法にまみれた語彙であることは確かである。また、古い雑誌の「エピステーメ」誌のウィトゲンシュタイン特集号における 山本信v.s.中村雄二郎の対論『ロゴスと遊戯』の中で中村は以下の様に述べている。
 
 『エピステーメ』 1976/10 217頁
 ウィトゲンシュタインの「語る」というのは「ザーゲン」でしょう。その「ザーゲン」という言葉の重みを最近までそれほど感じていなかったんだけれど、気がついてみたらヨーロッパでは「ザーゲン」というのは「ロゴス」のことなんですね。フランス語でいえば「ディスクール」
 とすれば、sprechen を「語る」と訳すのはまずいのではなかろうか。もし原文が以下のように書かれていたなら問題は霧散するのだが。

  Wovon man nicht sagen kann, darüber muß man schweigen.


 さらに「沈黙しなければならない」という訳について言えば、C.K.Ogden版を採ればそれ以外に訳しようがないかもしれない。だけれども、マクギネスの訳は、これまで私が述べてきたような意味でまさにアウグスティヌス的であって、沈黙状態でpass overしなければならない。という理解がマクギネスにはある。辞書的熟語的に訳せば「沈黙しなければならない」でも良いかもしれない。しかしニュアンス的にはかなり外れているのではないか。もちろん、この問題は、schweigen をどう訳すかということであるのだけれども。独和辞書的には「沈黙する」しかし、文例を調べる限りでは、「話したいことがあっても黙っている」つまり、「口をつぐむ」あるいは「黙秘する」というニュアンスが強いようである。「沈黙しなければならない」という表現が果たしてそのようなニュアンスを含むであろうか。もちろん皆無ではないだろう。しかしある種の積極的な解釈が必要ではないのか。その点でいえば、マクギネスはこのニュアンスをきちんと訳しているように読めるのである。

 だから、もし私なりの訳があるのだとすれば、以下の様な訳文が可能ではないかと思う。

 ・話すことが不可能なら、人は黙ってその前を通り過ぎなければならない。
 ・講釈できないことは、人は沈黙によって配慮しなければならない。
 ・共観できないことは、人は黙したままそっとしておかなければならない。

 等々。前節、後節の組み合わせなどもあるだろうが、残念ながらベストな訳は確言できない。だけれども、少なくとも「語り得ないことがらは....」という訳に問題が多いことは確かだと思える。さて、このような指摘が持ち込む印象は、これまで一般に膾炙されてきた訳が与える印象とは随分と異なる。もちろん、翻訳もまた訳者あるいはそれを読む読者の理解のひとつであるに過ぎない。解釈とは理解の程度でしかないのであれば、それなりにしか人は理解しない者なのであるから、どのような日本語に訳されていても訳語の差違は無視し得るかもしれない。ある意味でこのようにラフに考えればこの種の訳語選択の問題は取るに足らないことである。無責任かもしれないが、そう考えるのもまたひとつの見方であることもまた確かである。


30.共観的に話すということ (2001/3/7)

 『ウィトゲンシュタインの講義1930-33年』 大修館版全集 10巻10頁

 ... わたくしには、かれの用いた例や比較の驚くべき豊かさを正当に扱うことなどとてもできない。かれは、誰しも知っている事柄の「共観的(シノプティク)」なみかたとみずから呼んでいたものを、本当にうまく提示していたのである。また、わたくしは、かれの述べるあらゆる事柄に伴っていた確信の強さに対しても、あるいは彼が聴講者の中に喚び起こした極度の関心に対しても、これを正当に扱うことができない。かれは、もちろん、一度も自分の講義草稿を読んだりしなかった。実際、彼が講義草稿を書き出したことなどない。自分が言おうと思っていることを考え抜くのに、いつも多大の時間を費やしてはいたけれども。
 1930年以降、LWが行った講義は、上述のG.E.ムーアの証言にもあるとおり、その話題は「共観的」な見方が重視されることになる。これは、『探求』が与える印象に合致するであろう。すなわち、少なくともLWの哲学的用語法は、「哲学事典」に載っているような哲学的テクニカルタームを駆使して語ることを全く重要視しないという態度であったと推測できるのである。共観的という語は、マタイ・マルコ・ルカ三福音書を総じて「共観福音書」という通称の派生形容詞に他ならない。すなわち、LWは自らの後期哲学を用語法に限って言えば、共観福音書な用語法に準じて展開したのだ。ということができるだろう。この扱い、態度が、sprechen=話す という語のニュアンスなのである。という理解を私は持たざるを得ない。であるから、『論考』の7節は

 ・共観的に話せないことは、人は黙したままそっとしておかなければならない。

という具合に訳して差し支えないと思える。なぜなら、彼は哲学的な話をする際に「共観的(シノプティク)」という態度を自ら重視し率先実行していたのであるから。共観的とは、つまり、話の場にいる人々がその話題を事実として認め合えるような。という意味であると私は解している。

