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●2002年の年始めにしたこと (2002/1/7)

   2002年も明けて7日を過ぎてしまった。昨年はシステムの設定変更ばかりやっていたように感じる。今年の年明けもまた同様。昨年末にせっかくインストールしたはずのWindowsXPだが、シャットダウン時に必ずフリーズするという常態トラブルに嫌気がさして新年でもありクリーンインストールした。元々不調のWin2000に更新インストールしたXPだったからやむを得ないと半ば諦めの体。

   こうしたトラブルはたいてい、常駐型のアプリケーションがインストールする古版DLL等のシステムファイルが原因だ。また、読み出し不良気味のセクタの上に乗ったDLLなどの気まぐれ。ということもある。前者であれば、上書き再インストールで修復されたりもするが、後者のようにハード的なトラブルが潜在している場合は、まず最新かつ壊れたDLLなどシステムファイルは新品と置き換えられることがないという「放置」の故にトラブルが一向に解決されないのがふつうだ。あるいは仮に当該問題ファイルが削除されたとしても、別のDLLやシステムファイルが問題セクタを占有するとその読み出しが不安定となり別の問題の原因となったりすることもある。この種の面倒なケースに解決策があるとすればcheckdiskすることが第一だが経験的には次善策でしかない。不良気味セクタの書き込み・読み込みテストを厳重に行うツールにさしてよいものがないのが現状だ。HDDの初期化を何度か徹底して行えるならそれにこしたことはない。

   はじめにトラブルありきの再インストールなので、WindowsXPの「システムの復元」機能を用いることを想定しながら復元ポイントをこまめに設定してリブートを繰り返しながら慎重に再インストールを進めた。最初にインストールしたのは、Symantecのsystem worksに含まれていたRoxioのGoBack。このソフトはWindowsXPの「システムの復元」とほぼ同様な機能で、任意のポイントを自動記録する機能を持つ常駐ソフトだ。安全を二重に確保しながら事を進めた。

   最初に再インストールした直後に、上述の手順で事を進めたのだが、SystemWorks2002をインストールし終えた時点でリブート時にハングアップ現象が再現した。いやはや、XPに対応していないからせっかく2001から2002に切り替えたのに「これかよ」。と一瞬呆然となった。ただ、他のソフト、特にIE6.0が挙動不審で見たこともない変なダイアログが頻繁に出るので、ハードディスク上に不良セクタが発生していてそれをフォーマット時に取り切れていないと睨んで再度XPのインストールをやり直した。するとSystemWorks2002も無事インストール完了させることができ、延々とインストールCD50枚ほどをこなすことができた。約2日がかりの作業だった。

   できるだけ古いソフトは入れない、システムファイル系をインストールするソフトは避けるみたいな配慮をしたつもりだが、起動後に応答なしになるようなソフトが出ている。OutLookはよく音信不通になる。そこでエラー報告をMSにしたところ、バージョンアップチェックなるページに誘導されて、とりあえずチェックすると、ほとんどのオフィス関連プログラムがバージョンアップ対象になっていた。自動でバージョンアップするが、途中CD-ROM挿入を要求されるなど面倒。総ダウンロード・ファイル容量は20MB以上でした。

   買い物的には、正月の五日に町田に出かけた際、キムラヤでソースネクスト社の福袋を7980円で購入した。大きな箱にシュリンクされていない製品版のソフトが10箱。CDにして約20枚入りだった。タイピング系ソフト4本。マカフィーのフルセット、携帯電話ツール、ホームページ作成ツール、デジカメツール、USB接続のライト,TOEFL対策的ボキャブラリツール5本など。うち、携帯電話ツールとボキャブラリツールの5枚はMacintosh版を含むハイブリッドだった。

   さてさて、トラブルは解決しただろうか。現時点ではよくわからない。ただ、音信不通になるアプリケーションが存在していることを見ると、安定したとは言い難い。ということの連続で今年も暮れていくのかもしれない。


●逝ってよし! >> MSI (2002/1/31)

 先日、瞬間停電の故にアクセス不能と「なった」はずのDuron900MHz機をHDDのフォーマットから始めて再初期化するするつもりで立ち上げてみたら、きちんと起動するので驚いた。fsckコマンド実行後に昇天していたはずであったのだから。

   このDuron 900MHz機のマザボは我が家ローカルでは悪名高いMSI社のK7Pro(6340)だ。この基板には次のようなトラブルを確認している。

 ・PS-2マウスを接続するとカーソルが突然どこかへ飛んでいってしまう。
 ・カーソル暴走時にウィンドウがアトランダムに開いたりする。
 ・つまりマウスボタンも自動で押されてしまうという症状がでる。
 ・BIOS設定でFSBクロックをカスタマイズできない(正確にはクロックが異様に低下する)
 ・PCIバスに乗っているLAN基板などをWindowsからいじるとシステムリセットが発動されて突然BIOSの起動画面(Reboot)状態になる。
     これだけのトラブルを確認したので修理に出したのだが、国内のメンテナンス会社だけで止まらず、台湾のMSI社にまで送り返されながら「異常なし」で戻ってきた。まさに「曰く付き」の基板だ。でもって、上述のような「お化け」トラブルに見舞われたので、修理戻り後に確認もしていなかったクロックの微調整設定をBIOSで行ってみた。すると、なんと電源ON後のBIOS起動すらしなくなるようになっていた。修理に出す前にはクロックが異常低下するとはいえ動いてはいたのだが、動かず。どうしょうもないので、バッテリーバックアップされたBIOS設定記憶をジャンパーピンを外してクリアしてからノーマル状態に戻して再起動。読み出せる内にということで自分で書いたファイル類をバックアップした。

   この「最終確認」でMSI社マザーボード製品は廃棄と決めた。今後の新規購入においても選択肢に含めることはしないだろう。製造出荷時までの検査だけでなく、修理・メンテナンスまでも「いいかげん」な企業だと認定せざるを得ない。

   ということで、仕方なく秋葉原へ赴き、今回はMicroATXのSocket-A用の基板を買ってきた。今回はShuttle社のMK20Nという基板。さっそくMSI-6340と交換した。その際、CPUも900MHzのDuronから1.2GHzのDuronに取り替えた。Micro-ATXの箱に入っている電源は150W程度。Athron系大喰いなCPUでは問題があるのでサーバー系は今後もCeleron/Duron系を選択することになるだろう。

   とりあえず組み上げて起動。すんなり動作。1.2GHzでもDuronなら150W電源で事足りるのは気分が楽だ。


●現状 (2002/2/3)

  先日、Duron950のLinux機をマザボごと取り替えさらにCPUもDuron1.2GHzに変更した。現時点で現用機は以下のような様相に。
・Athron1.2GHz : WindowsXP 主機
・Duron 1.2GHz : Windows2000 SVR 1 SQL
・Duron 1.2GHz : Windows2000 SVR 2 Oracle 8.1
・Duron 1.2GHz : Linux7.2 実験サーバー 1
・Celeron 850MHz : テストサーバー
・Celeron 950MHz : Linux 7.1 実験サーバー 2
・Celeron 700MHz : Linux 7.1 実験サーバー 3
・Celeron 733MHz : Windows2000 pro Mebius Note
・PowerMac 867MHz : OS-X iTunes / iMovie 専用機
   このうち、実験サーバーの2/3はいまだ出番ではないので止めたまま。出番が来る前に時代がひとつ過ぎ去ろうとしているのでうかうかしていられない。


●RedHat7.2 Samba & SWAT(2002/2/5)

   RedHat 7.2を先日マザボ、CPU交換したマシンにインストールした。以下に備忘録としてsambaについてのポイントだけを記録しておく。

・サーバータイプ選択のインストールではsambaの設定ツールのSWATがインストールされない。従ってインストール時にパッケージの個別指定を行い、SWATを指定する必要がある。

・ファイアーウォール設定(/usr/sbin/lokkit)でファイアーウォール設定する場合、デフォルトではsambaをはじくので、以下のような設定をlokkitの設定時に行うこと、
 ・137:udp,138:udp,139:tcp,901:tcp

・xinetdがSWATを有効とするために設定ファイル(/etc/xinted.d/swatを修正
 ・disable = no
 ・only_from = 192.168.1.x (設定機を特別限定するためのIP設定)

・sambaのシャドーパスワードのファイル・パスが変更されている。(/etc/samba/)
 ・mksmbpasswd.sh < /etc/passwd > /etc/samba/smbpasswd
 ・chmod 600 /etc/samba/smbpasswd
 ・smbpasswd ユーザ名

・sambaに新規ユーザを追加する場合(root)
 ・/usr/sbin/useradd -m 新規ユーザ名
 ・smbpasswd -a 新規ユーザ名

・起動時にsamba,httpd,telnetなどを自動起動するための設定
 ・chkconfig --level 35 smb on
 ・chkconfig --level 35 httpd on
 ・chkconfig --level 35 tenet on




●中古PC(2002/2/12)

  最近、立て続けにYahoo!オークションでPC-9821のノート(Nb/Na/Nr)3種3台を入手した。オークションで出回っているリースバック系のNoteだ。どれもこれも1万円程度。この種の中古NoteはCD-ROMを欠品している物が多い。1年以上前に買ったPC-9821Nb7やシャープのメビウスノートの最初期の324T(75MHz)はCD-ROMドライブを欠いたものだったので、PCMCIAのSCSIカードにCD-ROMを接続してWindwos98をインストールするのに随分苦労させられた。それで今回は注意してCD-ROMドライブを付属している物を選んだ。Nb(Pentium100MHz)はCD-ROMとFDD/Cable付きで電源有り。Na(Pentium 120MHz)はCD-ROM/FDD内蔵だが電源無し。Nr(Pentium 150MHz)は電源とFDDが無い。Windows95の場合、9801版とPC互換機版とは別パッケージだが、Windows98はCD-ROM同梱で手許にもある。だから、欠品しているのは実質Na/Nrの電源とNr用のFDD。ベゼルの色違いさえ気にしなければNb用のFDDをNrで利用できるが、入手可能なうちにそろえておくに越したことはない。