 後期哲学を読む読者の中には、そこからある種の概念を抽出し、さらに哲学事典的な用語へ抽象し直して語る傾向がある。しかし、そうした概念操作は、ある意味で「退行的」であるということができる。どんなケースにおいても、専門用語は「共観的」ではない。それは語義の解説が別途必要になる類の語彙だからだ。専門用語を含む言語ゲームは、それが含まれたとたん別種のゲームに転落する。僕的にいえば、それは「同業者の言語ゲーム」あるいは「仲間確認のための言語ゲーム」というカテゴリに分類できるような何かである。

   だからこそ、共観的に語るということは重要なのである。これはどんなケースにおいてもその重要さは変わらない。文学や映画、音楽などの芸術作品でもし成功している作品が気になるのであれば、それらに共通する類似点を凝視してみるがよいであろう。そのときに、それらが「共観的」であるかどうかという視点で再確認してみるべきである。きっと「難解な」表現などそこにはなく、しかるが故に別の意味で「難解」であることが理解できるであろう。


31.独我論的遮断 (2001/3/10 3/14改)

ウィトゲンシュタイン全集第5巻、『倫理学講話』394頁

 私が考え得るいかなる記述も私のいう絶対的価値の記述には役立たないばかりでなく、かりに誰かが提案することのできる有意義な記述があるとしたら、私はそのような記述はどれも、最初から、その有意義性を根拠にして拒否するであろう、ということであります。すなわち、このような無意味な表現は、私が未だ正しい表現を発見していないから無意味なのではなくて、それらの無意味さこそがほかならぬそれらの本質だからだ、ということが私には今やわかるのであります。なぜならば、それらの表現を使ってわたしがしたいことはただ、世界を超えてゆくこと、そしてとりもなおさず有意義な言語を超えてゆくことにほかならないからであります。私の全傾向、そして私の信ずるところでは、およそ倫理とか宗教について書きあるいは語ろうとした全ての人の傾向は、言語の限界にさからって進むと言うことでありました。このようにわれわれの獄舎の壁にさからって走るということは、まったく、そして絶対的に望みのないことであります。倫理学が人生の究極の意味、絶対的善、絶対的に価値あるものについて何かを語ろうとする欲求から生ずるものである限り、それは科学ではあり得ません。それが語ることはいかなる意味においてもわれわれの知識を増やすものではありません。しかし、それは人間の精神に潜む傾向をしるした文書であり、私は個人的にはこの傾向に深く敬意を払わざるを得ませんし、また、生涯にわたって、私はそれをあざけるようなことはしないでしょう。
 「いかなる(絶対的)価値表現も、その有意義性を根拠にして拒否するであろう。」というLWの主張は、きわめて激烈な主張だと思える。いわゆる独我論を奉じる「独我論主義者」ならば、彼らの聖典の一頁に付け加えずには居られないような言葉でろう。このような認識があれば、ある種のストリート・レリジョンとしての宗教などはどれも「信じ難い」何かに見えるであろう。実際、この意味でLWはどんな宗教であっても、その「信者」ではなかった。

 他者と私とは「世界が違う」のである。とする独我論的認識は、他者と私とは価値観が異なることを主張するための根拠を提供する。より積極的に解すれば、他者の価値観は私に及ぶことはない。という認識に至るであろう。ここではこのような独我論的認識を「独我論的遮断」と名付けてみよう。

 この「独我論的遮断」は、ある種のイデオロギー(なんらかの威嚇を伴う価値観の強制)を拒絶するための論理としてきわめて有効である。すくなくとも、本人自身はこの「独我論的遮断」という態度によって、他者によるイデオロギー的理解の強制を拒絶することができるようになるのだから。ところが、「独我論的遮断」を行ったからといって、自我(である私)や他我(であるあなた)の独自性や独立性が他の誰かから尊重されるわけではない。人は生まれたときからすでに社会的システムの中に組み込まれている。人は絶対的な個として社会の中にあるわけではない。

 1930年代は、世界史年表を見ればわかるが、世界的な傾向として「ファシズム」が実権を掌握していった時代であった。全体が個を飲み込むことが当たり前の時代であった。LWの発言がなされたこのような時代背景を無視してはならない。ということも片方で言えると思う。

 LWの「独我論的遮断」は「意義」と「価値」とは区別されなければならない。と言明するための根拠あるいは態度であるに過ぎない。「有意義」とは「意味を持つ命題」のことである。  
  ウィトゲンシュタインの講義I 1930-1932 勁草書房 55頁

 1930/10/13
 任意の肯定は否定しうる。pということが有意義ならば~pということも有意義である。
とあるように、有意義である。ということは命題が有意である。ということを言うのであって、LWによれば、もし「絶対価値」を定言する命題が有意義であれば、それを否定する命題も有意義なのである。この場合、どちらも意義を有する。とすれば、絶対価値を記述する命題の正しさは検証される必要があるのか? 絶対価値が検証されなければならない。などというのはまったく馬鹿げているではないか。

   このことは「真理」についても言えるのではないか? 「pは真理である。」という命題が有意義であるなら「pは真理ではない。」という命題も有意義であろう。

   否定命題もまた有意である。という論理こそがLW的懐疑論の根拠なのであろう。とすれば、案外デカルトとウィトゲンシュタインはそう遠くはないのかもしれない。


32.感情と理念 (2001/4/3)