   Nr/Naの電源は結局、土日だけ路上で営業しているジャンク屋で購入した。各3000円。Nbの電源はいたるところで見かけた。新品もどきもたくさんあった。それに対してNr/Naの電源は置いている店が少ない。ラジオデパートの地下のエレパでNr用が2800円。これはここで買えば200円安い。が、Na用は3980円。某ジャンク屋では4980円という値段を付けている店もあった。Na用の電源は4穴の特殊コネクタ。Nr/Nbの電源はほぼ同型の3穴コネクタだが切れ込みの位置が違うので流用できない。また、Nr用の黒色ベゼルのFDDはエレパで2000円。結局Nrに+5000円、Naに+3000円ほど費用を余分にかけたことになる。

   秋葉原のジャンク屋をひととおり回ってみて気がついたのだが、もはやPC-9801/9821は絶滅状態にあるということだ。ソフマップの中古屋でもほとんど姿を見かけない。Nr(150)のシリアル・ポートは変則な14pinのミニ・アンフェノール型だが、これ用のケーブルもまったく見あたらない。かろうじてOAリサイクルセンターというshopで800円也の25pinDサブ変換ケーブルをどうにか確保できたのは今のうちの幸運といえるかもしれない。ただし裸のコネクタは640円でラジオセンターの部品屋でまだ入手可能のようだ。

   98ノートの他に、PowerBook 520のモノクロとTFT版とAtariのTT-030も入手しているこれは2台で4000円程度。電源付き。PowerBook520は68040LC/25Mhzで決して高速といえるものではないが、モデムとイーサのポート(外付けトランシーバーが必要)を備えているのでまだ今的に使える。もう一世代まえのPowerBook(165/150/180/190クラス)だとイーサポートのサポートが困難だからファイルのやりとりがずっと面倒になる。

   TT-030はなんというか、出色だ。といってもこれはAtari-STのシリーズに限定しての話。Atari-STはイーサのサポートが公式になされることがなかったので、インターネット時代の今日では氷河期的マシンだ。1040ST以前の機種となるとCD-ROMも大容量HDDのサポートもない。TT-030ではかろうじてSCSIのサポートがあり、さらに今回入手した030にはHardDiskDriver8.0という大容量HDD/CD-ROMをサポートするドライバーが組み込まれていた。このドライバーは僕的には感涙ものなドライバー・ソフト。TT-030には現状540MBのHDDが載っているがこれを2980円で入手した4.3GBの中古SCSI-HDDに近々換装してみる予定。電源がもつかどうかが少々心配ではあるが。

 


●秋月電子通商(2002/2/13)

   仕事的なPCも、それはそれで奥が深い。だけれども、趣味的なPCというか、電気いじりの対象としてのマイコンも奥が深い。もはやLinux/Windowsの互換機も新味に欠けるという部分ばかりになってきたので、最近は中古/Junkな昔のマシンとか手作りマイコンKitにはまりかけている。ということで、秋月なのである。

   秋月とのつきあいは信越電気商会の頃からだ。といっても、元がハード屋ではないので、そこそこの付き合いしかしていなかった。マイコン以前のシンセサイザーに凝っていた頃、1975年前後には主にアナログのICとかを買っていた時期がある。オペアンプは正負両電源が必要なので三端子型の安定化電源のkitとかインターシルの8038のkit。これにICアンプなどを付けて遊んでいた。80年代の半ば頃のApple][のコンパチ機にはまっていた頃には][用の蛇の目の拡張カードを買ってきてそれにRFモジュレーション・モジュールをくくりつけて拡張カードスロットから電源をとって動かしたりしていた。その後は僕自身がソフト開発一辺倒になってしまったのでほとんど世話になることはなかった。

   70年代の半ば日給3000円前後の時代にアルバイト代をつぎ込んで当時の中古価格が6万円の岩通の30MHz二象限のシンクロスコープを川崎の中古測定器屋で買ったことがある。このオシロは全て真空管式で消費電力1.2KWなどという化け物みたいな機械だった。それは随分前に廃棄してしまったが、昨日やはりオークションでテクトロのオシロを落札した。これは2万円。線香花火に火を付けるためにガスバーナーを用意しているという気もしないではないが、準備万端、あとは組み立て実行あるのみ。なのである。

   秋月のkitはAKI-80(Z80)関連とPIC関連。ROMライターのセットやらなにやら。とりあえず、タイニー系のBASICインタープリタを自作して載せてみようと考えている。いまさらZ80のアセンブラという時代ではないと思えるが、ま、そこが趣味なら全て肯定できる。




●PC-9821(2002/4/2)

  なぜかいまさらのPC-9821なのである。中古で安く買えるから。というのが一番の理由であるが、実はすでに秋葉原の中古屋でもなかなか手に入らない「絶滅種」になりつつあるから今のうちに確保しておこう。というのが本当のところだ。特にソフマップでは98関連は中古でさえ取り扱いをすでに止めてしまっている。それ以外の中古屋では486や初期のPentiumのデスクトップ機なら秋葉原で1000円以下。Pentiumの9821系ノートでも10000円前後。Pentiumの200MHz前後のデスクトップ機はそれでもやや値段が張るが10000円を超えることはない。Yahoo!オークションでもだいたいその程度だ。今思えば、その昔20万円前後の価格帯を常に維持していた日電98の栄光も敗残の屍となりつつある。

   9801シリーズにはことさら思い入れがあった(過去形)。初代を8インチFDD込みのフルセットで買って以来、長い間主機として常用していた。PC-9801VM2/RA2、さらにEPSONのPC-286VE4台。その昔、草の根bbsを運営していた時期には286VE/mmmをホスト。RA2/CCT98という組み合わせのクライアントでずいぶん使い込んだものだ。インターネットが一般化する直前にホスト機が不調になり修理する費用が捻出できずに自然消滅してしまった。と同時に98を使うこともまれになってしまった。

   9801を手に入れたのは、まがりなりにもビットマップ表示機能を備えていたからだ。初代がでた当時、日電の半導体の代理店で仕事をしていたのだがリリース直前に手書きのテクニカルリファレンスのコピーを一式入手できたこともあって、技術的情報には事欠かなかったから、ソフトウェアを書くという観点から98は魅力的に見えた。ユーザ的にはPC-100という選択もあったのだが技術情報の出所の問題(事業所)から断念せざるを得なかった。当時社内でも98が日電の主力機になると噂されていたことも大きかった。

   日電の代理店に移る前、約3年ほどインテルの代理店で仕事をしていたことがある。80~83年。IBM-PCも98も無かったころの話だ。MDSという開発ツールのテクニカルサポートを主業務だった。そういう関係で、8086のアーキテクチュアのみならずASM86やPL/M86といった開発言語、さらにはiRMX86というリアルタイムOSなど、そこそこ使える程度に勉強したものだった。PC-9801VM2に移植されたiRMX86やAPIであるUDI版のASM86やPL/M86は高価ではあったが後年正規ライセンス購入したこともある(86年)。そういう出自なので開発環境という考え方(あるいは機材・ソフトウェア)については今も昔ものめり込む傾向がある。開発環境などというものは所詮手段でしかないのだが、手段が目的化することによって生じる倒錯傾向は私の場合著しく顕著であった(笑)。

   最後に聞いたインテルのセミナーはiAPX286(80286)が近々出荷される。というところまでだから、昔話もいいかげんカビ臭い話になってしまう。逆に言えば、286以後のメモリ管理ユニットを搭載したx86 CPUはいまいちよく知らないというのも事実だ。といっても特権モードを意識したプログラミングなどはふつうのアプリケーション・プログラマには無縁な仕事だから、リアルモードだとか互換モードだとか仮想モードだとかといったことは詳細に知る機会は実は希有なことでもあるだろう。Atari-STのTOS/GEMの日本語化の仕事をしたとき、68000についてはそうした特権モードを意識したコードをさんざん書いたことがある。しかし、x86については残念ながら今日までそうした機会に恵まれなかったし今後もないだろう。まぁ、それはそれで幸せなのではあるが。

   9821はノート3台、デスクトップ2台を手に入れた。9801/9821のいにしえのゲームを中古でまとめ買いしたりしたこともあって、3.5インチFDD搭載機に5.25インチFDDを接続しなければならなくなって。PC-9801-87という1MB-FDDのためのインタフェースを純正・互換ボードを含めて3枚も手に入れた。この-87基板から、9801/9821の変遷というか苦しさが見えるのが面白い。まず9801の純正FDDはいわゆる3モードなのであるが、シリアライズされたデータを読み込む際のVFO回路はFDD内蔵。ところが最近のIBM-PCのFDDのVFO回路はFDC/主基板の側で用意している。だから、初期の9821と後期の9821とではFDDが異なり、だいたいコネクタのピン数が異なる(確か26/34)。さらに9801時代の2HDの3.5インチFDはいわゆるNECフォーマットというか8インチFDと同じ1MBだが、後期では1.44MBのDOS/V(PC)形式もハンドリングできるようになっている。この点は些細なことだが、5インチFDDには1.44MB対応製品はないから、3.5インチFDと5.25インチFDとは実は互換性が無い。さらにVFOの内蔵・外付けの問題が絡み、-87に接続可能な1MBの5.25インチFDDはVFO内蔵ではないタイプ(だから初期の9801系列のドライブは使えない)。それ故に、VFO回路を外部接続するようなケーブルと通常の信号線とを併用する奇妙な基板になっているようだ。さらに面白いのは、98は伝統的に4台までのFDDをサポートするが、外付けのドライブはいわば3-4番目のドライブ扱いになることだ。そしてそれを1つのFDC回路でまかなうために実に奇妙な内部配線トポロジーをもっていること。1-34のピン指定が逆さになるように1本のケーブルでつなぎ、そのケーブルの中点からさらにケーブルを引き出してFDCに接続するという空中配線的なトポロジーなのだ。おそらく、グラウンドラインのいくつかを信号線として使い、非アクセスのドライブはセレクトされていなければそれをグラウンドラインとして使わない。などというような処理があるのであろう。回路図とかがあればきちんと確認できるのだがそういう情報がないので触感的な推測でしかない。でも実に奇妙な配線なのだ。

   入手した基板には34pinのケーブルがなかったものが2枚あったので、秋葉原の部品屋で圧着コネクタケーブルを特注で作ってもらった。このケーブルは高くついた。1本2800円程度。フラットケーブルの両端と中点に34pinのコネクタをつけただけなのだが。古い機械も手を入れ出すと、結構ばかにならない出費がかさむものなのだなと再認識した。

 


●Athron2100+(2002/5/10)

 4月から5月の間、実はずいぶんとマシンをいじった。主に、主機のアップグレードとサブ機のCPUのGHz化だ。主機のアップグレードは先延ばしにするつもりであったのだが、最近の爆裂型のスロットマシンのおかげで一撃でアップグレード費用が捻出できてしまったのでやむなく(笑)。マザーボードをATA133対応のASUSのA7A266-Eと交換し、さらにCPUをAthron1200MHzからAthron 2100+へ。メモリは1.5GBのSD-RAMから1GBのDDR-SDRAMへど容量を減らした。さらに、グラフィクスボードをMatroxのG-450からRADEON8500へ取り替え、その他PCIスロットにはTEKRAMのSCSI基板(315)、玄人指向のUSB2/IEEE1394コンボ基板、3COMのLANカード+カニ印の8139LANカード、Promisの ATA-100カードと5スロットフル実装になっている。

   そもそもの問題は、以前使用していたLANカードが時折LAN接続不能になるという問題があり、おそらくそれが原因でメーラーとして利用していたOutLookがハングアップしがちであったことだ。特に、エディタとして設定されていたWordとOutLookのアプリケーション間通信をハンドリングするDLLが死ぬらしく、いわゆるDLL-Hell(DLL地獄)というシステム全体がなにもできないような状態へハマルことがたびたび生じていたからだ。OutLook Expressは使いやすいのだが、スクリプティブなウィルスのメイン・ターゲットでもあるので、どうにも。などとうだうだ考えながら、Windows XPの入ったドライブは初期化せずに、そのまま移行すれば、若干のドライバーの「自動更新」でなんなく取り替え完了になるだろうと、深く考えなかったことが大間違いの発端になってしまった、

   ハードウェアを取り替え、組み上げた後、起動させると、なな、なんと、起動途中で画面が真っ青になってしまうではありませんか。これまで使っていたA7V133はVIAのチップセットで、新しい基板のチップセットはALiのもの。もちろん同じものではないのはわかっていたのだけど、画面真っ青になるほど、違うとは。と愕然としたのでした。で、急遽、旧来の基板を別のATXの箱に仮設して、LANカードとかハードディスクとか、メモリを適当にセットして起動したところ、今度は、まずWindows-XPが再認証が必要だと宣うので、ダイアログの再認証ボタンをクリックすると、ネットワークがつながりません。というエラーではねられて起動が完了しない。ところがLANカードはすでに別物に取り替えてあるので、そのLANカードを設定し直すには起動が完了しなければならないというジレンマに陥ってしまったことに気がついてまたまた愕然としたのであった。こうなると元のLANカードに差し替えて動く保証はないので、仕方なく、マイクロソフトへ電話をかけて、音声応答システムを利用して手動で認証番号を入力した。で、それでとりあえず起動はできるようになったのだが、今度はOutLookを含めてのMS-Office全体の正規アクセスが拒否されてしまい、とりあえずメールのバックログは読むことができるもののデータ類のイクスポートなどの機能が使えなくなってしまった。

   新しい主機でのインストールでは、Windows-XPのライセンスはMSDNのライセンスの一部であるから、基本的に10PCまで正規にインストール可能という契約であるからそれほど再認証が問題になるはずもないのであるが、Office XP の方は一般ライセンスなので認証は2回までという制約がある。で、LANが使えるようにしてから自動再認証を試みると、MS側から見事はねられてしまった。 A7V以前にMSIの基板で一度認証を受けたことが原因しているのかもしれない。そこで、MSへ電話をかけて音声応答で再認証番号を発行してもらおうとしたら、今度は自動応答システムの最終フェーズで再認証拒否。つまり2台以上のマシンで利用しているとみなされた。ということらしい。そこでは、人間である担当者と直接交渉が選択できるというのでそれを選ぶと、時はすでに夜中の二時半を回っていたのだが担当者が電話口に出てきた。それでマザーボード不調のメンテナンスで云々と理由を伝えると、なんと口頭で認証番号を教えてもらうという羽目に。メモ書きしてからそれを入力してようやくMS-Officeが使えるようになった。しかし、旧来のマシンのOfficeは現状正規利用できない状態で放ってある。OutLook依存のデータ以外のデータはファイル独立でイクスポートが可能だから問題にはならない。ただ、OutLookのメールデータだけはそのoutLookが動かないことには可搬なファイルにできないので困りものなのだが、ま、とりあえず捨ててもよいかな。と思い直した。

   デスクトップ機のアップグレードを行う場合、OSがWindowsXPである限り、あるいはMS-Officeを使う限り、このようなトラブルが起こり得ることを今後覚悟しなくてはならない。正規ユーザというこれまでの概念はMS社の認証システムで変質していくだろう。としても、まったく不便この上ないと思う。MS社はある意味で「不便」を商品にしているのだから、夜中の2時半に電話対応できる人員を確保しておかなければならないのはご愁傷様とはいえ同情にするに値しないと思える。ここで確実に言えることは、もう二度とMS-OfficeのOutLookは使わない。ということだ。マザーボードを取り替えたことで認証が取り消され、さらにメールデータの外部持ちだしもできなくなるメーラーなど危なかしくって使えたものではない。もちろん、そういう「交換」はメールデータをきちんとイクスポートしてから行うのが正道であるはいうまでもないのではあるが、不慮の事故や突然の基板故障など、事前イクスポート(バックアップ)ができないばあいだってあり得るのだ。

   他にも、たくさん。まず、Power MacintoshのIDEドライブとして使っていた30GBの増設HDDを120GBのものに変更。実は120GBのHDDにする前に160GBのHDDに取り替えたのだが、いわゆるBig DriveはPowerMac 867Mhzではフルサイズでは認識できず30GB程度無駄になるので120GBのものに変更。その160GBのBig Driveを主機のメインドライブとして使うものの、やはり約130GBという従来のIDEドライブの限界容量を超えての認識はできない。さらにはその限界値でパーティションを切ると、なんと残りエリアが0バイトに(笑)。でもって、新規フォルダさえも作成できないという罠(笑)。をいをい、130GBも容量が残っていてフォルダ一つ作れないはないだろう。と文句を言いたくなる。で、パーティションを切る際に数メガバイトほど小さくして切るとこの問題は解決した。

   Big Driveの扱いについて調べると、とりあえずMacintoshでは現状正規サポートなし。IBM-PCの側でサポートがあるのはPromisのIDEカード(133MHzATA対応のもの)とIntel Pentium4対応製品(インテル社製のチップセットを使ったもののみ)。AMD対応製品では現状は未完了。Big Driveに対応するためにはまずマザーボードのBIOSが48bitLBAに対応していること。さらにそのBIOSを呼び出して利用するチップセットのIDEドライバーが48bitLBAに対応していることの2段階のサポートが必要。現状AMD関連製品ではBIOSが対応しているものはあるものの、IDEドライバーが未完了であるようだ。まぁ、これは時間の問題であるのだから、ALiでもVIAでもSiSでも、IDEドライバーが出そろった段階でドライバー更新すれば残りの未使用エリアを別の論理ドライブとしてつかうことができるようになるだろう。

   もう一つは、Celeron1300MHz。これをCelereon950と取り替えたところ。動作せず。CeleronのGHzチップはFPGAではなくFPGA2。であるからコア電圧などが異なるためBIOS起動直後程度でハングアップする。CPUタイプがFPGA2であることを認識できるマザーボード(BIOS)でなけばこのチップは使えない。ということで、またまたASUSの基板が一枚増えることに(笑)。もちろん、それだけでは済まないのが.....。

   あと、メビウスノート(PC-MJ750M)の増設メモリを128MBから256MBに変更した。256MBの144Pin SO-DIMMには2種類あり、メビウスノート(チップセットはSiS)では128MB2バンク構成のSO-DIMMでは128MBまでしか認識できない。とのこと(談:神和電機:秋葉原)。しかるに256MB1バンク構成 (8MBit*32)のSO-DIMMが必須。ちなみに、シャープの正規のスペックでは対応メモリは128MBまで(内蔵メモリは64+128=196MBがMax)。そこを256MBを増設するのはいわば掟破りなのであるが。