  『ウィトゲンシュタイン』飯田隆 講談社 192頁

 私がしばしば述べたように、哲学が私に犠牲を強いることはない。なぜならば、それは、どんなことについてもそれを言うことを私に断念させるものではなく、ただ、語のある結合を無意味であるとして断念させるだけだからである。しかし、別の意味では、哲学は自制を要求する。しかも、それは、感情の自制であって、理解の自制ではない。たぶん、このことが、多くの人にとって哲学がかくもむずかしいことの原因であろう。ある表現を使うことを抑制するということは、涙をこらえたり、怒りをこらえたりするのと同じくらい、むずかしいことでありうる。
 これは全集本には含まれていない文章である。飯田の解説するところによれば、この一節は1931年に書かれた。それは「ビッグ・タイプスクリプト」と呼ばれている手稿原本に含まれる「哲学」に関する記述であり、ラッシュ・リースが『哲学的文法』を編集する際に抜き落とされた文章であるという。

 この文章を読むと、『論考』の7節でいう、shcweigen という語のニュアンスがよくわかる。
Wovon man nicht sprechen kann, darüber muß man schweigen.
 「哲学は自制を要求する」という場合、何を沈黙すべきなのか。語ってはならないのか。それが何であろうと、それを言う(おそらく"sprechen")ことを断念する必要はない。ただ、その話しが無意味にしかならないと自覚しているのであれば。

 「世界があるとはなんと異常なことであるか」という例をもってウィトゲンシュタイン自身が解説しているように、(哲学的に)無意味な語の結合としての命題を話すことは禁忌ではない。この「おしゃべり」を自らに許すのは「感情」であるということであろうか。哲学的な記述を行う場合、この「感情」は自制されなければならない。ということも意味する。schweigenとはそういうニュアンスを含むのであろう。

   LWのこの文章の引用に続けて、哲学とは「知性」の領分としてのみ成立する。という考え方を誤解であったと飯田は記している。さらに、後期のウィトゲンシュタインを理解できなかったラッセルに代表される主知主義的な哲学的スタンスに固執するのであれば、後期ウィットゲンシュタインを読み損ねるであろう。とも指摘している。ある種の「感情」は精密・精確なる思考の妨げとなるであろう。ただ、先の引用文に絡めて『哲学とは、言語によって魔法にかけられた知性に対する戦いである』とLWの別言を引くとき、この引用で「感情」こそが悪しき魔法使いであり、自身の言葉を無意味にする。というのであれば、LWのいわんとすることの半面しか伝えていないと思える。

   「泣くこと」「怒ること」といった感情は、止めようがない。この種の感情はある局面にいたれば、人間誰しも避け得ない。ただ、一口に「感情」といっても、下劣な「感情」も中にはあるであろう。それに対して「高尚」な「感情」もあるかもしれない。「感情」に上品・下品がある。という見方が妥当かどうかはよくわからないが、LWの伝記的エピソードのいくつかを思い浮かべると、受け入れられる感情と痛罵せざるを得ない感情という範疇を彼自身は抱えていた。例えば名誉欲や国家的意識に突き動かされた「感情」は痛罵の対象であったように思われる。

『反哲学的断章』旧版 P14. 1929年
わたしの理想は、ある種の冷たさである。情熱に口をはさむことなく、情熱をとりかこむ寺院。
   LWの理想とする「哲学」の有り様は、この「高尚な感情(情熱)」の鎧となるような論理なのであろう。とすれば「哲学」は「感情」や「情熱」から無縁でなければならないということであろうか? 哲学は感情や情熱をほったらかしにしておくことで、保護する。ということであろう。これは先の『哲学が私に犠牲を強いることはない。なぜならば、それは、どんなことについてもそれを言うことを私に断念させるものではなく、ただ、語のある結合を無意味であるとして断念させるだけだからである。』という部分で言われている通りなのである。

  LWは「理想」としての哲学のあるべき姿をきちんと描いていたのは確かだと思う。LWは自制ある記述で哲学を貫徹したいと考えていたのであろう。「理想」や「理念」を「手続き論理=哲学」の基盤に据えることで感情や情熱と折り合いをつけていた(それらに哲学的な居場所をしっかり与えていた)。だからLWの哲学には彼独特の「感情」が入り込む余地があるのだと言える(それは彼がそれをよりよいものだと考える相対的な価値判断でもあろう)。理念は醇化した感情を含んでいる。我々は偉人・先人の理想や理念を見つめる際に憧憬とも言える感情を懐くものである。

   LWの哲学というのは、法学的な比喩でたとえるなら、刑法・民法に対する訴訟法的な位相にあるといえるかもしれない。つまり、例えば刑事訴訟法は、刑法の適用に関するルールであるが、刑法がどのような規範を含むかについて刑事訴訟法は関知しない。刑事訴訟法は刑法の適用をめぐる訴訟手続きが刑法の上位法である憲法の理念を遵守しているかどうかに関わる。その意味で、刑事訴訟法は、憲法理念から自由でない。