●V-Data 512MB-DDR(2002/5/21)

   ここに来てDDR-SDRAMが安くなっている。従来型のSD-RAM-DIMMの最安値期には512MBのDIMMが3950円なんていうこともあった、そういう時期でもDDR-SD-RAMは比較的高価であったが、現時点で512MBのものが10980円などで売られているのを見るに、何か意図があるのだろうと思ってしまう。

   昨年秋のD-RAMの安売りは、韓国の半導体メーカーによる日本メーカーの追い落とし攻撃の故であった。競争相手が撤退するまで安売りを仕掛け、撤退したら売値をつり上げる。というのは古典的な独占行為であって、独占禁止法(あるいは米ワグナー法)などが問題とする商行為であるが、国際的なスケールになると自由貿易主義とのからみもあって必ずしも摘発を強行し難い。という点に乗じられていた感があるように思った。実際、東芝が米国工場をMicronに売却し撤退を発表したと同時にD-RAMの値段は暴騰し、秋葉原価格だけで言えば、3950円のものが2ヶ月後には14000円程度になった。

   86年頃のスーパー301条(敵対的貿易国制限条項)の発動をちらつかせながら市場開放を迫った米国もえぐいと思えたが、ここのところのD-RAMを中心とした半導体戦争にも違った意味でのえぐさが感じられる。一つだけいえるのは、負けるのはいつも日本だ。ということだ。しかしこの負け戦には明らかな敗因があると思える。一言で言えば「けんか下手」が災いしている。のであるが、要は展望の無さと無策と努力の欠如の故だと思える。貿易戦争は明らかに「戦争」なのだ。だから勝つためには徹底した情報収集と効果的な戦略、資源(人・物・生産)集中そして実戦行動が必要なのだ。ところが、残念なことにその種の「軍事的」商行動という観点・発想が日本には欠如している。生産拠点の海外移行に伴い技術移転が進みつつある今、手をこまねいていつづけるなら地滑り的な没落がとめどもなく進行するに違いない。

 


   V-DATAのDDR-SDRAM-DIMMは現時点での秋葉原の目玉的な破格値512MB-DDRだが、Socket-A系のマザーボードではRAMが何本実装可能であっても使えるのは1本だけだ。3本させばBIOSでは1.5GBと認識こそされるがまともに使えない。1本だけの実装ならWindowsXPのインストールなどは正常だが、2本以上実装しているととたんにWindowsXPのインストールがほとんど不能状態になる。ASUSのA7V333とA7A266-Eの2枚の基板でDDRをそれぞれ2/3本実装して試したが、前者(A7V333)ではとにもかくにもWindowsXPのインストールが全く完了しない。10回以上試みたがインストール作業の途中で青い画面にはまり完了できなかった。A7A266-EではWindowsのインストールはSD-RAMベースで行ったので確認はしていないが、インストール後メモリをDDRタイプに換装した後、プログラム起動途中のみならずアイドル動作中でさえ突然ハードウェア・リセットが発生しBIOS画面からの再起動が日に何度も生じるという怖い状況が続いていた。

   そもそもはA7A266-Eの「突然リセット」が問題の発端で、エディタの編集途中だとかデータベースの入力中とかにそれが起きるので仕事にならなくなっていた。しかも再現性は微妙でなぜシステムリセットが生じるのか、その条件が特定しきれなかった。強いて状況を言えばプログラム起動時。という程度。またハードディスクが動くと。という感じもあった。

   まず、システムのリセットはプログラムの暴走が原因だと考えられるが、WindowsXP/NT/2000のようなマルチタスクOSでタスクの暴走でシステムが落ちてはならない(笑)のであって、プログラムのバグなどがシステム・リセット原因になるはずはない。とすると、ハード的な原因。たとえば、マザーボード上の電源回路の容量不足で、AthronXP2100とか512MBのDIMM、RADEON8500のような電力大喰いパーツの故にある条件で過電流が流れたように見えて、保護回路的な電源シャットオフが生じてリセットが生じるのではないか。と思い、様々なカード類をVGA以外全部はずしさらに、VGAカードも昔のS3TRIOのような超軽量のPCIカードにしてみたりしたが症状に変化はなかった。また無停電電源の容量不足による電源電圧降下が原因かとも疑い、AC100Vに直接電源接続するようにもしてみたがこれも無関係であった。

   160GBのBigDriveの故かとも疑った。BIOSとDriverの関係もあり、これについてはIDE接続からPROMISのATA100カード経由にし、さらにそのIDEカードさえ外したが変わらず。またUSB2.0/IEEE1394カード・ドライバーも外してみて無関係であることを確認。等々。

   そうやって、ひとつひとつ確かめて結局メモリに行き着いて、メモリを1枚刺しにしてみたところとりあえず問題(Windowsのインストール不調)が解消されたので、今回のリセット問題の原因はメモリであると特定した。3枚とも同一ロット(chip上の製造コードが同一)なので、そのいずれかが不良なのであろう。と思いつつ3枚を1枚づつ合計3回インストール作業を試みるもノーエラーで完了。結局2枚刺し以上の複数DIMMを用いた場合にのみ生じる現象であることも確認した。

   単品使用の場合は問題が生じなく、2枚使用の場合に問題が生じるのはなぜか? しかも2枚のメモリはそれぞれ同一ロットで特性的にはきわめて近似しているのに。僕的には、PCIバスなどのアクセスがあった際に、若干、メモリアクセスのタイミングに異常が生じ、その異常性に耐性を維持できるほどの余裕があるか、ないか。という点が問題なのではないか。と考えている。多分にチップセット制御をまかされているBIOSの問題が大きいのではないか? だからこそ問題は深刻で同一ベンダーのモニタを抱いている複数社のマザボで同一現象が発症する可能性が高くなる。それだけでなく、そのBIOSベンダーが修正しない限り問題は解決されず、さらにマザボのメーカーが新版をリリースしない限り問題の解決はない。ということだ。しかし、そういう特殊問題が生じるスペックのD-RAMを作るメーカー製品が問題の元凶であることに代わりはない。BIOSベンダー側が努力すればハードウェア的な問題を解決できる「可能性」はあるかもしれないにしても。である。ハードウェアは製造してしまった時点で問題の解決を後付的に行うことは不能なのであるから、問題ある製品を作ってしまったメーカーはその責任をとわれなければならないであろう。この件では販売店にずいぶん文句を言ったのだが、1週間保証の販売店(××××工房)では「中古の買い取り」という対応しかできない。とのこと。プアな安売り店は最終的に無責任さを盾にして逃げてしまうものだ。ということを再確認した。様々な個別テストとランニング・テストを繰り返すなら1週間では短すぎるというのに。それを知っていてあえて1週間の保証期間にしている点に「悪意」がある。とみるべきであろう。

   ということで、V-DATAの512MBのDDR-DIMMは糞であると認定せざるを得ない。安物買いをするユーザは結局支払ったコスト以上のコストを支払うことになるという法則を追認することになった。まったくなんということであろう。だから、V-DATAのDIMMは安値で売られているのだ。これがDDR-DRAMの値段暴落の実情なのだとしたら笑えるというより、単に粗悪品が市場価格を下げているように見せかけているだけ。なのである。冗談のようだが、巻き込まれると冗談も笑えない。

   おまけとして、不幸な追加トラブルがひとつ。CPUの抜き差しの際にうっかりしていて電源コードをつなげたままで行ったため、主機を飛ばしてしまった。ATX電源は電源コードをつなげておくと、電源ボタンの押下を知るためのスタンバイモードを維持するために微弱ではあるが電流をマザーボードに流しっぱなしにしている(だからたいていそれを知らせる緑色LEDが点灯しっぱなしになっているはず)。この事故でAthron2100+Duron1200+A7V333など約6万円相当分を全部逝かせてしまったのかと最初はパニックってしまったが、なんのことはない、400W電源のヒューズが飛んだだけ。電源の蓋を開けてみると金属飛沫が焦げ付いたガラス管ヒューズがそこにあった。250V8A。そんなヒューズは簡単に手に入るわけではないので、秋葉原とかで入手しなくてはならない。これも面倒な話ではある。別の300W電源をつなげてそれら部品がとりあえず生きていることだけは確認した。ただ、まったくの正常か。という厳密な確認はまだ行っていないから、後遺症があとから出てくる可能性はある。


●ASUS A7V333 + 512MB-DDR(2002/5/27)

   ここ2週間ほど、主機のアップグレードに伴うトラブルで立ち往生が続いている。そもそもの始まりは、マザーボードをA7V133からA7A266-Eへ変更したことが始まりだ。マザーボードだけでなくAthronもFSB100MHzの1.2GHzのものからFSB266MHzのAthron2100+(1.73MHz)に変更した。当初は133MHz対応の512MBのSD-RAMで済ませる予定だったが、DDRメモリが安くなっていたからメモリも取り替えてみよう。ということからドツボにはまりこんでしまった。

   とにもかくにも、V-DATAの512MBのDDRメモリはある種粗悪で、一発動作しなかった。複数枚差し込んでみるとWindowsXPのインストールさえ途中終了する有様。メモリとマザーボードとの相性問題があるのだろうと考えてA7A266-Eと同じASUSのA7V333を急遽購入して試したけれども解決せず。しかも事あろうことか、電源ケーブルをつなげたまま(WindowsXPはシャットダウンしてあったが)Duron1200MHzとAthron2100+を取り替えるべくCPUを外したところで電源をトばしてしまった。余談になるけれども、この電源は400Wクラスの別売電源としては最も安価なものでアルミケースのもの。トんだのはヒューズだけだと思い即断ヒューズ(250V/8A)を買ってきて付け替えてみたけれど、電源オンで即トび。さすがに電源をパーツレベルで修理するのは無理なので廃棄。代わりにSNEの420W電源を入手。

   とりあえず、V-DATAのメモリはお蔵入りに。といっても512MBのメモリを3枚も眠らせるのは惜しいので、どうにか使う道を模索する予定。代わりにNANYAの512MB-DDRを2枚。これはA7V333に2枚実装してみてもとりあえず問題なく動作している。このNANYA2枚にV-DATA1枚を追加するととたんにシステム・エラー続出となるので、お見事! と褒めてやりたくなる。ところがなのである。WindowsXPのインストールなどはうまくいくものの、しばらく使っていると突然あの「リセット」が発生するではないか。IEやTelnet起動時とかだけでなく、麻雀ゲーム(プロ麻雀 極 天元編)を長時間プレイしている最中などにも。なぜ麻雀ゲームかというと、このリセット・エラーはそうそう起こるわけでないからで、かならずこうすればリセットが発生するという再現性を掴めないため、長時間PCを動かしてさらになんらダメージにならないジョブであるからだ。しかし、ASUS-A7V333 + 512MB-DDR(NANYA)2枚でもリセット・エラーが発生するのをみるにつけ、がっかりせざるを得ない。さらに他社のDDRメモリを買う?