  学生時代に『刑事訴訟法』が憲法「理念」を実現するための手続き法なのである。ということを学んだとき、それはとても面白く思われた。どこが面白かったかと言えば、「憲法」固有の理念を実現する点ではなく、刑事訴訟法という厳密な「手続き法」でさえも「理念」次第でどのようにも変わり得る。という点であった。戦前であれば、旧憲法の理念がそれであろう。戦時中、悪名高き「治安維持法」が掲げた「国体」という理念が最重要視されてあの時代があり得た。だから「手続きルール」は理念のしもべでしかありえない。何を理念としているかで、手続きルールは変わり得る。つまり、何を理念としているかで、思考手続きとしての「哲学」も人それぞれであり得る。ということだ。

   LWがいわば哲学を「思考手続きのルール系」のような何かとして考えていたのだとすれば、そこにはなんらかの「理念」があったのではないかと推測できる余地がある。しかし、哲学は「ルール系」ではない。哲学は思考実践なのであって「当為」命題の羅列ではないと彼は言うであろうか。哲学が思考手続き・手順に関わる以上「~すべきである」という当為の記述は避け得ないと思える。『探求』のLWは「事実」を記述することで当為命題を遠ざけようとしているように思えるところがある。「事実」記述とは、その理解の仕方によっては「当為命題」となんらかわるところがない(LWが相対的価値とは人が~をよいものだと考えているという「事実」記述に置き換えうると言うことの逆表現である)。事実記述はそれだけで規範記述になり得える。例えば違法行為とその刑罰・量刑についての「刑法」の記述は(~シタルモノ~ニ処ス)であって、(~すべきでない)という一般的な当為命題ではないのである。

 LWの哲学には、彼が認めるかどうかは別として、ある種の理念が厳然としてあると私は考えている。私はそれについてこれまで何度も述べていると思う。彼は自らの理念をほとんど明文化してはいない。だから読者は迷うのである。LWの「鍵のなぞなぞ」はその理念の設定を暗示している。
『反哲学的断章』旧版 P27. 1930年
 ある特定の人が部屋に入ってくるのを、君が欲しないのなら、その人たちが鍵を持っていないような鍵を、つるせばよい。しかし、そのことについてかれらに一席ぶつのは、愚かなことである。もっとも、部屋を外側からほめそやしてもらいたい、という魂胆があれば、また別だけれども。
 礼儀をわきまえた、気品ある態度。錠をあけることができる人だけに気づくように--いいかえれば、そのほかの人には気づかれないように--鍵を扉のまえにつるすこと。

『反哲学的断章』旧版 P146 1946年
 錠前師が置いた場所に、鍵が永遠に置き去りにされていることがある。錠前をあけるようにと錠前師がきたえあげた鍵なのに、まるで使われることがないのだ。
 理念と哲学。ウィトゲンシュタインはそれを切り離して考えているだろうか? 私にはそうは思えない。理念は感情と無縁であろうか。私にはそうは思えない。もちろん、理念に対する感情は高尚である。というか、高尚という語はそういう意味で用いられている。彼がいう「礼儀をわきまえた、気品ある態度」。ここにLW風の感性がある。そしてそれこそが彼の哲学を単なる言語分析哲学でなく、血の通った人間の哲学にしていると私には思えるのである。


33.肯定とペシミズムの狭間(2001/7/17)

   先日、WOWOWで『エイリアン2 (Aliens)』の完全版という版を観た。エイリアン2は決してお気に入りと呼べないのだけど、レンタル落ちのビデオや吹き替え版TV放送版はこれまで100回を超えるほど繰り返しみていることもあって、追加された場面が気になった。

   主に追加された場面とは惑星LV426の移住者の生活場面と、『エイリアン(1)』に出てくる異星人の宇宙船を少女ニュートの両親が発見する場面であった。劇場上映版がそれをカットしたのは、ストーリー的に蛇足だという視点があるだろうこと、また逆に挿入されることで悲劇性が高まるような印象がある。完全版だけが公開版であるなら、もっと違った印象、つまりホラー映画風の「バケーションに行ったら襲われた」というあのパターンに引き寄せられてしまっただろう。だから、公開版はそういう無駄なパターンに陥らないという意味で、贅肉がないと思える。

   J・キャメロンはホラー系の映画製作畑が出身だからというわけではないだろうが、T1/T2 にしても、タイタニックにしても、大量死あるいは死を前に人は何処まで根性入った抵抗ができるか。という視点でみれば一貫しているように思える。もちろん『エイリアン2』は『エイリアン』の続編である。初編の監督は『ブレードランナー』のリドリー・スコットだ。彼もまた「生と死」をテーマとしている作家であることは疑いない。

   『エイリアン2(完全版)』を観て思ったことがあるとすれば、「救いようがない」という感じだ。『エイリアン3』で結局ヒックス・ニュート・ビショップは失われてしまう。という筋は「後付け」だから無視したとしてもだ。つまり、LV426の住民は皆失われてしまったという具体的な印象。再編集で彼らの日常的な場面を付加することでかえって強烈にその喪失感を印象づけようとする意図があからさまになっている。いわば「劇場版」では「隠蔽」していた「死」を、その覆いをはぎ取りむき出しにしてしまったという感じなのだ。

   あの「エイリアン」を「死」の象徴として捉えることができるなら、エイリアンに寄生されてもされていなくても、「死」はまさに私の中から生じて私を襲い生きている私を永遠の闇へと引きずり込むであろう何かであると想像・考えることができるだろう。「劇場版」の方がリプリーの行動が総じて「私の死」と闘う戦士としてよりタイトに表現されていると思える。いや、LV426に降り立った海兵隊員は皆、「死」と直面してそれぞれのベストを尽くしている。僕が何度も繰り返して『エイリアン2』をみれるのは、結局、あの映画が「死」と直面した場合、人はいかに行動すべきか。というある種究極的な問題を端的に描いているからなのだ。もちろん、例外なく、この戦いは「人の負け」で終わるのではあるが。
   
*
 
 
ウィトゲンシュタイン全集第5巻、『倫理学講話』394頁

 私が考え得るいかなる記述も私のいう絶対的価値の記述には役立たないばかりでなく、かりに誰かが提案することのできる有意義な記述があるとしたら、私はそのような記述はどれも、最初から、その有意義性を根拠にして拒否するであろう、ということであります。すなわち、このような無意味な表現は、私が未だ正しい表現を発見していないから無意味なのではなくて、それらの無意味さこそがほかならぬそれらの本質だからだ、ということが私には今やわかるのであります。なぜならば、それらの表現を使ってわたしがしたいことはただ、世界を超えてゆくこと、そしてとりもなおさず有意義な言語を超えてゆくことにほかならないからであります。私の全傾向、そして私の信ずるところでは、およそ倫理とか宗教について書きあるいは語ろうとした全ての人の傾向は、言語の限界にさからって進むと言うことでありました。このようにわれわれの獄舎の壁にさからって走るということは、まったく、そして絶対的に望みのないことであります。倫理学が人生の究極の意味、絶対的善、絶対的に価値あるものについて何かを語ろうとする欲求から生ずるものである限り、それは科学ではあり得ません。それが語ることはいかなる意味においてもわれわれの知識を増やすものではありません。しかし、それは人間の精神に潜む傾向をしるした文書であり、私は個人的にはこの傾向に深く敬意を払わざるを得ませんし、また、生涯にわたって、私はそれをあざけるようなことはしないでしょう。
   Cora Diamondが「Realstic Sprit」と名付けたテーマがウィトゲンシュタインの求めていた何かであったかどうか。野球では三振した後三塁に向かって走ることが馬鹿げているようにLWの言語ゲームでは形而上学的なことがらを哲学の主題とすることは自重すべきことがらであったように思う。もちろん、形而上学を奉じる人々の間では事情は異なるであろう。

 ルールが認知されている社会ではそのルールに適合している限り(少なくともルール違反行為をそれと指摘されない限り)どのような行為・言動も許容される。哲学者の社会では、ギリシア哲学的思潮はデファクト・スタンダードであり続けている。だから、プラトニックな形而上学的な表現が用いられたとしても誰も不審には思わない。プラトニックな観点からでは、LWの思想は理解し難いので、プラトニックな視点から翻訳解釈しようとする試みがなされたりもする。そしてそのような解釈は受容者からみればとても受け入れやすく思われたりもする。しかし一塁と三塁の定義ルールを入れ替えただけでも野球は変容して見えるという意味に似て、LWの思想もその解説者の「世界」の重力場ごとに違った見え方がする。中には単なる故物販売業者のカタログとしか呼べないような解説もある。もちろん、思想は盗品にはならない。なぜなら、彼らの倫理がそれを盗品とは呼ばないからである。別の世界では塩基の配列を記した文書のコピーが「重大な犯罪」とみなされたりもしている。

   マルコムがLWを評して「悲観的」だと言う指摘がいつも気になっている。「獄舎」の壁に向かって走ることは「望みのない」行いだという表現はある種とてもペシミスティックだと思える。

   LWの哲学(あるいは倫理観)を一言でたとえるなら、構成員約一名の自警団の思想といったものであるだろう。彼は監視塔の上に立ち、「襲いかかるエイリアンの群」のごとく無数・強力な問題について哲学的な語法チェックを不断に行い続けたのだ。それは徒労の一種だ。またそれだけではない。「絶対的」表現を自らの哲学から放逐することで哲学的には何も「語る」ことができなくなってしまったのではないか。それゆえ彼の戦いはただ彼においてのみ「一人称的」に有効でしかないということ。