   こういうトラブルは、SD-RAMベースの基板ではほとんど経験したことがない。といっても例外として2件、ひとつはPentium166MHzが最速CPUの頃にメモリの初期不良に遭遇したことが一回(これはTwoTopで購入したもので、Windows3.1のインストール途中にブルー画面が出るので他のメモリと交換してみるとそういうことは起きないという単純な識別で判断してshopに持ち込んで確認・交換してもらった)。あと、Cylixの5x86 200GP(今のAthronと似た命名法だけど)の熱暴走でも苦労したことがある。CylixのCPUについては結局クロック倍率を66MHzの2倍の133MHzでいわゆる166GP相当で使うことで解決していたように思う。CPUが熱暴走を起こすと今回同様にシステム・リセットが発生する場合もあるが、熱暴走の場合は高熱が原因だから一度問題が生じると冷ますまで問題が何度も続けて発生するという特徴がある。この点でみれば今回の問題は必ずしも熱暴走ではない。しかし、CPUあるいはメモリの問題が主原因であろう。システムリセットはいわばメモリの内容が吹っ飛んでしまうか、CPUの内部回路のある種の暴走で起こっていると思えるからである。

   まず、メモリについてはmemtest86というフリーウェアが雑誌のおまけCD-ROMにあったのでそれを用いて1昼夜半程度テストしてみた。1GBで1サイクル50分程度かかるテストを36回繰り返したところで止めたがこの時点でリセットも起きずメモリー・エラーも発生しなかった。memtest86はOSを介さない自走プログラム(DOSの部分程度は含んでいるのだろう)なので極めて軽い負荷のプログラムだといえる。だからテストとはいってもテンポラリファイルのアクセスをバックグラウンドで行いつつ走っているようなWindowsXPの環境と同等の環境であるとは言い難い。ただそれでも純粋なメモリテストにはなっているのであろう。だからメモリの問題はNANYAの2枚についてはセーフであると判断せざるを得ない。

   そこで、今度はCPUを疑うことに。ASUSの基板にはASUS Probeというシステム監視プログラムが添付されているので、それを用いて諸元を確認すると、コア電圧が1.79Vから1.8V前後をうろうろしていることがわかった。AMDのサイトからAthronの仕様書(pdf)をダウンロードしてみると1.75Vがカタログスペックであるにもかかわらず。なのである。はじめはこのコア電圧を.25V単位で上げてみて様子を見た。一般にコア電圧が低めだと動作が不安定になる。というのが「常識」であると思われたから、もしかすると2100+のような高速型では電圧不足なのではないか。で、実際にコア電圧を上げていくとむしろエラーが発生する頻度が上がったのである。BIOSの設定項目を利用して1.75V設定から、1.775, 1.8, 1.825Vまで3段階まで試してみたが1.825V設定では起動途中でエラーが生じるほどになる。CPU温度も61度、62度、64度と上昇していた。ただ、よくよくASUS Probeを見ると、コア電圧に限ってなのだが、常に設定電圧より約0.5V電圧が高めに表示される。1.75V設定で約1.8V。1.825V設定では1.88V程度。

   BIOSの電圧設定項目には1.7Vあるいは1.725V設定の項目が無いのでそれ以下は基板上のジャンパ設定でしか行えない。しかし、BIOSの設定値と監視値とが0.5Vも違うのは何故か?この点は不明である。監視機能を担うASUSのカスタムICのA/Dコンバータに問題があり常に0.5V高い値を示しているだけなのではないか? いやそうではなくて実は監視値は正しくて、BIOSによる設定が0.5V高めに設定されるようになっているのではないか。この点に決着をつけるためには校正されたミリバルを用いてコア電圧を直接測定するのが一番であるが、残念ながらミリバルはもっていないしテスターで0.0xVの違いを測定できるわけでもない。シンクロはあるが、CPU基板の裏面を晒しながら剣山のようなあのピンからvCoreを探し出すのも面倒なので(笑)、ここは監視値を正しいものとみなして、基板上のジャンパをいじることにした。A7V333のジャンパでは0.5V単位でしか設定できない。そして1.75Vで設定しても値は変わらないので、1.7V設定に変更した。この場合、BIOSの設定もAUTOからManualに変更しなければならない。

   現在変更してみたマシンでWindowsXPを起動し放置したままにしてある。かれこれ3時間程度経過しているが、リセットはかかっていない。これまでこうした単なる放置でも気がついてみるとリセットがかかりユーザ選択画面になっていたのであるが、現状リセットは一度も起きていない。それだけではない。なんとCPUの温度が50度と、1.75V設定1.8V表示の時に比べて10度も温度が下がっている。基板温度も45度から35度に。これで動いているのだから動作が同じならこの方が望ましいに決まっている。ということで、強制リセットというか、システムダウンが今後も生じるかどうかは今後長時間にわたって様々にプログラムなどを動作させてみてテストしなければならないが、これで動作が安定するなら、あの「リセット」はコア電圧の設定ミスによるものだ。と断定できることになるだろう。個人的にはそうあって欲しいと思っているそうでなければ、問題はさらに深い迷宮にはまりこむことになるのであるから。仮にそうであったとしたら、ASUSのA7V333にはコア電圧設定の部分にある種致命的な問題があったと断定できることにもなる。ただ、マニュアルでジャンパ設定できる。という点が逃げ道というかそういう設定の余地があることで問題回避できる、そういう設計上の余裕があるという点は逆に評価できると思う。もしBIOSにAUTO設定機能だけしかなければ、そしてASUS Probeのような監視プログラムのサポートがなければこのような問題を発見することは不可能であるのだから。

   この問題解決のために、先日、吉祥寺に立ち寄った際、T-ZONEに寄って サイドテストのための基板としてMSI(VIA KT-266)とA-Bit(AMD 760)の基板をそれぞれ9800/7980円で購入した。そうした基板を使う前に問題が解決するなら、この2枚の基板は使わないままになるかもしれない。さてさて、こうした限りない無駄遣いができるのも今月に限っては可能なのである。実をいえばスロットのカエル君達のおかげなのです。今月5月、のべの差枚で1万枚以上もだせたが故の無駄遣いなのだ。




●近況(2002/7/1)

   先月来のDDRメモリ騒動もどうやら一段落した。結局、主機はPentium4/2.26GHz(ASUS P4B533E)に切り替え、SAMSUNGのPC2700(333MHz)の512MBのDDR(2枚)をPC2100(266MHz)で仕様的にスペックダウンさせて用いている。AthronXP 1.73GHz(2100+)機には現状NANYAのPC2700の512MBのDDRメモリを2枚で使用中。ASUS A7V333のBIOSのデフォルト設定使用ではちょっと危なっかしい現象も散見されたが、メモリの使用スペックを最も低速(DDRのSPDで使用するのではなく、CPUとメモリのクロックを1:1(133MHz)で設定し他の緒元も最も低速に)設定した。懸案のV-DataのPC2100DDRの2枚差しは、MSIの基板にDuron(FSB-200MHz/PC1600相当)とこれまたスペックダウン設定して用いている。このような安全性重視の設定を行った後はとりあえずトラブルらしき現象はおおよそ終息している。

  現時点で現用機は以下のような様相に。
・Pentium4 2.26GHz : WindowsXP Pro 主機 400GB, gForth4 4200,
・Athron1.73GHz   : WindowsXP Pro サブ機、120GB(80GB+40GB), Radeon8500 主にAV/Game用
・Celeron 1.3GHz  : Windows 2000 Server : 16GB + 80GB(Raid 0 ミラーリング)
・Duron 1.2GHz   : Linux7.2 実験サーバー 1
・Duron 1.2GHz   : Linux7.2 実験サーバー 2
・Celeron 950MHz  : Linux7.1 実験サーバー 3
・Duron 1.2GHz   : Windows .Net実験サーバー 1
・Celeron 733MHz  : WindowsXP Home Mebius Note
・PowerMac 867MHz  : OS-X iTunes / iMovie 専用
 最近は、ブラウン管モニタを全て液晶モニタに切り替えたり5.1chシステムを接続したりみたいなとりとめもないupgradeが続いている。無停電電源装置は計6台に増えた。ケーブル類は種類本数とも増加の一途で、整理用のケースをダース単位で購入したりなど。98用の古いGameも200本近く増え、もはや収納スペースの関係から限界ぎりぎりの状況。ううむ。


●トラブル(2002/8/21)

  実験サーバーの中核ともいえるサーバー機が立て続けにトラブルを引き起こし、ご破算の連続なのだ。まったくもって、トラブルの種は尽きまじ。という感じなのである。

  サーバー機は電源ONのままで使用するのが基本。テスト済みのセットアップボックスを量産して販売しているメーカー製のサーバーであれば、量産であることの故にトラブルが引き起こされるケースはある程度収束するに違いない。この観点からいえば、メーカー製サーバーの品質はあるレベルをクリアしていて当然だ。ところが、自作機をサーバーにするとなると、起こり得るトラブルは全くもって収束しない。つまり、サーバーをセットアップする毎に最新のパーツを使いたくなる。という身勝手な想いと、新製品系しか置いていないという販売店の傾向とがトラブルを無限大に拡散することになる。

  たとえばマザーボードが不具合を起こした場合、同一のマザーボードを予備部品として確保してあるなら不具合はその基板の交換だけで決着する。はずである。がしかし、予備のマザーが手許になければ、新品別製品と置き換えなければならない。ところがである。新品別製品は旧製品とは全く別種のチップセットを使っていたりするであろうし、イーサネットなどオンボードの構成も異なっていたりする。とすると、交換した基板では旧来のハードディスクは起動時にコンフィグレーション・エラーで立ち往生するのが普通。ということになる。

  今回の一連のトラブルの発端はまずもって起動後30分程度経過するとハードディスクを認識しなくなる。という現象。再起動した場合、BIOSからハードディスクが認識できなくなっていた。経験的にこういう場合はハードディスクの制御系にあるいはマザーボードのIDE周辺回路に熱不良(ICチップの経時トラブルは定常運転時の発熱でチップ上の論理回路素子のスイッチング特性が劣することが原因となる場合が大半)があるのだろうと思えた。新品のマザーボードを換装し別機のハードディスクを接続すると、当然読める。これで、とりあえずこの実験機2のメンテナンスは終了とした。

  問題はHD無しになってしまったミニタワー機である。これには以前主機で使っていたASUSのA7V133+Aturon1.2GHzがセットアップされている。外した40GBのHDDにはMS社の.net Serverの試供品をインストールしてあったが評価している暇もないのでLinuxで先に上書きしてしまった。で先のトラブル機から外した40GBのHDDを接続してみると案の定見えない。HDDが死んでいるのだな。とその時点では思えた。なぜなら同一ケーブルでカスケード接続してあるCD-ROMは見えるからである。そこで、別の60GBのHDDと交換してみると、これまた見えない。のである。いやはや、不良品のHDDを接続してマザーボードを壊してしまったのか。とその時点では思えた。しかしCD-ROMが見えるのが不思議なのであった。

  この二次的トラブルの元凶は、IDEのケーブルであったそれも接続のトポロジーの問題。IDEケーブルには普通コネクタが3個圧着してあり、コネクタ間の距離の長い方の端のコネクタをマザーボードに接続し、他の二つをIDE機器に接続するのが普通である。ところが、 CD-ROMとHDDの実装場所の問題からCD-ROM とHDDのカスケード接続をする側で長い方を用HDDから短い方のケーブルの端についたコネクタをマザーボードに差し込むような接続をしていたのが問題であった。もう一本別のケーブルを用意し別個に接続すると見えなかったHDDが見えるようになった。とすると、なぜに以前のHDDは見えていたのか?

  IDEやSCSIのインタフェースはパラレル信号を扱うため、ケーブル接続には常にインピーダンス整合が要求される。古いIDEケーブルがATA-33レベル止まりなのはその一例である。インピーダンスはケーブルの線間の容量と長さで決定されるし、また終端解放は終端反射のノイズの原因ともなるので、接続する場合は端と端とを接続する。というのは常識だ。ところが、終端解放されていなくても(長い側の端にCD-ROMが接続されていても)マザーボードとHDDとのケーブルの長さとその接続の先にどの程度のケーブルが接続されているかが問題になる場合がある。ということを今回のトラブルで体感的に認識した。この問題にはA7Vの問題もあるだろう。ASUSのA7Vもいろいろなバージョンがあるが、私が使っているのはFSB133に対応しつつもATA-66止まりの板で、それにATA-100のHDDをつなげている。というところが問題なのかもしれない。ATAの速度モードの決定のためのネゴシエーション途中のある種のタイムアウト時間とBIOS側の接続判定のタイムアウト時間がミスマッチしていると思われる節がある。実際のところ、BIOSで何回かHDD認識をトライすると先のトラブルケースなケーブル接続でさえもHDDを認識することができるのである。ところが、時間をかければ認識させ得るとしても、通常起動時ではそのようなタイムアウト・リトライをしない。だからBIOSの設定モードで認識できても通常起動時には認識できないのでHDD起動はいつまでたってもできない。これでは役に立たない。にも関わらずケーブルを1:1の終端接続で行えばそういう不具合を生じせしめずに普通に起動できる。まさにこれ「相性」なのである。しかし、この種の相性は合理的解決が可能だし、その合理的解決がある種とても常識的な領域であることが面白い。

  自作PCの世界ではよく「相性」が云々されるが、おおよそ相性問題はある種の常識からすれば「非常識」なことを実現しようとして失敗している例だとは言えないだろうか。この意味で「相性」という語は「オカルト」という語に似ていると思える。「これこれの組み合わせでは相性の問題で動かないことがある。」という表現は何も説明していないと思う。言い換えれるなら「理由は説明できないけれども、これこれの組み合わせでは動かないということは事実である。」と表現しているだけのように見える。動作不良の理由を説明できない販売店と動作不良の原因究明を行えないユーザの狂想曲。ショップ店頭のクレーム対応の現場を目撃する度にそれが「相性」という語で相互理解されて調和へと収束するのだろうなと。しかしながら、エンジニアには「相性」という語は禁句なのである。相性問題を微分的に追求して解体解明することがエンジニアの仕事なのであるから。

  さらにおまけ的なトラブルが一つ。先のミニタワー機に40倍速のCD-Rを取り付けた(といっても手持ちのCD-Rメディアは12倍速対応の安物しかないのだが)せいもあって、新品基板のmicro-ATX機ではなく、A7V/Athronのミニタワー機を中核実験機に変更した。ところが、RedHat Linux 7.3のインストール時から不具合ぽかった電源が実運用開始後の最初の電源断で電源が壊れてしまった。インストール時の時点で、電源断後、電源スイッチを押してもパワーオンにならないという症状があった(どこぞの店頭展示品の電源付きケースの特売品を購入したのが間違い)、当初は電源ケーブルを抜いて20秒程度放置してから電源ケーブルを差し込みそこで電源スイッチをオンするとパワーオンしていた。それが48時間程度の実運用後の電源断・再起動時で同様にしてもパワーオンにならないのであった。20秒ほど電源ケーブルを抜くとうまく電源オンできるのはATXの電源はケーブルがコンセントに差し込まれている限り微弱ながらも常時24時間電流が流れる仕組みになっているためで、コンセントレベルでの電源断で電源回路内部のコンデンサーの蓄電が放電されてノーマル状態に戻るからであろうと推測している。この問題は単純に電源を別途購入して取り替えておしまい。やはりサーバーのATX電源は電源スイッチ付きの別売ものがベターであろうかと。

  いずれにしても、なんとも故障トラブルの多いことか。相性問題などの発生の余地が無くなり、製品不良率がコンマ以下になるなどという日は訪れるのだろうか? たぶんそういう日は訪れるのだろうが、その未来の日には日本のPCメーカーの大半はその息の根が止まるのかもしれない。


●MacOS X 10.2 (2002/9/7)

 先月の24日の土曜日にMac OS X 10.2 Jagurが発売されるという話をATX電源を買いに行った時にヨドバシカメラの店内広告で知った。土曜日はお祭り沙汰があったらしくすこし気になったので水曜に町田へ出てヨドバシ・ソフマップを見て回ったが在庫切れで購入できず。結局8/31に再度新宿のヨドバシに出向いて入手した。

   さっそくインストールしてみた。今回のMacOS Xのupdateでは150箇所以上の更新がなされているというが、体感的にはそれほど違ったという印象はない。ただ版を重ねるに従って着実に安定的なシステムになってきている。初版では、SCSIのドライバー周りにバグがあって、Adaptec2940相当のSCSIカードに接続した4GBのドライブがよくクラッシュ(カーネルエラー)したものだが、1.1以降では止まっている。ただ1.1では、USBのドライバー周辺に問題があり、特にUSBキーボードを切り替えて使うような場合、再々切り替え後にUSBキーボードが認識されないということがあった。

   そのUSBに関するトラブルはだいたい以下の通り。使用機種はPowerMac867MHz。切り替え機はシネックス扱いのEM-410USBという台湾製。症状は再々切り替えを行うとApple純正キーボードが見えなくなり事実上キーボードが使えなくなるというもの。実はそれ以前に2:1のUSB/VGA切り替え機を使っていたがそれでは全く問題がでていなかった。だから原因はEM-410USBという切り替え機にあるのだろう。と思っていた。実際WindowsXP側でも再々接続時に認識できないUSB機器がある。といったメッセージがでることがある。