   ドストエフスキーは自分の懐疑を「懐疑の溶鉱炉」と評していた。これに対してウィトゲンシュタインは「蠅とり壺」と呼んでいた(異論はあるだろうが)。ドストエフスキーの諸作品に登場する無神論者達は、結局、絶対的な存在と対峙する自身を絶対化する(がしかし挫折する)過程を担う者達である。ところがLWはいわば、この絶対性を捨象することで、懐疑を溶鉱炉ほど熱くしない。いわば機転(あるいは回心)でそこから脱出する方策があることを示唆している。「偉大な思想とは単純なものだ」(トルストイ:戦争と平和)。

    命題pが意義を有するとき、その否定~pもまた意義を有する。

    しかるに、有神論が意義を有する場合、無神論もまた意義を有する。


     しかし、それでも再度、マルコムがLWを評して「悲観的」だと言う指摘がいつも気になっている。LWの悲観性。それこそが彼を哲学に駆り立てる源泉なのではないか。


34.感情の抑制(2001/8/9)

  『ウィトゲンシュタイン』飯田隆 講談社 192頁

 私がしばしば述べたように、哲学が私に犠牲を強いることはない。なぜならば、それは、どんなことについてもそれを言うことを私に断念させるものではなく、ただ、語のある結合を無意味であるとして断念させるだけだからである。しかし、別の意味では、哲学は自制を要求する。しかも、それは、感情の自制であって、理解の自制ではない。たぶん、このことが、多くの人にとって哲学がかくもむずかしいことの原因であろう。ある表現を使うことを抑制するということは、涙をこらえたり、怒りをこらえたりするのと同じくらい、むずかしいことでありうる。
 
 BigTypeScriptに記されたこの文章を最近気にとめている。

   先日、ロバート・キヨサキの『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』『金持ち父さん貧乏父さん』の2冊を続けて読んだ。「ベストセラー本=通俗的=読むに値しない」という公式の信奉者は世に数多いるだろうから、それらの著書でキヨサキがいわんとするところをあえて一言で要約しておくことにしよう。つまり、
 
お金を巡るラットレース(支出が収入を食いつぶすループ)から離脱するためには「お金がない=お先真っ暗=恐怖」という感情の支配を自覚しその感情から自由になるべきである。一般的に教育はこのような恐怖に根付く価値観に支配されているから教育はファーストトラック(金が金を生み出すような金持ち状態)への移行という観点からいえば役に立たない。リーダーシップ(人を使う能力)とファイナンシャル・インテリジェンスと呼びうる「金」に関する頭脳を用いた理解(バランスシート(会計)と投資に関する実戦的な理解)こそが実際的な経済的自由の基盤である。
   この二冊の本が面白く思われたのは、従業(会社)員的価値観が「恐怖」に根付いている。安定至上主義に走る者は誰しも「お金がない」という状態を恐怖している。そうした恐怖の感情に支配されている人々が数多く存在するため、彼らの多数的常識的な価値観は「恐怖の回避=安定さへの志向」をよりよきものとしている。というキヨサキの指摘だ。彼は「感情」が人をいかに支配するかを具体例を示して繰り返し説明している。

   思うに、哲学する心はある種の「感情」に支配されている。その種の感情は多層的複層的だからどれか一つを取り出して「これだ」と言っても(たとえば「存在の不安」)言い尽くしたことにはならない。LWは哲学には「感情の自制」が必要だと説いている。であれば、彼の哲学は「感情の自制」の方法論を含んでいるのであろうか。いわば「涅槃への道」を示すのが「哲学」なのだと彼は言うのだろうか。たぶん、そうではない。LWの「哲学」は「感情」には触れない。むしろ、表現された言辞について、これこれの「感情」が含まれていると指摘するのが「哲学」の役目だと言っているように思える。その善し悪しをいわない。ところが、ある種「感情」に支配された哲学的言辞は「無意味」であるとは言うのである。

 LWの言う「無意味」とは「ドグマ」ではない。「ドグマ」は哲学的な「悪考」であって、排除されなければならない。しかし、「無意味」な哲学的表現は排除される必要はない。なぜなら書かれてあっても書かれていなくても「無意味」であるのだから。LWにとって、「哲学的著作」はすべて「有意」な命題の羅列でなければならなかった。だから、「無意味」な命題は「哲学的著作」では推敲削除されるべき何かである。

   それと、感情的な表現が全て「無意味」であるか。といえばそうでもあるまい。「有意味な感情表現」は可能だと思う。All or nothing的に、感情的な記述の全てが無意味だと言っているわけではないと思える。この意味を確認するためには『論考』のみならず、LWの哲学的記述が「事実を記述すること」に拘っていることを思い出すべきだろう。そして『世界が存在するいうことはなんと異常なことか』という「無意味」だと彼自身がいう言葉と関連づけて再考してみるべきだと思える。

   LW的な「哲学」はどんな「感情」に対してさえ「破壊的な攻撃」を行わない。むしろある種の感情に支配され(当人はそれと気づかず)展開される哲学的言辞の方がより攻撃的で破壊的である。しかしながら、その種の感情に支配された哲学的言辞の攻撃の矛先は実はそれを著した当人に向けて再帰的にしかけられている。ある種の感情に支配されている場合、そこから抜け出ることは容易ではない(たとえば負け続けの賭け事。ドストエフスキーはこの種の状況を熟知していた)。哲学において「自制」が要求されるということは、自らを支配している感情をそれと知ることそしてそこから抜け出てみる勇気を持つということでもある。沈黙をもって配慮するということには実は大変な勇気と自制が必要なのだと思える。