   ところが、MacOS X 10.2にupdateしたところ、この問題は雲散霧消してしまった。EM-410USBでもとりあえず問題なく使えるのである。おそらく、10.2になってUSBのプラグイン対応部分、USBの接続トポロジーの再構築の周辺が強化されたのであろう。ありがたいことである。ただ、いずれにせよUSB/VGAの切り替え機に問題が残っているのは確かだから将来的には取り替えることになるだろう。この種の切り替え機の主流は現状PS2キーボード、マウス、アナログVGAベースのものがほとんどだが、最近のマザーボードではPS2インタフェースを省いたものがトレンドになりそうな芽もある。将来的にはUSB/DVIの切り替え機が中心になるのだろう。実際その種の製品はすでに販売されているようでもあるし。

 


  さてさて、来週の連休には引っ越しを敢行する。引っ越し先は戸建ての納戸付きなのでその納戸をサーバー部屋にする予定。

  マンション(集合住宅)系の部屋では管理組合の規約の関係で壁に穴を開けたり電気の契約ワット数を変更したりすることが容易でないことが多い。この種の制約があると、光ケーブルの敷設工事は物理的には可能に思えても事実上不能ということがあり得る。現状住んでいる部屋では壁の穴開けは御法度なのでできない。また今さらに知ったのであるが電力契約も30Aが上限であるらしい。これではいつまでたっても光ケーブルは敷設できないであろうし、ブレーカーとの戦いも白兵戦になりそうな予感がしていた。もちろんルールが変れば何でも可能である。とはいうもののそのルールを変更するためには管理組合の理事長選挙に立候補するだけの勇気が必要であろう。ただ仮に理事長になったとしてもルールを改正できるかどうかは総会議決が必要でそれは1年に1チャンスしかない。

  新居では屋内配線を工事業者に委託してLANケーブルを引き回すことにした。無線LANという手もあるが、最低でも4万円弱程度。このコスト・レベルだと配線工事費用とさほど違わない。無線LANは故障する可能性があるが、配線されたケーブルの断線事故が発生する確率はネズミなどの食い荒らしがなければほぼゼロだといえる。また無線LANは機種やOSを選ぶ。それにすべてのPC機器がそれで接続できるというわけでもない。また最近再注目されている電磁波問題や盗聴受信によるセキュリティ問題も考慮すべきであろう。

  なにしろ居住面積が1.7倍も広くなるので機器・機材の収納収容キャパシティもずいぶんと広く大きくとれるようになる。そのためこれまでオークションや粗大ゴミ処理で廃棄するべき候補としていた機材も捨てれなくなってしまった。NTTには光ケーブル敷設の申し込みも済ませてある。2ヶ月程度先になる。ということで、これまでとは別のレベルの状況が目前となった。実にワクワクしている。改訂的持続もそれなりの楽しみがあるものだが、拡大的持続にはそれ以上の何かがある。いやいやまったくワクワクなのである。


●引っ越し (2002/10/25)

   9/16に懸案事項であった引っ越しを敢行した。引っ越し荷物は段ボール箱だけでも220箱余り。それ以外にも衣装ケースやスチロール系のケースなどが多数あり、相当な大荷物だった。一ヶ月以上経過した現時点で段ボール類はおおよそ片づけたが、書籍の整理がほとんどできていない。いまだに文字通り山積みのまま。その大半は10年近く読まずにとっておいた技術書とか古いソフトのマニュアルといった類。捨てればすっきりするだろうか? 私の場合、そういう踏ん切りはなかなかできない。ううむ。

   今回はアパートから一軒家への引っ越しだ。いずれにしても借家だからローン周辺の煩わしさとは無縁。引っ越しの理由はいくつもあるが、家族的なことを除外して言えば、一番の理由は旧居が手狭に過ぎたことだ。4Kのアパートでは私が1部屋(四畳半)を占有していた。その四畳半にコンピュータの類が実稼働6台、予備数台。さらにコレクションが20台前後.....。横積みできないので棚の配置を工夫して縦積みしていたがそれも限界に達していた。そういう状況ではお宅サーバーなどを設置することは夢のまた夢なのであった。この点で引っ越しは必然事項なのだった。

   それに、もう一つの問題は、光ファイバーの設置(FTTH)だ。Bフレッツの受付が始まっているというのに、申し込むことができなかった。なぜなら、アパートの管理組合規約に「壁に穴を開けることまかりならぬ」という規約上の制約があった。これでは光ケーブルの敷設はできない。さらに言えば、電源容量は30A契約固定。という規約も根本的な制約だ。この制約が災いしてブレーカーが落ちるという事故は今的にも将来的にも避け得ないものであった。これでは、光ファイバーベースのサーバーなど設置できないし、まして複数台設置することなど不可能。実際、クーラーを1台つけている最中に炊飯器をつけ、そこで電子レンジをONするとまず確実にブレーカーが飛んでいた。

   ということで、三階建ての戸建てへ引っ越しすることにした。インターネットで検索すると幸いにも学区内に適当な物件があり、飛び付くように決めてしまった。建坪的には1.7倍広い4SLDK。私の部屋は相変わらず四畳半だが、階段下の一畳ほどのハリー・ポッター部屋と、高さこそ1.8mだが広さ4.5畳の納戸がある一階全てを占有することになった。肝心の費用だが月にして2万ほど高くなっただけ。しかし広さが1.7倍になったし、等々で、僕的には言うことのない選択であったと思っている。

   引っ越し早々に納戸と自室との間、さらに一階と二階の間にLANケーブルの敷設工事を行った。また、今月初めには、9月はじめに予約していた光ファイバーの敷設工事も完了し実は昨日開通した。といってもまだプロバイダー契約が完了していないので、実際に光ファイバーを利用できるようになるには日数がかかる予定。

   もう一つ良いことがあった。それは、99年の4月に突如訪れた頸椎のヘルニアが引っ越しのどさくさの中でほぼ完治状態になったということだ。これまでの3年間、そのヘルニアの後遺症で左手・左腕が痺れたままだった。1日の中で良いとき悪いときが交互に訪れ、ひどいときはもうキーボードも叩けない。それが今年の6月頃から右手にも移って、もうマウスボタンをクリックするだけで激痛が走るみたいな状態に何度も陥っていた。そういう時は寝てることしかできないのだが寝ていても痺れや痛みはやってきた。それが、引っ越し荷物の開梱・整理をしている最中に、ふっとどこかへ行ってしまったらしいのだ。
  昔から、悪いことが重なれば「方違え」といって、方角を変える、つまり引っ越しをするというのが古式日本の習わしだったが、まさに「方違え」をしたならば、悪霊退散状態になった。体調的には今は99年以前と同じくらい。絶好調という感じなのだ。ううむ。

   そういうことがあって、先日、新宿のヨドバシで、「偉そうな椅子」を買ってしまった。これまで使ってきた椅子はもう角がボロボロで中のクッションが丸見え崩落状態だった。ということもあるのだが、とにかく椅子に座ったまま寝てしまうこともある私なので、首を後ろに倒しても背もたれで支えられるような椅子が長年欲しかった。椅子に座ったまま寝入ってしまったことで打ち症的事故を引き起こし、それがヘルニアの原因となったわけで、という経緯だから、もう健康のためには「偉そう」な椅子が絶対必要なのだ。

   ということで、3年ぶりの絶好調なので、寝る暇を惜しんでバリバリ。という感じ。まったくもって「方違え」は大正解なのであった。    


●B-flets & Linux 8.0 (2002/11/25)

 数日前、ようやく B-fletsが実質開通した。NTTレベルでは先月末に開通していたのだが、ドメインのレジストラ移管の手続きなどが間に挟まりプロバイダ契約の完了に手間取ってしまった。申し込みをしてからだいたい3週間程度。

   WEBサーバー設置が目的のB-fletsなので、いわゆるIP8というタイプの契約。IP8個といっても、最初と最後は使えず、ルーターに1個。DNSに2個を割り振るので実質3台までしか稼働サーバーは設置できない。もちろん、DNSサーバーを共用化してメールサーバーやプロクシを例えばセカンダリDNSに設定するという手もあるだろうが、今回は素直にDNS専用機を2台用意して設定した。というのもプロバイダとの契約からこの2台だけはIP変更できないからだ。

   IP8ベースのサーバーを設定する場合、最初に設定すべきはルーターだ。OCNの場合、PPPoE認証で接続される1IPに対して他の5IP分のパケットをルーティングする仕組み。つまり、実質5IP有効であっても、実際にパケットが送られてくるのはルーターのIPだけなのだ。逆にこちらの複数台のサーバーも皆ルーターをゲートウェイとして指定して1台のルーターがひとまとめにしてプロバイダ側に送り返す。という設定になる。契約的にはunnumbered使用となるので、グローバルIP設定したサーバー機は5台までしか設置できない。NATルーターならもっと数を設置できだろうが....といっても実際的に現状ではそうサーバーの数を必要とするほどのジョブがないので、3IPもあれば事は足りる。

   ルーターといえば、Ciscoなのだが、まぁ、最近は安物もたくさん世に出回っているので、安物で事足りればそれに越したことはない。という安易な考え方でいる。でもって、最初に選択したのは、メルコのBLR3-TX4だ。販売店で実物を見たところ、unnumbered対応。と箱の表に印刷されていたからだ。ただ箱の裏を見るとダウンロードupdateで対応といった趣旨のことが書かれていた。一抹の不安はあったが、まぁ数売れている商品であろうから、サポートはきちんと行われるであろう。とある種の信頼を置いての購入であった。11/15に1.19β2のファームウェアがweb公開されダウンロードして早速使ってみた。製品版の設定画面にはない、unnumbered設定のラジオボタンがあり確かに設定できるようであった。ところが、動作がおかしい。特にファイアーウォール設定で登録・削除を繰り返すと、削除したはずの設定が生き残っていたりなど。でもって、リセットを行ったりして再設定している内に"Internal System Error"などというお馴染みの503エラーを吐き出すに至って、私、切れました。

   使いもしない内から、単なる設定途中ではそれはないだろう。ということで、急遽買い出し。今度はマイクロリサーチ研究所のNet Genesis Opt90とかいうルーターを買ってきた(その昔、マイクロリサーチというチープなICE/ROMライターの会社が横浜にあったが、別会社である模様)。設定方法だけをいえば、メルコのルータの方がはるかに分かり易いし、Top画面で接続確認や切断が行えるという点で使いやすいような気もする。しかし、Opt90は設定内容をファイルに保存・再ロードできる機能があるし、ファイアー・ウォールの設定も実にきめ細かい。ターゲット・購買ユーザーは明らかに異なるだろう。YahooBBのようなADSL接続用途なら、まぁどちらも無設定でダイレクト利用できるのだが、メルコの方がお気軽だ。しかし、自宅に設置する公開サーバーということなら、Opt90の方が少しはまし。という感じ。とはいいつつも、実運用ままだだから、まだこれがいい。などとは言えない。これからトラブルの嵐に遭遇するかもしれないのであるし。もちろん、メルコのルーターのように出航以前の係留中にすでにクラッシュ。は論外でしょう。

   サーバーの準備で、秋葉へ出向いた際に、RedHat Linux 8.0のパッケージを見つけたので、早速購入。サーバー用途なのでクドクドしいオプションは不要だからパーソナル版で、4800円程度。雑誌のおまけ。という手もあったのかもしれないが、これまでの経験から、雑誌のおまけは編集側のミスとかがけっこうあって、トラブルの一因となっていたので、今回はパッケージ版をあえて購入した。RedHatは x.2以上にならないと安定しないというジンクスがあるのではっきり言って8.0は不安だけれども。それで、今回DNS(2),www,テスト機と4台にインストール。gnomeがずいぶんと綺麗になって好印象。というか、GUIはほとんどWindowsそっくりという感じで、ここまで来たかぁというより、結局こうなのかぁ。というところか。

   GUIのメニュー構成はは今一すっきりしていないが、設定ファイルの扱いが「手設定」と「設定ツール」とで格差を設けて手設定でいじったファイルは設定ツールは関知しなくなる。ということから、今回は可能な限り「設定ツール」で行ってみることにした。サーバー設定の「services」はgoodだ。ファイアーウォールのレベル設定はまだまだ(というのもイーサ板の2枚差しを行った場合、信頼ポート表示が不全であるため)。DNS設定ツールはもう言うこと無し。good。WEBサーバー設定ツールははっきり言って全然実用に耐えません。Samba設定は従来通りのswat設定。ただ、swatの設定項目がむちゃくちゃ増えているのにはたじろいでしまいました。等々。

   今回のポイントはなんと言っても DNSの設定で、conf、正引き、逆引きなどいくつも設定ファイルを書かなければならないだろうことに恐れをなしていたのだけど、実際ツールを使うとまっとうなことをまっとうに入力すれば事が終わってしまうのでずいぶんと気楽に仕事ができた。main zone , reverse zone さらに local zone にそれぞれサーバー名とIP アドレスをセットするだけで事が済んでしまう。実際、保存をかけて「services」を用いてnamedを再起動させてやればあっけなく動いた。サーバー環境とは無縁のADSL接続のパソコンのDNSだけを今回設定したDNSサーバーに変更しためしてみるとちゃんとYahooとかもアクセスできる。もちろん、 dig, host, nslookup などというツールでもちゃんと動いているような応答を返してくるのだから嬉しくなる。ただ、実際のサーバーがURL指定で利用できるようになるのは、早くても3日後なので、まだ確認できてはいない。

   今回の作業では、メールやプロクシは設定できていない。ドメインというか、URLがきちんと使えるようになることが先決であるし、そうなったとしたらそれで、web環境の再構築という大きな仕事があるので、ずっと先にせざるを得ない。しかし、それはそれ、これはこれ。楽しいので寝ることを最近忘れている。  


●NIC 二枚刺し (2002/11/25)

 二週間ほど前、五月台のビーバートザンというDIYショップへたまたま行った折りに、電力メータ付きのテーブルタップを見つけて買ってきた。サーバーがいよいよ実稼働に入ることもあり、PC機の実消費電力が気になっていた。もちろん家庭用のテーブルタップであるから、正確さという点ではやや疑問もあるが、電力メーターがログメーター(対数的な目盛り割付け)であるから大ざっぱにしかわからない。それでも実消費電力が全くわからないという暗闇的状況を克服できたという点ではまったく目鱗もののテーブルタップなのである。で、これまた大ざっぱにいえば、おおよそPC一台あたり100W強。三台で500Wというのが目安のようである。Athron/Pentium4に限らず、今時のGHzなCPUの消費電力はCPU一個あたり50W~60W程度。ビデオカードが5W~10W程度。であるから、それにHDDやCD-ROMなどのモーター駆動系のパーツやマザーボード、メモリーなどの電力消費量を足し込んでみれば、100W前後。というのは妥当な数値だろう。いろいろ試してみて驚いたのが、Power Macintosh 867MHzが一番大食らいのように見える(おそらく150W超)ことだ。SCSI-HDDとIDE-HDDを増設してあるとはいえ、どうして150W前後になるのかが不明。

   電力消費は24時間稼働のサーバー機の場合、電気代と正比例する。電気代は1KW消費あたり24円前後だから、100W-PCだと1日約60円。一ヶ月で2000円弱電気代がかかることになる。だから、DNS機2台+WWW機の計三台を24時間稼働させると月間で6000円程度。年で7万円程度も電気代がかかる。逆に言えば1W省電力できれば、月で17円。年で210円程度電気代を節約できる。これが100Wも違えば年で2万円も違うことになる。

   最近のGHz-CPUは皆50W超級だ。Celeron/Duronと、Pentirum4/Athronとの違いは想像するほど大きくない。同レベルのクロックであればせいぜい10W~15W程度。もちろん、それでもCeleron/Duronの方が停電力消費だから維持費は安くなる。DNS機をプライマリ・セカンダリと2台設置するのは、今思えば贅沢な選択だ。DNSのやっていることはたかがしれているわけで、DNS専用機はそれこそ、HD無しのモデムクラスのブラックボックス化できるのではないだろうか。そういう製品が出たら喜んで買ってしまうに違いない。仮に2万円としても消費電力が10W以下なら一年で元が取れる計算。実際、ルーター製品の中には簡単なDNS機能を持つものがある。たぶん、今後この種の製品がたくさん出てくるのではないだろうか。

   で、DNSの設定も変則ながらどうにか動くレベルまで来れたので、次は使う使わないは別として、proxyサーバーのsquidの設定でもしようか。と考えていた。proxyサーバー専用機を別途設置するのは電気代的コストの面から大変なので、DNS機の一台に併設設定しようかと考えていた。また、サーバーのメンテナンスをグルーバル回線経由で行うことなく、LAN経由で行うのが以前から常々考えていたことであった。それで、サーバー機はそれぞれNICを二枚刺し、表からも裏からも利用できるように設定していたのだが、これが結構大きな問題を引き起こすことになった。

   Linuxでは、NICは何枚でも物理的に設置し得るだけ扱うことができる。ところが、2枚刺しでただ単純にIP設定しただけでは問題が生じる。2枚刺しする場合はルーティングをしっかりきめないと、Linux機はそのいずれもグローバル接続されているものとみなして扱ってしまう。だからたとえば、グローバル(WAN)側から来たhttpリクエストに対する応答を192系設定したローカル(LAN)系のNICに出力してしまうことがある。このような状態だと、httpリクエストへの応答が192系のLANに流され消失してしまい、結果的に無応答エラーを引き起こす。この現象はTOPコマンドで見ているとdefunctマーク付きのリクエストとして現れる。

   そういうことがあって、結果として、NIC二枚刺しは取り止め。しかし、ファイアー・ウォール的な観点から、telnetやftpなどのポートはWAN側では閉じたままにしたいので、proxyなのであるが、ここで、あえてLinux/Proxyではなく、一般的なルーターを構内IPルーターとして利用することにした。たまたま4000円前後の安物ルータを手に入れたということもある。この種のDisk-lessなルーターなら消費電力は10W以下。Linux-proxyを設置することと比べれば、年間で電気代が2万円近く節約できる。「IPルーターとしても使えます」とパッケージ表記されたルーターは案外すくないのであるが、実はたいていのルーターは静的IPルーターとして使える。CATV設定がそのまま使用できる。つまり、CATV設定でいえば、WAN側のIP設定に最外縁に設置したルーター(unnumbered)が扱えるUPを割り当て、LAN側にはまさにLAN側の192系のIPを設定する。で、WAN側のルーターアドレスをゲートウェイアドレスとすれば、192系のローカルなパソコンからルーター二台を経由してインターネット接続ができる。これば思ったより簡単であるし、速度さえ気にしないのであれば5000円前後の安物でも事足りるだろう。

   ということで、常用の主機パソコンからbflets回線にアクセスするには2台のルーターを経由することになった。一台目は最外縁にあってパケットフィルタリングが主な役割だ。Unnumbered/PPPoE接続。次が構内ルーター。諸サーバーのイーサポートに対して無関係なLAN内部トラフィックが流れるのを遮断しつつ、内部LANからbflets回線のインターネット利用と、(最外縁ルーターの保護内で行い得る)諸サーバーのメンテナンスがこの内部的ルーターで行える。                
       




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