35.感情の抑制2(2001/9/27)

   人間とは感情と理性の天秤なのだ。という観点から、ドストエフスキーの『カラーマーゾフの兄弟』の4人、ドミトリー、イワン、アリョーシャ、スメルジャコフを図式的に区分けしてみることができる(かもしれない)。

   ドミトリーは感情が理性を圧倒する。という典型だ。イワンはドミトリーとは対照をなす理性が感情を押し殺すパターンとみることができる。アリョーシャは感情と理性の天秤のバランスこそを第一とするパターンであり、スメルジャコフの場合では感情が理性を押し殺すあるいは、感情と理性との天秤がどちらも負に偏り天秤棒が「への字」に歪んで折れてしまうパターンだといえるかもしれない。このような観点から見ると、他の登場人物もそれぞれみなユニークな「天秤」バランスを示しているように思える。

   哲学的に考えるなら「感情」や「理性」といった語の意味はさらに細々とした分類区分けを行って考察されなければならない。という立場があると思う。だけれども、そうした考察 する立場さえも「感情」や「理性」から自由でない。観測者は自身の立場にかかるバイアスをどこまで自覚できるのだろうか。「彼はこれこれの感情であのような言葉を話しあのような行いをした。」とは「私はこれこれの感情で彼の言葉と行いとを見ている」ということと同じなのだ。

   ことばを用いた記述は感情の表出を抑制するであろうか? たとえば「科学」的記述は感情の表出とは無縁であるだろうか? もちろん、一般的な語法として感情を露わにするために「科学」的な表現・表記が用いられることはない。というか感情を表現するために科学的な表現が専ら用いられたとしたらそれは奇異な印象を人に与えるであろう。

   ラッセルとウィトゲンシュタインの出会いとその直後の一連のエピソードの中に、ラッセルの部屋で「犀がこの部屋にいる」という問題を巡るやりとりがある。ウィトゲンシュタインは「犀がいる」と言い張り、ラッセルは「そんなばかなことはない」と否定するという話だ。一見、奇異に見えるこのやりとりに、LWの「世界」に対する違和感がドミトリー的な奔流となって現れているとみるができる。

   感情と理性は天秤の両端に位置する。というのは悪しき比喩でもある。別の比喩でたとえるなら、感情と理性とは光のスペクトルのようなもので、人が表出する何か(ことば、絵画、音楽など)にはかならずどちらも含まれている(ベクトル値をもつ)ものなのだ。とみることもできるかもしれない。

   感情はそれ自体で価値的効果を生じることは稀だと思える。感情は誰かに受け止められそのリアクションがあってはじめて価値的効果を表出者にもたらす。怒りには「ぶつけどころ」がなくてはならないのだ。誰かがどこにもいなければ愛することさえも意味をなさないだろう。もちろんこの場合、相手は「人」に限定されない。

   感情が表出者を支配している限りにおいて、感情とそれが第二者三者との関係で生じ得る価値的効果は絶対的な効果(あるいは絶対的価値)を表出者にもたらす。だから、そうした感情を「気分」と言い得るならその表出によって生じ得る価値的効果も単なる日常相対的な気分的な何かに格下げし得る。

   観点を代えて言うなら、ことばは様々な感情にその居場所を与えている。ことばの語法は様々な感情を適切に表出し、表出者自身から感情を解放することを助けるということがある。LWの『論考』の写像理論だけでは説明しきれないようなことばの用法がそこにあると思える。それは内的事実と外的事実のひっくり返し(内的事実も外的事実として扱える)というだけでなく、ことばの語法には様々な感情解放の仕組みが潜み隠されているのではないか。懺悔告解や心理療法的なトラウマ(心的外傷)の認識を基本にした心の癒し、さらには刑事刑罰と復讐心とのバランス(攻撃と報復=戦争)、所有と権利や収奪と賠償に関わる感情など。

   ことばは「感情」を表出するだけでなく、明らかに「感情」を抑制する場合にも用いられるし、また「感情」を抑制したように見せかけるための感情「隠蔽」として用いられることもあり得る。ブースマの記録にLWがスメルジャコフに関心を抱いていたという点はこの意味で示唆的だと思える。この種の見せかけあるいは「隠蔽」の端的なわかりやすい例として、「国民感情」とか「国家的意志」などがあるだろう。ことばはそれが二者・三者間で用いられることでかえって個人それぞれの感情を「煽る」効果さえもたらすのである。

   感情の表出には様々な形態があり得る以上、ことばに限るなら、目眩ましを暴く手段は、ことばの語法を凝視する以外にない。しかしして、どういう「感情」が正しくどういう「感情」が間違っているのであろうか。感情を一律に抑制することこそが正しいのであろうか、それとも、ある種の感情を高揚し別種の感情は忌避することこそがただしいのであろうか。こうした感情の「扱い」は国や民族、地域、世代によって微妙に異なっているし、異なるように教え込む仕組みが伝統文化(あるいは教育)として受け継がれ存続している。哲学はあくまで主義(イデオロギー)と無縁であり得るなら、「感情」とは無縁でなければならない。であるけれども、哲学がことばによってなされる限り「感情」と絶縁することは実に困難であるように思える。


36.告白ということについて(2001/10/26)

   先日、トム・クルース主演の最近作、『マグノリア』を観た。粗筋を素描することが困難な映画。それでもあえて押し縮めて素描するなら、男性主権的な野卑なイデオローグである主人公が、自分を捨てたはずの父親の死際に呼ばれて、そこで自らの人生を告白することで「奇蹟」が起こる。というストーリーだ。実はトム・クルース以外にも数名の登場人物がそれぞれ同時進行的に各々のシチュエーションの中で赤裸々な告白をすることで同じ「奇蹟」によって「救われる」。どういう奇蹟が起きるのかは映画を見てのお楽しみだが(前宣伝同様)。この映画の俗と聖との極端なコンビネーションはどぎついほどに(演出過剰というか分かり易過ぎるというか)生々しくて評価が分かれるところだろう。

   『マグノリア』を観て第一に感じたことは、「告白」という行為の重さだ。「告白」こそが西洋の精神史において重大評価されているということだ。こんな映画からもそれを伺い知ることができる。赤裸々に自己を他者(あるいは神)の前にさらけ出すことこそが重大な意義を有する。という認識が西洋精神史の根幹の一つであることは疑いないと思える。

   日本的な精神ではどうであろう。男は黙って腹を切れ。というところであろうか。西洋の法廷劇には必ず「宣誓告白」のシーンがある。というかそれはJ.L.オースティン的「言語行為」であり、法廷証言を括弧づけるための行為に他ならない。その精神性を無視するなら「儀式」に過ぎないと観る見方もできるのであろうが。日本では、特に政治家の汚職収賄に関わる事件の前後には「秘書」や「本人」がよく自殺したりする。これを証拠にできるのであれば、日本人の心性に「告白」という行為が馴染まないのは確かだといえるかもしれない。

   この全人的な「告白」という行為を「聖なる行い」にまで高めたのは、アウグスティヌスであると断定してよいと思う。アウグスティヌスにとってみれば私的な行為に過ぎなかったであろう「告白」を、後の人々は模範と讃え模倣することが伝統となって今に続いているのではないのか。

   ウィトゲンシュタインが「懺悔告白シンドローム」に陥り、複数の友人・知人宅を強襲し彼らの迷惑を顧みずして「告白」して回ったのは1936年のことだ。時期的にはヒトラーがオーストリア併合を強行する直前。だから、ある種の見方に従えば、祖国オーストリアの緊迫した政治状況と家族の安否にまつわる不安から緊張状態に陥りそして引き起こされたヒステリー発作とみることもできる。マルコムやスマイシーズはこの時期の学生であったはず。そして「反哲学的断章」にはこの時期の独白が欠落している。

   1929年にイギリスに戻ったLWは、1936~1937年に至る約8年間を経て「告白」衝動に駆られるのである。世界的な政治状況が二次世界大戦というカタルシスへ突入していくうねりとあたかもシンクロしているかのように見える。LWの場合、告白したとしても『マグノリア』のような奇蹟は起きず、むしろ世界大戦という「破滅」が訪れる。カラマーゾフでは、登場人物がそれぞれ「告白」を行いつつも最後に「父親」が殺されるように。イエスは祈りつつも十字架に架けられるように。
 

   『探求』の冒頭をアウグスティヌスの「告白録」の引用で始めた意義は、それが「告白」であったからだ。という視点で読み直すことも意義があるだろう。また、LW本人が「一人称の語り」として話した「倫理学講話」もまたLW本人の告白なのである。という見方も意義があると思える。告白は「確言」をもってなされなければならない。西洋の法廷における証言は「確言」であるとみなされるのだから、宣誓証言としての告白は当然「確言」でなければならない。私は、LWの後期の哲学とはこの「確言」についての思索なのだ。という視点で眺めている。もちろん、そういう視点でみることができるなら、表現形式こそ違うが『論考』もまた軸をひとつにしている。だから、もしLWの哲学が確言することにかかわっているのであれば、その哀2学が「確言」で構成されなければならないのは明らかであろう。

   幸か不幸か、こうした特性は日本人の伝統的な心性から遠いと思える。確言を持って告白することを重要視するという伝統は日本では希薄である。ところが「確言は沈黙によってなされるべきである」と表現したなら左出口から右入り口へワープ直結する。あたかも「真実は黙したまま墓場まで持っていく諦念こそを重要視する」という伝統に直結させてしまうのである。『論考』の第7節はしばしばそのような意味で解説される。思うに、われわれ日本人がLWを読む際には、沈黙することの意味を再考察しなくてはならない。それができなければいつまでたっても文化伝統にカース(呪縛)されたままであり続けることになるだろう。

   

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